惨劇の舞台
それは、新聞記事の一面をコピーしたものだった。
日付は今から十年以上も前。この非常時になんでこんなものをと思うが、彼女は無言で懐中電灯の光でとある記事を指し示す。
闇の中にくっきりと大見出しが浮き上がる。
『合宿中の少年少女にまさかの悲劇』
――8月1日未明、**県**群**町のホテル**で火災が発生、逃げ遅れた宿泊客ら37名が死亡、8名が重軽傷を負った。火元は一階の談話室、煙草の不始末が原因と考えられる。当時、ホテルではボーイスカウト団体**が夏合宿を行っていたが、その全員が遺体で発見された。**県警によれば、当ホテルは違法な増改築を繰り返しており、防火環境に多大な欠陥が生じていたことが、被害の拡大に繋がった模様――
ちょっと待った!
これって、どういうことだ?
「なんで、ホテルの名前も、ボーイスカウトの団体名も、僕らの合宿とまるで同じなんだよ!?」
その疑問に答える彼女は、とても神妙な面持ちだった。
「なぜなら、今ここで起きていることは既にあった出来事だから。私達は十年前の夏合宿を追体験しているの」
……
…………
………………は?
「正確には、追体験しているのはあなただけ。あなたは何日もの間、廃墟と化したホテル周辺で亡霊と戯れていたのよ。私はそれを発見して、憑り殺される前に助けようとしていたの」
何だって?
僕が幽霊に憑りつかれていて、十年前の夏合宿を追体験している?
そんなまさか……。
「うっぷっ!」
込み上げる嘔吐感。たちまち口腔内が酸っぱくなった。
「うえっ、おえええええっ」
いくら吐いても胃液しか出てこない。まるで何日もの間、ほとんど飲まず食わずでいたみたいだ。
膝が笑い、立っていられなくなる。
全身を倦怠感が覆う。
揺れる。揺れる。
世界が揺れる。
嵐の海で航海しているようだ。
「やはりこうなったわね。急に現実に引き戻すと反動が大きく出るの。心を病むこともあるから、少しづつ説明しようと思っていたのだけど」
頭の中で彼女の言葉が、ぐわんぐわんとこだまする。
苦痛と恐怖とで、涙がぼろぼろ溢れてきた。
視界が滲む。まるでテレビの3Dモードのように像がダブって見える。像の一方は今まで通りだが、もう一方はボロボロの廃墟だった。床、壁、天井が真っ黒に変色し、崩れたコンクリート壁からは鉄筋が剥き出しになっている。窓ガラスは存在せず、非常灯も全て消えていた。
そうだ。僕は知っているぞ。
これこそがこの場所の真実の姿じゃないか!
「……全部思い出した」
僕は夏合宿になんて参加していなかったんだ。
親と喧嘩して家出した僕は、どこでもいいから遠くへ行きたかった。それで、目的地も定めぬまま電車に乗り、避暑地として知られる高原に辿り着いたのだ。けれど、当然ながら未成年の子供一人を泊めてくれる宿なんてどこにもない。仕方なく寝泊まりできそうな場所を探しあちこちさまよった末に、辿り着いたのがこの廃ホテルだ。とはいえ、建物の内部は明らかに焼け焦げていて、とてもじゃないが寝泊まりしようと思えなかった。けれど、折悪しく豪雨になったことで、雨宿りをすることにしたのだった。
まさかそれがもとで、十年前の幻に捉われることになるなんて。
「早く逃げよう――ここにはもういたくない」
かろうじて言葉にすると、彼女は頷き肩を貸してくれる。
「急ぎましょう。幻とはいえ、この火災は人を死へと誘う呪いの渦。巻き込まれてしまえば、私達も亡者の仲間入りよ」
非常階段までの道のりは、迷路のように入り組んでいた。
大した距離ではないのだが、通路が塞がれていたり、崩落している個所もあったりで、そう簡単には辿り着かないのだ。ここ数日間、こんな廃墟で寝泊まりしていて、よく無事で居られたものだと我ながら感心してしまう。
「もう少しよ。頑張って」
彼女が懐中電灯で、非常階段の入り口にある誘導灯を指し示す。
ぼろぼろの身体に鞭打って、どうにかこうにか辿り着くと、彼女は早速ドアを開けようとするが、
「……開かないわ」
「何で!? この階段は使えるはずじゃなかったの?」
「事件後の検証記録によれば、この時点ではまだ使えたはずなのよ。廃墟と化した後のことまでは知らないわ」
見れば鉄のドアにはびっしりと錆が浮いている。これでは、相当に固くなっているだろう。それならまだしもで、ドア枠が歪んだりしているのかもしれない。
「元々、あなたの救出は屋外で行うつもりだったから、廃墟の現状についてはあまり調査していなかったの。こうなると分かっていれば、事前にどうにかしておいたのだけど……」
反省は後でゆっくりやってもらうとして、今はなんとかしてドアを開けねばならない。
「いっせーの――せっ!」
掛け声と同時に、二人して力一杯ドアを押す。足を踏ん張り、体重をかけて、何度も何度も繰り返す。だが、ドアはまさに鉄壁でびくともしない。
「くそっ、開け! 開け! 開け!」
普通に押して駄目ならと、蹴りや体当たりも試みる。だが、無駄に体を痛めるだけで事態の打開には繋がらない。そうこうしている間にも、フロアーにはどんどん煙が満ちていく。
息苦しい。喉が痛い。
今やあの彼女でさえ、うずくまって咳き込み続けていた。
「まずいわね……頭が重くなってきたわ」
どうしよう。このままじゃ、本当に――
「ここにいたのか」
聞き覚えのある声に、はっとして背後を振り返る。
「班……長?」
すると、ほっと安堵する気配が闇の中から伝わってきた。
「よかった。君の姿が見当たらないので、ずっと探していたんだよ」
落ち着いた足取りで、彼はこちらへゆっくりと近付いてくる。その姿が見えないのが、正直言ってありがたかった。
「さあ、行こう。みんな君を待っているぞ」
「い……嫌だ」
「おいおい、何をためらってるんだ? 急がないと屋上への道が閉ざされてしまうじゃないか」
「冗談じゃない。だって、君らはとっくに――」
死んでいるじゃないか!
そう叫ぼうとした僕の口を、彼女は両手で抑えつけた。
それから、耳元でぼそぼそと囁く。
「余計なことを言っては駄目よ。おそらく、彼らはそのことに気付いていない。真実を知ればどう出るか分からないわ。それより穏便に――」
話の途中で、彼女の上体がぐらりと揺れる。
「え!? ちょっと」
慌てて支えるが、彼女は意識を失っていた。どうやら、彼女は相当無理をしていたらしい。見れば肌の色は白を通り越して真っ青だった。
どうしよう。
これで、もう頼れる人は誰もいない。
僕が何とかしなくちゃいけないんだ。
でも、どうしろっていうんだ?
班長をどうにか追い返したところで、結局、ドアが開かなければそれで積み。完全に八方塞がりだ。どうしようもないじゃないか。
「うっ」
腕の中で、彼女が苦しそうに身悶えした。
その姿を見て、僕は急に恥ずかしくなった。
何を弱気になってんだ。こうして彼女が苦しんでいるのは、僕を助けようとしたからじゃないか。今度は僕が何とかする番だ。
考えろ。
考えるんだ。
「どうしたの? 早く行こうよ」
間近で班長の声がして、ぐいと腕を引っ張られる。
異様な手の感触。固くざらざらとしていて、とても人の肌とは思えない。
そう、まるで焼死体だ。
恐ろしい。気持ち悪い。
けれど――もはや得体の知れない恐怖ではなかった。
だって彼らが死んだ自覚もなく、生前のように合宿をしているだけなら、僕らをどうこうしようなんて思えるはずないからだ。
「あ!」
そこで気が付いた。
それなら、いっそ、こんなこともできるんじゃないのか?
「聞いてくれ、班長。この階段から一階まで行けそうなんだ。けど、ドアが固くて一人じゃ開けられない。だから――」
彼の手を取り、僕は言った。
「頼む、一緒に押してくれ!」