不可思議な彼女
それからしばらく無言で歩き続けた。
聴こえてくるのは虫と蛙の大合唱と、二人の足音だけ。
一時の浮かれ気分はどこへやら。僕は名目に過ぎないはずの肝試しを、たっぷりと味わう羽目になっていた。彼女からすれば、気分を盛り上げようとしただけなのかもしれないけれど、ホラー趣味の無い身としては勘弁してくれって感じ。そういう怪談の類ってのは、宿舎とか教室といった明らかな安全地帯で話すからネタとして楽しめるのであって、こんな不気味な場所でするようなもんじゃないってことが骨身に染みて分かったよ。
だから、ようやく森が切れて出発地点――石積社が見えた時は心の底から安堵したんだ。
社の前庭には、既に大量の石が供えられていた。
連れ立って帰ってきた人との石を、積み重ねることで絆石となる。本来の儀式の形としては、男石と女石とを組み合わせて夫婦石にするらしいけれど、結局ほとんどの人が男女ペアとはいかなかったらしく、大半は複数の石を積み重ね大きな石積みにしていた。それが複数立ち並ぶ光景はさながら賽の河原。由来を知らない者にとっては、さぞかし不気味に思えただろう。というか、知っていても十分過ぎるほど気味が悪い。
ともあれ、わざわざ森の奥から持ってきた石だ。ここに納めなければ意味がない。
「それじゃ、石を出してくれる?」
言いつつ、改めてこんな美少女と夫婦石を作れるなんてラッキーだと思う。まぁ、ちょっと変わったところはあるけれど……。
ところが、そんなささやかな想いもあっけなく打ち砕かれてしまう。
「それは無理ね」
「え?」
ぽかんと口を開け驚く僕。対照的に彼女は平然としたものだった。
「だって、石なんて持っていないもの」
「え……それってつまり、その、僕との夫婦石はごめんってこと?」
「そうじゃなくて、私の分がなかったの」
これは妙だ。
「石は人数分あるって話なんだけど……」
準備係が数を間違えたんだろうか。それか、誰かが一つ余計に持って行った?
まさか、いじめとかじゃないよな。さすがに合宿中そんな陰湿な行為が行われていたなんて思いたくはないけれど、僕自身なかなかみんなに受け入れてもらえず苦労したわけだし、その可能性を完全に排除することもできないか。まぁ、そのへんのことは後でじっくり考えるとして、
「仕方ない。一応、僕の分だけでもお供えしておこう。君と一緒にお供えできないのは残念だけど、そこらに捨てていったりしたら罰が当たりそうだしさ」
そこで、ポケットに突っこんでおいた石を取り出そうとするが、
「あれ? おかしいな」
確かポケットに入れておいたはずなんだけど。走っている途中に落としてしまったのだろうか?
結局、いくら探しても無い物は無いので、仕方なく宿舎に帰ろうと提案する。けれど、それは彼女にきっぱりと拒絶された。
「絶対に駄目よ」
「やっぱり石を探すべきかな?」
そりゃ確かに石を失くしたままじゃ納まりが悪い。けれど、見つけたところで彼女の石が無い以上、儀式を成立させることはできないわけだし、何より戻るのが遅くなってみんなに迷惑をかけるわけにはいかないと思うんだけど。
「そんなことはどうでもいいの。ただ、宿舎には戻らないで」
「えっ?」
思わず耳を疑った。宿舎に戻らないでどうするっていうんだ?
「ね、いいでしょう。このまま二人で――」
こっ、これってまさか!
儀式を終えた男女が、そのまま社で情を交わしたとかナントカ……。
いやいや、それはさすがにあり得ないにしても、もうしばらく二人っきりでいたいってことかな。それはすごく光栄だけど、このまま戻らなかったら騒ぎになっちゃうよなぁ。
頭の中は大混乱。魅力的な提案じゃないか受けてしまえと本能が激しく主張すれば、さすがにそれはまずいぞ自制しろと理性が必死に抵抗する。
そんなこんなで僕が態度を決めかねていたところ、視界の片隅に幾つかの光点がちらついた。
「……あれは」
提灯の明かり――数からして班員達だ。
「とっくに帰ったと思っていたけど、わざわざ待っていてくれたのかな」
見つかることを嫌がってか、彼女は懐中電灯を消してしまう。それでも、灯火は徐々にこちらへと近づいてくる。
「どうやらこれで、二人っきりってのは無理になったね」
ほっとしたような残念なような複雑な気分だけれど、残りの合宿期間でも親交を深めることはできるから、まぁいいんじゃないだろうか。
「じゃ、行こうか」
苦笑いして彼女の方を向く。
すると、彼女は今までに見たことも無いほど険しい表情になっていた。
「そんなこと……許さないわ」
地の底から湧き起こったような、低く冷たい声がした。
「駄目よ。絶対に駄目。駄目駄目駄目駄目絶対駄目――あなたは私と一緒に来るの!」
そして僕の腕を掴む。
ものすごい握力に、うっと顔をしかめてしまう。
「さあ、行きましょう!」
「いや……ちょっと待ってよ」
異様な迫力に飲まれそうになるのを堪え、かろうじて僕は言った。
すると彼女は両手で僕の頬を挟み、息がかかるくらい間近に顔を寄せてくる。その瞳はぞっとするほど美しく、飲み込まれそうになるほど深い漆黒だった。
「あなた……疲れてるのよ。これ以上、あんな連中と一緒にいては駄目」
また妙なことを言って……いや、ちょっと待てよ。
なぜか急にそんな気がしてきた。
全身が鉛のように重い。すさまじい疲労感だ。
「それにまだ、お腹も減っているでしょう? 喉だって乾いているでしょう?」
今度は、再び飢えと渇きがやってくる。
ああそうだ。確かさっきも、彼女の言葉を聞いた途端そんなことになったような……。
おかしい。
おかしいぞ。
けれど、何がおかしいのかが分からない。
「私と一緒に来てくれれば、楽にしてあげる。苦しみなんてすぐになくなるわ」
「ううっ――」
唐突な頭痛に襲われ、僕はその場に座り込む。
「さあ、早く立って」
彼女の叱咤する声が頭の中にガンガン響く。
車酔いでもしたかのように、激烈な嘔吐感が込み上げる。
やばい。このままじゃやばい。
僕は耳を塞いでうずくまる。
「――!」
よし、聴こえない。
「――――!」
聴こえない。
「――――――!」
聴こえないよ。
「――――――――!」
聴こえないったら!
ひたすら嵐が去るのを待っていると、彼女は業を煮やしたのか僕の腕を掴んで走り出した。
「え、ちょっと」
あの子のどこにそんな力があったのか。なんと僕の体はずるずると、そのまま引きずられてしまう。
「痛っ!」
手首が、肩が、今にもちぎれそうだ。
「やめてくれ! 放してくれ!」
哀願。そしてすぐ、助けを求めればいいことに気付く。
「助けて! 助けて!」
大声で叫んでいると、少し離れた所からみんなの声がした。
「どうした!」「そこにいるのか!」
一斉に近づいてくる提灯の明かりに、とうとう彼女も諦めたらしい。
ああ、と深く溜息をつくと僕の手を放し、
「あと一歩だったのに……口惜しいわ」
恨めし気に呟いて、いずこかへと姿をくらました。