不審人物、現る
渡されたエプロンを身につけたところで、私に任されたのはサラダの準備。
保存庫から取り出した葉野菜をちぎって器に入れて、調味料をしっかり計量したものと混ぜあわせてお皿に盛り付ける。刃物は使わない、力も要らない比較的簡単な作業。
サラダなら毎食出されていたので、どれくらいの大きさでちぎればいいのかわかる。
一口に入るくらいの、小さすぎず大きすぎない感じ。
葉野菜以外は、予めセレスタイトさまが切りそろえてくれた。おかげで私は刃物を手にすることもなく済んだのだけれど、あまり調理したという気分がしないのはなぜだろう。
「セレスタイトさま、できました」
「ありがとう。盛り付けは後でいいから、食器とか運んでくれる?」
そう言ったセレスタイトさまは、ずっと鍋の中身をかき混ぜている。野菜をじっくりと煮込んでいるスープは、簡単そうに見えて火加減などが難しいらしい。
傍らではメインになる魚を焼いているところで、ちらちらと視線を向けては焼き加減を気にしているようだった。流石に私の出番は、ここにはないということがわかる。
言われた通り、私は必要な食器を棚から引っ張りだした。
スープを淹れる深めのお皿と、サラダを盛り付ける大きい皿。
それと魚を乗せる、中くらいのお皿。
セレスタイトさまはあまりマナーには興味が無いのか、ナイフやフォークの類は同じ大きさのものしかなかった。そのことに私は、少しだけほっとする。
これまで一人で食べることが多かったので、私もマナーに関してはあまり自信がない。
一応、教わってはいるのだけれど……実践したことがないので、もう忘れてしまっている可能性もある。お姉さまは完璧にこなしていたけど、私にそれを強いることはなかったし。
そう思うと、甘やかされてきた、ということを感じる。
……もっとも、私はすでに貴族という身分ではなくなったのだし、必要以上の、堅苦しいマナーなんて求められることなどないのだろうけれど。
ただ、ある程度、とはいえ教えてもらっていてよかったと思う。
知らなければこういう時、どう並べたらいいかわからなかったかもしれないし。
「みんな、大丈夫かしら……」
お皿を並べていると、同じようなことをしていたリリアのことを思い出す。震えながら私を守ろうとしていたあの子は、あの後、泣いていたりしないだろうか。
王子は、みんなには何もしないということを言ってくれた。
今はそれを信じるしかないのだけれど、無条件に信じられるほど私は王子フレンディールを知らない。だから、本当に大丈夫なのだろうか、という疑念が浮かんできてしまう。
確かめるすべもないのに、気にしてもどうしようもないのに。
お姉さまのことだって、本当に『追放』されたのかわからない。
もしかしたら、なんて可能性だってありうる。あの王子の憎しみのような、怒りのようなものを感じてしまえば、誰だってその可能性を考えると思う。
なのに、彼の言葉を信じたのは、お姉さまが彼のことを信頼していたからだ。
ここにいないお姉さまが、かつて伝えてくれたことが、彼への信頼の下地になっている。
奇妙な気分、だった。
お姉さまに何かしたかもしれない人を、お姉さまの言葉をもって信頼するなんて。
でもお姉さまは、私に信じさせるほど大事そうに語っていた相手に、
そもそも、私は未だにお姉さまが具体的に何をしてしまったのかを知らない。
詳しく尋ねられる雰囲気ではなかったし、セレスタイトさまも、自分とお姉さまの関係については教えてくれたけれど、詳しいところは何も口にしてくれないし。
尋ねたら教えてくれるのだろうか。
……だけど、知りたくないという気持ちもあった。
私の中にはお姉さまへの憧れも愛情も、今も変わらず存在している。全部、何かの間違いに決まっている、なんてことも少しだけ考えているくらいに。
でも私が信じてきたものが、全部間違いだったら。
私の見てきたお姉さまは、本当は存在しないものだったら。
その存在を頼りにしてきた私の足場は、きっと消えてしまうから。
「よっと……」
物思いにふけっていると、そんな声とことんという軽い物音がした。
明らかにセレスタイトさまの声ではないし、彼がいる方角からのものでもない。だけどおかしい。結界で封じられた場所に誰が訪ねてくるのだろう。それも玄関ではないところから。
もし正式に訪ねてきたのなら、玄関に向かうのが自然だと思う。
それ以外から出入りする存在は、だいたい『泥棒』というのだと私の知識が叫んだ。仮にそうでなかったとしても、入り口から入らない時点で普通でないのは明らかだろう。
私は一瞬迷って、スープ用の深皿を手にした。
いざという時は投げるなりすれば、セレスタイトさまは気づくと思ったから。
おそるおそる、私はリビングの方へと向かう。彼を呼びに行くという選択肢は頭の中にあったのだけれど、これ以上お世話になりっぱなしになるのが嫌で、そっと蓋をしておく。
少し、様子を見るだけだから。
危ないことなんて、彼の家なのだし、ありえない。
足音を消すようにゆっくり、ゆっくりと扉に近づき、開く。
この扉の正面には窓があって、そこには空が広がっているはず――だった。
だけど、そこに『空』と呼べるものは、ない。
あったのは黒だ。
窓から身を乗り出す、黒。金色の模様が、蜘蛛の巣のように広がった、黒い塊。それがずるりと溢れるように、窓から室内へ、リビングへと入り込んでくる光景があった。
手から、お皿の冷たく硬い感触が消える。
白いそれが足元で、小さい欠片に変化する高い音。
その直後、私の喉から出たとは思えない悲鳴が、間違いなくこの口から飛び出した。




