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肝試し

 森の中は真っ暗闇だった。

 見上げれば、空が高い木々に切り取られ、星の道を作っている。

 提灯の光は周囲をぼんやりと照らすだけで、指向性なんてないから、道の先がどうなっているのかまるで分からず本当に怖い。時折、かさかさと葉擦れの音がして、暗がりの中に誰かが潜んでいるようにも感じるけれど、どのみち照らして確認もできないので、無視してひたすら歩き続ける。

 ほどなくして、道が真っ直ぐになってくると、先行した連中の提灯が幾つか見えてきた。ほっとすると同時に、あちこちに人魂が浮いているようにも見えて、美しくも気味の悪い光景だ。

 やがて道の先に、提灯の明かりが集っている場所が見えてきた。

 あれが最初の目的地、男神の社だろう。残念なことに僕の到着を待たずして他の連中は先へと行ってしまう。走れば間に合ったのだけど、転倒して明かりを失ったら大変なので自重したのだ。

 こじんまりとした社の前には卓があって、そこには平べったい石が一つだけ置いてあった。何の変哲もない石ころだけど、これが持ち帰るべき石なんだろう。人数分しか無いはずだから、やっぱり僕が最後の一人のようだ。

 石をポケットに押し込むと、先行する灯りの後を追って僕は黙々と歩き続けた。


 奥社に着いた頃には、身体が汗でぐっしょりと濡れていた。

 建物の外観は、石積社より少しだけ小さく、より古色蒼然としていた。桧皮葺ひわだぶきの屋根は綺麗に整えられていて、こんな奥地にも関わらず適切な管理が行われているようだ。

 社の前には、ぼんやりとした提灯の灯りが幾つも並んでいた。


「やあ」


 と、班長が片手を上げる。班員が勢揃いで待ってくれていたのだ。


「遅かったね。もうみんな行ってしまったよ」  


 確かに、提灯の明かりは他にはなかった。けれど、そんなはずはない。


「さあ、僕らも行こう」

「あ、いやちょっと待ってくれ」


 僕は慌てて辺りを見回した。

 あんなメモを寄越したからには、彼女もここにいるはずだ。

 待ってるという以上、帰り道に同行して欲しいということなんだろう。

 一応、確認しておこうと社の周囲を探し回っていると――


「……ん? おわあぁっ!」


 心臓が口から飛び出るかってくらい驚いた。

 けど、それは無理もないのだ。なにせ彼女は社の縁下に潜みながら、じっと僕を見詰めていたのだから。よりにもよって黒のワンピース姿で、なぜか提灯も持っていないので、闇の中に白い顔と手足が異様に映え幽鬼のようだった。

 バクバクと高鳴る心臓を手で押さえつつ、僕は彼女に声をかける。


「あのさ、君――」


 だが、彼女は無言で人差し指を口に当てた。

 一目瞭然。『黙れ』のジャスチャーだ。

 間もなく叫び声を聞いた班長が「どうした?」とやって来るが、彼女が無言で首を振るので「何でもない」と適当に誤魔化し戻ってもらう。

 それから改めて彼女に向き合うと、新たなメモを突き付けられた。


『黙って私についてきて。分かったら大きく頷くこと』


 まぁ、メモの内容は理解できたので、僕は素直に頷いた。

 すると彼女は何を思ったか、ふっと提灯を吹き消してしまう。


「あっ、ちょっと!」


 抗議する間もなく、僕は腕を掴まれる。ひんやりと冷たい手の感触は、ぞくりと身震いするほどだ。

 そして彼女が歩き出す。ずんずんと先へと進むその力は見かけによらず強い。真っ暗闇で手を引っぱられていた僕は、歩調を合わせなければ転んでしまう。何が何だか分からないまま、とにかく彼女についていくしかなかった。


「おうい、どこへ行くんだ?」


 異変に気付いたらしき班長が、驚きの声を上げる。


「一緒に帰らないのか? 僕らと絆を結ぶんじゃないのか?」

「ごめん! そのつもりなんだけど、彼女が――」

「えっ? 何だって」


 足がもつれそうになるのを堪え、僕はかろうじて返事をする。


「とにかくごめん。また後で!」

 

 走る。走る。とにかく走る。

 そして、とうとう足がもつれて転ぶ。 


「痛っ――てえ!」


 膝を抱えて座り込むと、苛立ちのあまり悪態をつく。


「ああもぅ、最悪っ!」


 不意に周囲が明るくなる。彼女が懐中電灯を手に、僕を覗き込んできたのだ。


「大丈夫?」

「……オカゲサマで」


 始めから懐中電灯を使ってくれていれば、転ばずにすんだと思うんだけどね。

 ともかく膝の具合を確認する。

 不幸中の幸いで血が出たりはしていなかった。


「少し休んでいきましょうか」


 と、彼女はゴソゴソと物音を立てて、ナップザックから水筒とビスケットを取り出した。

 ピクニックでもないのに随分用意がいいんだな。なんて、妙に感心していると、

  

「はい、どうぞ」

「え?」


 取り出した飲食物を、彼女は僕へと押し付ける。


「好きなだけどうぞ。お腹――減っているでしょう?」

「いや、そんなことないけど」


 既に夕食も済ませており、充分満腹なのだ。

 けれど彼女は静かに首を振り、


「疲れているから感じにくいだけ。あなたはお腹が減っているのよ。さあ、早く食べて!」


 途端、僕は猛烈な飢えと渇きに襲われた。

 そして気が付いた時には、ビスケットを貪るように食べ尽くし、水筒に至っては直に口をつけて飲み干しているというありさまだった。

 どうしてそんなことをしてしまったのか。

 自分でも信じられないけれど、とにかく恥ずかしい行為には違いない。


「本当にごめん! まさか全部飲み食いするなんて――」


 平謝りに謝る僕に、彼女は落ち着いた声で言った。 

 

「気にすることないわ。あれはあなたの為に用意したものだから」

「え、僕の為に?」


 何で? 何で?

 僕の困惑をよそに、彼女はさっと立ち上がる。


「そろそろ、行きましょうか」

「ああ、うん」


 どうも彼女と一緒に居ると、調子が狂いっぱなしの気がする。けれど、不思議と憎めない。不可思議な魅力があるんだ。

 そんなことを思いつつ立ち上がり、ようやく周囲の異変に気付く。


「あれ、ここは確か……」


 見覚えのある光景だが、微妙に食い違いもある。


「ここは女神の社よ」 

 

 彼女が抑揚のない声で告げた。 

 なるほど、道理で似ているはず。ここは男神の社の対になる存在なのだ。


「てことは……道を間違えたんだね。帰りは真ん中の道を通れって言われたのに」


 僕はがっくりと肩を落とした。

 石積社と奥社を繋ぐルートは三つ。そのうち最短なのが帰りに使うことになっていた中央の真っ直ぐな道。残り二つは社に立ち寄る関係上、弧を描くようになっていて道のりが長いのだ。


「間違いじゃないわ」


 だが、彼女は驚くべきことを言い出した。


「あえてこの道を選んだの。だから、まったく間違いじゃない」

「一体どうして?」


 驚いて僕は大声を出した。わざわざそんなことをする理由って何だ?

 すると、彼女は僕の顔を正面から見据えて、こう断言したのだった。


「もちろん――二人きりになりたかったからよ」

 

 とても不思議な気分だった。

 疎外感でいっぱいだったこの合宿中に、こんな美少女が僕と二人きりになりたいなんて! というか、これってつまり、あれなのかな。縁結びの相手に僕を選んだってこと?

 あのおじさんの言葉が蘇る。

 ――いいねぇ青春ってやつだ!

 まさにその通り。

 まるで天にも昇る心地で、僕は彼女と夜道を歩く。

 うっかりすると、にやにやしてしまいそうになるので、頑張って生真面目な顔を作りながら。もちろん、冷静に考えれば表情なんて見えないんだけど、そんなことを気にするくらい、僕は幸福感と緊張感に包まれていた。

 そんな時、茂みの中でがさがさと物音がして、僕は全身をびくりとさせてしまう。

 恐る恐る彼女の様子を伺う。みっともない姿を見られなかったかが気になったのだけど、どうやら彼女はそれどころではない様子――懐中電灯で茂みを探る表情は、相当に強張ったものだった。

 やがて物音は去って、辺りが静けさを取り戻したても彼女は茂みを照らし続け、なかなか警戒心を解かなかった。


「もう大丈夫だよ」


 できるだけ明るい声で言った。


「さっきのは野生動物か何かさ。それももう行っちゃったみたいだ」


 彼女を安心させてやりたかった。あわよくば、男らしい所をみせられたらとも思った。それでちょっと、余計なことまで言ってしまった。


「少なくとも幽霊なんかじゃないよ。あんな非科学的な存在、いやしないんだからさ」


 特に彼女は何も言っていないのに、自分から幽霊について言及するなんて、客観的に見れば怖がっていると自白したようなもの。けれど、僕はそれに気付いていなかったし、彼女もそんなことを気にする人じゃなかった。

 でも、僕の意見そのものはかなり気にしたようだ。

 暗がりの中、彼女は厳かに呟いた。


「それは、あなたが気付いていないだけ」


 にわかに、空気がぴりっと引き締まったように思えた。


「気付かないだけで、存在しないわけじゃない。現に今も、さまよう霊がそこかしこに存在するわ」


 と言って、彼女は懐中電灯の光線をすっと動かす。


「例えば……ほらあれ」


 嫌な予感とともに、僕は恐る恐る光が指し示す方を向く。茂みの一角で、幾つもの小さな発光体が宙を漂っていた。

 まさか人魂?

 一瞬ぎょっとしたが、すぐにそうじゃないと気付く。


「……あれは蛍だよ」 


 ほっとすると同時に、とても得した気分になる。

 なんといっても夏の風物詩。生で見られたのだから幸運だ。

 けれど、その満足感も長続きはしない。


「そっちじゃなくて、その少し上の方よ」


 驚いて上を見ると、そこには枝振りの良い木の幹が突き出ていた。けど、ただそれだけだ。


「何も……いないけど」


 ひょっとしてからかわれたのかな?

 そう思って振り返ると、彼女は至って真面目な様子。 


「……そう。あなたには見えないのね。まぁ、それが普通よ。人と霊との関係って相対的なものだから。相性次第で、何となく不気味に感じる程度だったり、姿を見ることができたり、場合によっては普通に会話できたりもするわ」

「へ……へえ」


 相槌を打ちながらも、僕はちょっと引いてしまった。 

 この娘、オカルトマニアなのかな? まさか電波系ってやつじゃないよね?

 若干不安はあったけれど、肝試し中の会話としてはまぁ許容範囲といえなくもない気がして、ひとまず話を合わせることにした。


「ちなみに、さっきは何が見えたの?」

「別に大したものじゃないわ。害があるわけじゃないし」


 そう言われると、是非とも聞いてみたくなるのが人のさがってものだろう。というか、彼女もそれを期待して、そういう言い方をしたんじゃないのかな。

 それで、つい僕は余計なことを訊いてしまった。


「ええー、気になるなぁ。教えてよ」

「別にいいけれど」


 そして彼女は淡々と語り出す。


「首を吊った女性がいたのよ。死んだ自覚もなく、ずっと苦しみ続けているの。でも大丈夫。身動きが取れないから、こちらに手出しはできないわ」


 確かにさっき見た時、あそこには縄をかけるのによさそうな枝があったけれど……。

 僕はそっと茂みを振り向いた。


 すると蛍が、

 すごい数の蛍が、

 群れをなして蚊柱ならぬ蛍柱になっていた。


 それは丁度、木の枝から垂れ下がる何かにたかっているようにも見えた。その雲霞うんかのごとき発光体が右に左に揺れ動くさまは、まるで誰かが身悶えしているかのごとくで――

 ふと、背後に気配を感じた。 

 彼女じゃない。だって、既にあの子は僕の少し先を歩いているのだから。

 生ぬるい微風が肌を撫でる。

 ぞわりぞわりとおぞけが走る。


 ――ごくり。


 唾を飲み込んで、僕は慌てて彼女のあとを追った。

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