それは崇拝
エルテ、という大貴族がある。
侯爵の位を持ち、常に国王の近い位置に人員を送り込んできた名家だ。魔術師としての血筋も優れたもので、そちらを所以とする縁は数えきれないほどにある。
貴族でもない魔術師一族にとっては、婚姻はそう重視されるものではない。
相手が『より良い子ども』を産むならば、身分など些細なことなのだ。彼らにとっては魔術師としての力、血筋こそが最優先事項。良い子を手に入れるために、手持ちの娘を良い血筋を持つ魔術師の寝室に差し出すことなど当たり前のことである。
彼らは言う。
子を作るだけならば、別に夫婦でなくともよいのだ、と。
とはいえエルテ家は貴族ゆえ、そこまでおおっぴらなことはできない。だが貴族には貴族のやり方もある。権力は時に、すべての倫理を凌駕する恐ろしい力として振りかざせるのだ。
欲しいものを望むなら、あらゆる力を持ってしても必ず手に入れる。
それが数百年前まではこの国、いいやこの世に数多存在している、ありふれた魔術師一族でしかなかったエルテ家の、大貴族になった今もなお密かに伝わる家訓である。
その日、城の奥――王族の居住スペースに呼び出されたのは、少年。
名をアンディ・エルテ。
末は公爵まで上り詰めるとも言われるエルテ家ご自慢の、どこに出しても恥ずかしくない立派な跡取り息子である。宮廷魔術師としてはようやく見習いを脱したところだが、十年もすれば魔術師すべてを統括する存在として、新たな王に仕えることが約束されたエリートだ。
そんな彼は今、恭しく頭を垂れ、跪いている。
王子フレンディール、そしてその横にいる聖女ヤヨイの前に。二人が並んで腰掛けた見るからに上等なソファーからずっと離れた場所で、二人の近衛騎士に挟まれる形で。
「セレスタイトの屋敷に、侵入者がいたらしいが」
「はい。おそらくは魔術師です。結界をうまくすり抜ける辺り、そこらの野良ではなく宮廷魔術師の位を持つものではないかと思われます。残滓が乏しいため、今は泳がせるつもりです」
「あちらに変わった動きはないか」
「いえ、特には。しいて言うなら、食事時に黒煙が上がっているくらいかと」
「黒煙?」
「奥方が調理を試みて、炭を生成しているようです」
「……」
はぁ、と王子が深く息を吐きだす。
その横の聖女は、王子の体調を気にしているのか、不安げに彼を見上げていた。
仲睦まじい二人をちらりと見たアンディの心情は――。
――あぁ、やはりヤヨイさまこそが、真の聖女。何と心優しいことか。
という、陶酔のような響きだった。
王子フレンディールには、以前別の婚約者がいた。婚約者、というより許嫁という呼ばれ方をしていたミオリア・ヴェルテリスである。アンディと同じく侯爵家の出であるが、彼からすると、あんなの侯爵の名を名乗っているだけの一般人と何が違うと言うのだろう。
いや、一般人にも優秀な人材は多くいる、一緒にするなど失礼か。
曾祖母が聖女で、その婚礼に乗じて侯爵になった程度の家。それがここ最近まで我が物顔でこの国の中枢にいたことに、アンディとその親類、つまりエルテ家はひどく憤慨していた。
血筋が優秀なのは認めよう。
実際、ミオリアは魔術こそ学んでいなかったが、素養はあるように見えた。
魔術師であるからには、そこを見て見ぬふりをすることはできない。
だがそれだけだ。聖女のように扱われるだけの、特別な才は彼女には存在しなかった。確かに優秀だっただろう、しかし幼い頃から英才教育を受ければ誰だってそうなる。
アンディから見たミオリアは、所詮『秀才』なのだ。
まがい物だが身分があり、少々『良い子』だっただけの普通の人。
例えば目の前にいる聖女ヤヨイや『あの子』とは違う。聖女とあの子は、それぞれ祝福された方向性こそ違うものの、どちらも神さまの微笑みと祝福を受けた選ばれた子なのだ。
そのうちの一人、聖女にお仕えできることの、なんと喜ばしいことか!
あぁ、その尊顔を曇らせる輩を、どうしてこの手で処罰することが叶わないのだろう。どういう契約を交わしたかは定かではないが、彼らの保護は国王命令で厳守されている。
危害を加えてはならぬ、と。
その命令さえなければ今頃は、もしかしたらあれらを排除する栄誉を、エルテ家を、いや宮廷魔術師すべてを代表して任されていたかもしれないのに。
あぁ、残念が極まる。
「怪しい動きがあれば報告は要らない、直ちに黙らせろ」
「かしこまりました」
下げていた頭を、さらにさらに深く下げ、アンディは暫し待つ。
立ち上がる音、歩く音、そして扉が開いて閉じる音。それをすべて聴き終え、さらに数秒ほどの時間を開けてから、アンディはゆっくりと顔を上げた。その先には、もう誰もいない。
そのことを確認してから立ち上がると、自らもその部屋を出て行く。
仕事だ、仕事を任された。
大罪人に味方をした『ノア家の鬼子』の監視。更にその幽閉先で不穏な動きを見せる何者かの調査。あぁ、これは忙しい。忙しいが、相手が相手なだけにやる気だけは満ちている。
まずは部屋に戻る、城であてがわれている部屋だ。
そこで軽く準備をしたら、結界に罠を仕掛けておこう。なぁに、中のあいつは気づくかもしれないが、外との連絡などとったらすぐさま感づかれるとも知っている。
だからあいつは何もできない。
罠を仕掛けられたとも気づかないで、不穏分子はまた結界を超えるだろう。そうなったらうまい具合に一網打尽にできるかもしれない。膿は、すべて出さなければいけないのだ。
速やかに、何事もなく、大罪人の残党は始末しなければ。
そのために動く日は、遠くないだろう。




