その名の意味は
さて、とセレスタイトさまは居住まいを正した。
組んでいた足をおろし、口の中を湿らせるようにお茶を一口。
「話を戻そう。かのエルテ家のご嫡男が、何用でこのようなところに? 人目から隠れて逢引する場所として選ぶには、ここは少々面倒ごとの多い場所だと思うのだけれど」
「……下世話な男だな。ルナは僕と師を同じとする魔術師、失礼だろう」
アンディさんは横にいるルナさんを見る。
彼女は何か言うつもりはないらしく、口を閉ざし黙したままだ。
「それは確かに。なにせ『絶対中立』を美徳とすらみなすエルテ家が、王子と聖女に肩入れするとは予想外でね。まさか王族としての『勅命』を下したわけでもないだろうに、と」
勅命、とは国王が直々に下す命令のことだったはず。確かお姉さまの助命を口にしていたと王子が口にしていたから、国王から命令があってのことではないのだと思う。
だとすると、確かにアンディさんたちがここにいる理由が不明だ。
セレスタイトさまが言うには、エルテ家とは常に中立であるよう立ちまわる家のようで、おそらく今回のこともお姉さまとヤヨイさま、どちらかに味方するはずがないようだ。
しかし嫡男であるアンディさんは、今ここにいる。
それはつまり、中立であるはずの巨大な一族が動いた――ということ。
あるいはアンディさんの、独断なのかもしれない。彼はどうやらヤヨイさまのことをとても大事にしているようだったから。個人的な行動だとすれば、それはそれでややこしいかも。
高い地位は、それだけ『個』を奪う。
お姉さまを通じて、私はそれをよく知っているから。
「まさかヤヨイに惚れたわけでもあるまい? 向こうが年上だし」
「黙れ『ノア家の鬼子』が」
「おぉ、こわいこわい。そっちも腹を探られたら痛いくせに、随分と偉そうだね? ねぇ、一人ではなぁんにもできない、世間知らずの『泣き虫アンディ坊や』。それとも年下のかわいらしい女の子の前では、虚勢が無様に看破されてもかっこつけたいお年頃かな?」
「うるさい! 貴様など今すぐにここで――」
「アンディ」
ルナさんのたしなめる声に、アンディさんはぐっと押し黙る。
それを見たセレスタイトさまは、更に話を続けた。
「中立遵守のエルテ家の動きがどうあれ、自分から弱点を晒しに来てくれて感謝するよ」
「弱点だと?」
「君を餌に、エルテ家をどうにかしたい人は少なくないからね。いくら嫡男でも、一族全体の決め事を守らない場合は、相応の罰を受けるものだよ。ま、お子様にはわからないかな?」
「貴様の言うことを聞くものがいるとでも?」
その言葉に、いるさ、とセレスタイトさまが答える。
「ミオリア派とヤヨイ派に別れ、貴族は争いを続けている。その理由を、少しは頭を使って考えてみた方がいいんじゃないかい? 君が思っているほどヤヨイに権力はないんだよ」
だって彼女は『まだ』聖女じゃないから。
言い切るセレスタイトさまに、一瞬、アンディさまは掴みかかろうとした。けれどハッとしたように動きを止め、強く手を握りしめて耐えている。
視線は強く、鋭くセレスタイトさまを睨みつけ、かすかに震えているようにも見えた。
「ヤヨイさまを侮辱するな、悪女の犬め」
「悪女、ね……じゃあ訊くけれど、彼女は『聖女』として望まれる行いをしているかい?」
公務と言ってもいいのかな、とセレスタイトさまは続け。
「例えば孤児院や病院への視察。地方の農村を見て回る。出会った人の手を取り、その言葉に耳を傾ける。彼女はそれができているかい? ミオリアは、幼い頃からしていたことだよ」
「それは……」
「人々に向かい、そう名乗るだけで成れるほど、この世界は彼女にとって都合のいい仕組みではないし、判断を下す民も愚鈍でもない。その立ち位置にふさわしいかどうか、彼らは見定める目を持っている。今はまだ、王子や周囲が手取り足取り守ってくれる。人から隠れることも許される。でもいつまでもそうしてはいられない、いつかは姿を見せなきゃいけない」
そうなった時、ヤヨイさまが戦うのはお姉さまの影。
聖女ではないけれど、それを連想させる行いを重ねてきたお姉さま。それを退けた本物の聖女という言葉は残酷なほどに、ヤヨイさまに襲いかかり生半可な努力なんて踏み潰す。
だってヤヨイさまは『聖女』なのだから。
お姉さまを、『普通の人』を絶対に超えなければいけないのだから。
けれどもしヤヨイさまが、お姉さまを超えられなければ。
超えた、という判断をしてもらえなかったなら。
その時、人々はどう思うのだろう。
聖女であるという理由だけで、すべてを受け入れるのか。
あるいは、それに値しないと拒絶するのか。
「愚王を屠り続けた歴史は予言する。聖女ヤヨイの末路を。半端な覚悟と努力で、たかが『聖女』というだけで、いろんなものを背負って歩いたミオリアの、彼女の血で作られた十数年を超えられると思うな。彼女を見てきた民を、その程度で納得させられると思うな」
王族であっても、王であっても。
それがふさわしくないなら排除されるのが、この世界の常なのだから。
それは、私の大好きなお姉さまを擁護し、守るような言葉だった。お姉さまを幼いころから側で見ていたからこそ、彼の言葉には真実味と、それに比例する重みが生まれている。
だけどそこまでお姉さまのことを認めてくれる人がいる、ということを素直に嬉しいと感じられたと同時に私は、ほんの少し、だけ。何かの気の迷いのような、些細なことだけど。
――この人にそこまで言わせるお姉さまが、ちょっとだけ怖いと感じた。




