孤独な夏
中学一年生の夏休み、僕は壮絶な親子ゲンカの果て、とあるボーイスカウトの夏合宿へと放り込まれていた。生活態度が悪いとかなんとかで揉めた後だから、性根を叩き直してこいってことなんだろう。
そんなわけで、山でキャンプをしたり、川では清掃をしたり、夕食を一緒に作ったりと、話だけ聞けばそれなりに楽しそうな生活を送ることになったのだ。
けど、まったく面白くなんてなかった。
なぜなら、僕はいつも除け者だったからだ。
合宿の参加者がみんな以前からの知り合い同士だったせいか、ろくな自己紹介の場もなく、おまけに班行動だというのに僕には決まった班もなかったのだ。呆れたことに大人の指導員も見て見ぬふりというありさまで、仕方なく僕は小判鮫のように適当な班について回っていた。
もちろん、ときには「班に混ぜてくれ」と声をかけたりもした。
けれど、彼らの返答は決まってこう。
「えー。だってお前さあ……。なんか、仲間と思えないんだよなあ」
こんなやり取りを何度か繰り返した末に、とうとう僕が癇癪を起こしたのも当然だろう。
「じゃあどうしたら仲間になれるんだよ!」
すると、責任感の強そうな班長の少年は困ったような顔で、大人達と相談してくると言い、やがて戻って来るとこんな提案をした。
「今晩、肝試しがあるだろ。そこで絆を結んだら仲間に入れる、ってことでどうかな?」
◇◇◇
その晩。
満天の星空の下、暗い暗い森の入口にある、古びた神社のお社に僕らは集った。
みんな提灯を片手に気合いの入った浴衣姿で、昔の村祭りといった風情だ。一方、僕ときたら浴衣を持参していなかったので、一人だけ提灯と洋服というミスマッチぶり。それにしても、普通この手のイベントは怖いのが嫌だからと参加しない人も多いものだけど、この合宿の肝試しに関しては、みんな心待ちにしているようだ。
ま、理由は想像つくけれど。
指導員のおじさんが、ぱたぱたと団扇を扇ぎながら説明を始める。
「さて、見ての通りこのお社の裏手から森の奥へと道が続いている。君達には、提灯をもってその道を進んで行ってもらうぞ」
まったく提灯とか勘弁して欲しい。
あまりに頼り無さ過ぎるし、遠目には人魂みたいで不気味じゃないか。
「道は三本あるが、男子は一番左手の道、女子は右手の道へ進むこと。それぞれの道の途中には男神様と女神様のお社が建っていてな。お社の前には人数分の石があるから、それを一つ取って先へ進め。そのうち道は奥社で合流する。ここで――はい、いよいよお待ちかね!」
にやりとおじさんが笑い、急にみんな浮き足立つ。
「奥社に着いたら、そこで誰かと一緒になってここ石積社まで帰ってくること。絶対に一人だけで帰って来るんじゃないぞ。帰り道は真ん中のものを使っていいからな。戻ったら、お社の前庭にそれぞれの石を重ねてお供えだ。これで絆石が完成――友情だろうが愛情だろうが、末永く結ばれますとさ。いやぁ、いいねぇ青春ってやつだ!」
つまりはそういうことだ。
別にみんな肝試しそのものに興味があったわけじゃない。
「これは元々、この地に伝わる縁結びの儀式なんだ。男神女神の社にある石は、二つで一つの夫婦石でな。昔はこれを奉納した男女は、そのまま社で情を交わしたとかいう話だ」
「先生ー、情を交わすって何ですかー? 具体的に教えてくださーい」
「お前なぁ、本当は分かってるくせに訊くんじゃないよ」
ぎゃはははは。
笑う。みんなは笑う。
すると、急におじさんは真面目くさった声を作り、
「もっとも、このイベントでは二人一組である必要はないぞ。参加人数からして奇数だから、二人一組だと必ず誰かあぶれてしまうしな。基本的には、何人かのグループで帰ってくること。ま、めでたく成立した男女ペアに関しては、そっとしておいてやれ。分かったか?」
はーい。
みんなの元気よい返事を聞いたおじさんは、うんうんと満足気に頷いて、
「最後に、この肝試しのキモってやつを話しておこう。この儀式はいわゆる『行きはよいよい帰りは恐い』ってやつでな。選ばれなかった者の怨念か何か知らないが、帰り道に一人だと……いつの間にか見知らぬ誰かがついて来るらしいぞ」
と――その時、暗闇の中に生首が出現した。
「うおっ!」「きゃああ!」
一部の連中が叫び声を上げるが……。
何のことはない。男子の一人が、忍ばせていた懐中電灯で顔を照らしただけ。どよめきはすぐに馬鹿笑いに取って代わられる。
やれやれ、もううんざりだ。
別にこういうノリが嫌いなわけじゃないけれど、疎外されている状況ではいらいらが募るだけ。そんな心境が表に出ていたのか、近くにいた班長がぐっと親指を突き立ててくる。
分かった。分かってるよ。
奥社で君達と合流して、ここに返ってくればいいわけだ。理由はよく分からないけど、ここでみんなに認められるには、そんな通過儀礼が必要なんだろう。ま、郷に入っては郷に従え。僕はこの肝試しで、晴れてみんなの仲間入り。今のところ距離を置いた感じだけど、戻った頃には打ち解けてくれるんだろう。
そんなことを考えながら、何気なく視線を外すと――
あの彼女が、じっと僕を見詰めていたのだった。
彼女はとても美しい。
小柄ながら手足はすらりと長く、少しきつめの印象だが整った目鼻立ち、肌は雪のように白く、豊かな髪は腰まで伸びて艶やかに輝いている。その存在感は圧倒的で、なんというか浮世離れした和風美人だ。班員ではなかったけれど、たとえそうだったとしても、引け目を感じてとても声なんてかけられなかっただろう。
けれど、そんな彼女がどうしたわけか、時折こんな風に僕を見詰めてくることがある。
周囲に人がいないときなどに、ふと目線を上げると目が合う、なんてことは何度もあった。理由に心当たりはないけれど、誰もが僕を厄介者のように扱う中、唯一彼女だけが気にかけてくれているようで、次第に僕は彼女に惹かれていったのだった。
そして今、彼女は僕を凝視したまま、ずっと視線を外そうとしない。
ひょっとして、浴衣を着ていないせいだろうか。残念ながら、僕は女子の関心を惹くほどの外見ではないけれど、我が道をゆく彼女もまた浴衣姿ではなく、黒いワンピース姿だったからだ。
ゆっくりと彼女がこちらに近付いて来る。どきりと心臓が高鳴って、脈拍が加速する。
けど、彼女はすっと僕の脇を横切って、そのままどこかへ行ってしまった。
ま、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「……ん?」
いつの間にか、僕の手の中には折りたたまれた紙切れが挟まっていた。
ひょっとして、これを渡すのが目的だったのか? にしても、せめて一言くらい声をかけてくれればいいのに。
そんな事を思いつつも、仄かな期待を胸に僕はそっとそれを開く。
『奥社で待ってます』
書いてあったのはそれだけだった。
一体どういうことだろう? まるでちんぷんかんぷんだ。
でも、これってひょっとして……!
そんなこんなで頭を悩ませているうちに、肝試しは始まっていた。
みんなとっくに出発した後で、僕は慌てて提灯を手に取り、涙目で左手の道へと進む羽目になる。