嫡男さまは優秀
次の日、私は二階にあるセレスタイトさまの書斎にいた。
といっても何をするわけでもなく、いつもの様に本を呼んだり、魔力の使い方を自分なりにあれこれやってみたり、という感じだった。それらは一階に行かないための理由でしかない。
昨日の今日で大丈夫なのかしら。
そう思う今まさに、アンディさんは一人でがんばっている。
私たちにできるのは、邪魔にならないようこっそりすることだけだ。気が散ってしまって指を切ったりなどしたら大変だし、手伝いは間違いなく断られてしまうだろうし。
でも、と私は机に向かって書き仕事をしているセレスタイトさまを見る。
「だけどアンディさん、大丈夫でしょうか」
「心配?」
「はい……」
だってアンディさんも、料理はまだ不慣れのはず。
なのに一人で、なんて私には絶対にできないことだった。失敗して食材を台無しにしてしまうのも怖いけれど、火事になったりしたらと思うと今でも火を扱うのが恐ろしいのだから。
せめて魔力が自分の意のままになればいいけど、未だその域は遠い。
多少いうことを聞くようになった、というだけで進歩した……と、信じたい。
クゥリさまが言うには、今までなにもしてなかったのを思うと、今これだけできているのはかなりすごいこと、らしいけれど。でも私、未だに魔術は使えないからそうでもないと思う。
こんな調子で、魔術までたどり着くのかしら。
その頃、ここでの日々はどう変化しているのかしら。
未来を思うのは、嫌いではなかった。だって未来にはお姉さまが私のところに遊びに来てくれる日が在って、あの頃の私にとってそれはかけがえのないひとときだったから。
今は――今はどう、言えばいいのか。
未来に、お姉さまはきっといると思うけれど。でもその前に、きっと私は夫となったこの人とお別れをしなければいけない。ゆっくりと流れる時間はセレスタイトさまの寿命を奪う。
ちらりと向けた視線の先、彼をむしばむおぞましいそれが浮かぶ肌が見えた。
「大丈夫だと思うよ。少なくとも火加減は問題ないし、ちょうどいい焼色は昨日ちゃんと見せたからね。とりあえず焦がさないかぎりは、食べられないことはないんじゃない?」
「やっぱり、焼くのが一番大変なんですね」
「そうだねぇ……なかなか難しいよ。僕も昔はよく焦がしていた」
「セレスタイトさまが失敗だなんて」
「僕だって素人だった頃はあるよ。自炊しなきゃいけない理由がなければ、たぶん三日で諦めていただろうね。苛立ったり嘆いたこともあったけど、どうあがいてもやらなきゃ飢える」
空腹は最高のモチベーションだった、と。
セレスタイトさまは、ため息混じりに言う。
必要に迫られた、という意味がよくわからないけれど、きっと何か事情があって自炊することになったのだろう。例えば一人暮らしをすることになったとか、通いの人が来れなくなってしまっただとか。外食にはお金が必要だし、それがなくなった……のは、考えにくいかしら。
でもわけがなければ自炊したくなかったという人を、ここまで上達させたのだから、よほど深い事情があったに違いない。私ごときが、あまり深入りしないほうがいいかも。
次の話題は、と考えた時だった。
「――セレスタイトさま、妹さま、ルナです」
こんこん、と軽く扉がノックされて、ルナさんの声が聞こえる。
セレスタイトさまは立ち上がると、扉の方へ向かった。きぃ、と音を立てて開いた先にはルナさんが立っていて、少し興奮したような、嬉しそうな顔をしているのが見える。
「坊やが黒焦げにでもしたかい?」
「いえとても美味しそうにできあがりました。量が多いのでお二人も一緒に、と」
「私たちもご一緒して、いいのですか?」
「はい」
「主賓に誘われたなら仕方ないね。行こうか」
やれやれ、という態度をするセレスタイトさま。
だけど私はちゃんと見た。その顔が嬉しそうに笑っているのを。なんだかんだ心配――していたのかはわからないけれど、気にしていたようだったし、安心しているのだろう。
ほのかに、あの甘い香りがする廊下を進み、階段を降りていく。
ダイニングではアンディさんが、お茶をカップに注いでいる姿があった。
驚いて足を止めた私に気づいた彼は、睨むようにして。
「……これくらいはできるぞ、箱入りの貴様といっしょにするな」
ふん、と顔を背ける。
そ、そこまでひどいことを考えたわけではないけど、人に飲ませられるほどのお茶を淹れている自信はないので反論できない。箱入りだったことは、否定しようもない事実だし。
だけどこれでも、ちょっとくらいはできるようになったんですからね。
……たぶん。
「アンディはやればできる子、立派な貴族になれる人です」
テキパキとお茶の準備を進めていく姿を見て、ルナさんが言う。
恋愛感情の有無は、私程度の経験ではさっぱりわからない。だけどルナさんが、アンディさんのことを嫌っていないことや、認めていることはちゃんと伝わってくる。
でもアンディさんは、背を向けているし、たぶん声も聞こえていない。気づいていたり聞こえていたなら、今ごろあの手に持っているポットは、無残に床で砕け散っていたはず。
いつか、彼女が今の言葉を本人に言えばいいのになぁ、と思った。




