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私の旦那さまは余命100日  作者: 若桜モドキ
七章:悪手から綻び
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森をさまよう記憶だけ

 アンディさんの猛攻が始まってしばらくした頃、私はあることに気づいた。

 ルナさんの元気がない、というか、ため息が増えていると。落ち込んでいるのとは少し違う雰囲気に、声をかけるべきか、指摘するべきか最初は悩んで見守ることにした。

 状況がわからないのだし、変なことを言って悪化させてはいけない、と。

 だけどここ数日、その様子は更に悪化の一途を辿っている。

 私は、あまり人と話をすることが得意ではない。相談はする側で、してもらう側に立つことはまったくなかった。考えたこともない、と言ってもいいかもしれない。

 私なんかに相談などしてくる人はいないと、思っていた。

 だけどルナさんの様子を見ていると、そんなもの些細なことだ。

 愚痴でもいいから、何か聞きたいと思うようになった。


 今日もルナさんはため息が多い。

 手がなまってしまうからと二人で軽く縫い物をしているのだけれど、さっきから彼女の手は止まったまま。上の空で作業して、指を針で刺してしまうよりはいいのかもしれないけれど。


「ルナさん、ルナさん」

「……へ? あっ、妹さま?」


 びくん、と跳ねるような震え。

 周囲の状況を忘れてしまうくらいぼんやりしていたらしく、きょろきょろと周囲を見回してから、前に座っている私を見て、ひどく驚いたように目を大きく見開いている。


「はい、私です。先程から上の空ですけれど、どうかしたのですか?」

「いえ……アンディが、えっと、最近おかしくて」

「おかしい、ですか」


 それはきっと、あの猛攻のことだろうなと思う。

 アンディさんの行動は、日増しにグイグイと力強くなっている。ルナさんは最初、いつもどおりにさらりとかわしていたけれど、最近はそうも行かなくなったらしい。

 今までの、ある種力任せともいえた言動なら、ルナさんも突っぱねることができる。そうやってきたのが今までだった。しかし今のアンディさんは、なかなかそういかないという。

 ルナさんでも受け取りやすい、ほどほどの贈り物。

 押し付けない程度に、あれこれと教えてくれるその態度。

 控えめでありながらも強いそれらに、すっかり参ってしまったらしい。

 ううん、この場合はまいったというよりも、あれかしら。

 絆されてしまいそうで、という……。


「でも、ダメなんです」

「だめ?」

「だってあたしは孤児です。昔のことは覚えていないけど、孤児なのは間違いないんです」


 ルナさんは、泣きそうな顔で続ける。


「あたしは広い森の中を、さまよっていたそうです。着ている服はボロボロで、元はいいものだったようだけど、もう見る影もないくらいのボロ布になっていて。裸足で、血だらけになりながら必死に歩いていたって。今から十年前ですから、ちょうどあたしが四歳の頃です」

「そんな幼い子が、森の中を……」

「違法な人身売買の被害者かもしれない、ってことでママや先生は調べてくれました。結局見つからなかったんですけどね。……あ、ママというのは孤児院のひとで、あたしや、他の孤児たちの親代わりになってくれている女の人です。先生の親戚だって聞いてます」

「じゃあ、その方もエルテ家の方なのですね」

「そう……らしい、です。本人は勘当されたって笑っていますけど」


 だからダメです、とルナは不安そうに言う。

 泣きそうな顔は少し薄れ、代わりに歪な笑みがこぼれ始めた。


「あたしは孤児です。素性もわからない。魔術だって、まだ全然使えないんです。ただ、そういう人もいるし、世間を知る勉強になるからって、見習いとして城に上がっています。これですごく魔術が使えたら、きっとアンディとのことも少しは考えられた、例えばあの人みたいにすごかったら、先生みたいにすごかったら、もしかしたらって思えました。だけど」


 魔術が使えない、人並み程度にも使えない。

 身分なんて、貴族からすると存在すら認められないほどに小さい。

 それでは、何の武器もない。

 このまま絆されていった先を考えるとか、その先にふわふわして甘ったるい夢を見る遊びにふけるとか、そんなちょっとした余力も生まれないくらいに。


 アンディさんの本気は、ルナさんにしっかり伝わっていた。

 伝わりすぎたくらい、強く。

 だからルナさんは受け流すことができなくなって、全部受けとめた結果、どうすればいいかわからなくなって悩みの渦に流された。それはきっと、ルナさんもまた本気で考えた証拠。

 それは悪いことじゃない、むしろ好ましいといえるはず。

 でも、今のルナさんからはそう思う余裕もなくなってしまったのだ、たぶん。


 私はうつむいてしまったルナさんの手を取って、語りかける。

 私には彼女の気持ちは、きっと半分もわかっていないのだろうと思う。それでも、私は彼女の悩みに少しでも答えを与えたい。せめてその悩みと葛藤が、間違いではないと伝えたい。


「ルナさんは、アンディさんがお嫌いですか?」

「いいえ……」

「じゃあ、今はそれでいいと思います。別にアンディさんに絆されていいじゃないですか。人を好ましく思うことは悪いことではないです。そこから、更に先を望むかは、ゆっくり考えていけばいいのですよ。深く悩まず、困ったら……アンディさんに、言えばいいと思います」

「アンディに、ですか?」

「だって好ましく思った先は、二人で歩くのですから」

「二人で、歩く」

「はい、二人で歩いていくのです」


 ぎゅっと、強くてを握る。

 互いを認めて、好ましく思った先にある関係はきっと夫婦、あるいは恋人。なら、そこから先の道は一人で歩くものではなく、二人で歩いて行くものだと私は思う。

 二人で進むことを想定した道の苦難に、一人で立ち向かうことはできない。

 困ったら、横を見ていいはずだ。

 隣で、同じ道を進んでいる人を見て、その人と一緒に立ち向かってもいいはずだ。ルナさんが不安になって、困って、悩んでいる『その時』は、アンディさんを頼ったっていい。

 でなければ、同じ道を歩く意味がない。


「……ありがとうございます、ヴィオレッタさま」


 がんばってみます、とわずかに強い声でルナさんは答え、微笑む。名前を呼ばれたことに少し驚いたけれど、それよりもやっといつもらしい彼女のえみが見れたことが、嬉しい。


 彼女に未来を示しつつ、私も自分の未来について思いを馳せた。

 いつまでここにいられないのは、私も同じ。いずれ、私はここを出てお姉さまのいるであろう国に向かわなければいけない。おそらく――私たった一人の旅路になると思う。

 私も、これからを考えないといけない。

 これから先を、セレスタイトさまが亡くなられて、ここを出た後のことを。

 お姉さまと再会した、それからのことも。


 でもずっとここにいたいなんて、そんなこと思ってしまう。

 今度は私がため息をこぼしそうになった時、玄関の扉が勢い良く開く音が聞こえた。

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