虚無の宙域(5)
虚無宙域──銀河の腕部と腕部の間の星間物質の極端に少ない空間。そんな場所を選んでの『大遠距離ジャンプ』が終了した。
海賊の相手をしたり船体の修理をしたりで、予定の航海日程に大幅の遅れが出ていた。どうしても、『大遠距離ジャンプ』は必要な試みだった。
予定通りに着いてこその定期航路である。第七十七太陽系への到着を心待ちにしているのは、何もギャラクシー77に乗り込んでいる移民だけではない。現地の農場経営者、鉱石採掘公社、各種加工品の輸出業者達も、同じように年に一度の移民船の到着を、今か今かと待ち望んでいるのである。
出荷が先延ばしになれば、その分の倉庫代が上積みされる。農繁期に、想定していた労働力が手に入らなけれは、収穫期を逃してしまうかも知れない。現地の生産工場も、地球からしか得られない貴重な化学物質や、精密工作用の機械・精密部品が入手されないとなると、ラインがストップしてしまう。それはそのまま、業績や株価に反映するのだ。
それに、遅延が出た場合に船や財団に課せられるペナルティも半端ではない。汎銀河レベルの交易路を独占しているのだ。世間でも、『それが当たり前だろう』との認識を持たれていた。
──これ以上の遅延は、何としてでも防ぎたい
船長や航海長のみならず、それは船のメインスタッフの共通認識となっていた。
「『大遠距離ジャンプ』、終了」
「船内各部、点検開始。見張員、全天観測開始して下さい」
ブリッジでは、『ジャンプ』を終えて各部門にチェックと安全確認を促す連絡で沸き立っていた。
だが、そんな時、ブリッジのメンバーは、<ゾクッ>とする怖気を感じた。そして、各部局への通信が途絶してしまったのだ。状況が不明瞭な中、遂に船長は決断した。
「伝令を送れ! 操船室と機関室が最優先だ。その他の部門へも急がせろ」
聞き慣れない『伝令』という言葉に、ブリッジの誰もが戸惑ってしまった。
「伝令って、どうやって?」
誰かがそう発した。答える船長の声に、不機嫌な様子がありありと見えたのは、致し方無いだろう。
「足があるだろう。走るのだ。ただし、不測の事態に備えて、第二種作業装備の着用を許可する。船務長、伝令員の人選は任せる」
この時点で、船務長は『伝令』の意味を確実に理解していた。
「はい、分かりました。通信管制オペレータを残して、ブリッジ要員は直ちに集合!」
この言葉に、ブリッジの誰もが席から立ち上がった。中央に歩み出た船務長の下に、わらわらと人集りが出来る。
「伊藤、八田、記録係を頼む。瀬戸内と茶谷は、ホワイトボードを用意してくれ。そしたら、そのまま書紀の任に当たれ」
『了解しました』
方針が決まってしまえば、初動は速やかだった。三人一組で班が結成される。何かあった時に、一人が連絡要員としてその場を離れる訳だが、異常事態に対応するのに一人では心許無いからだ。
船務長は、まず二チームを操船室と機関室に向かわせた。少し遅れて、三番目が医療センターへ向かう。一般の乗組員達の些細な負傷であれば、その場の者が応急処置をしてくれるだろう。だが、もしパイロットに何かあった時には、船の一大事である。念を入れておくに越したことはない。
その後、少しの間、船務長は集まったメンバーを前に何かしらを話した後、ほぼ三分の二の者達が船内の指示された方向に散っていった。
最後に船務長はキャプテンシートを振り返ると、
「船長、意見具申があります」
と、真剣な顔で口を開いた。
一方、ここは船の船殻甲板に近いエリア──保安部の訓練室である。どこもかしこもが通信途絶で混乱した中、ここだけは秩序を維持していた。
「おらぁ、気張ってこげ。若いんだろう、お前らは」
訓練課の鬼コーチが、大声で怒鳴っていた。叱咤されていたのは、トレーニング用とも思われるエアロバイクをこいでいる者達だった。誰も彼も汗だくである。
「こ、コーチ、ま、未だ……畜まらない、ですか」
その中の一人が、息も絶え絶えに訊いた。
「未だまだだ。半分にもなっていないぞ。電源が落ちたら何も出来なくなるんだ。気張ってこげ!」
そうなのだ。緊急時の保安出動のための電力を確保するため、人力で発電機を回しているのである。自転車で……。
そんな時、訓練室の出入り口の方で何かの音がした。
「何だ? 佐藤、見てこい」
「了解しました」
よく通る声がした後に、<ドタドタ>という足音が聞こえてきた。佐藤が入り口の扉を手動で開くと、そこには息も絶え絶えの三人の男がへたり込んでいた。
「何だ? どうしたんだ、お前達」
様子を尋ねるも、息が上がっていて声が出ない。
「どうした?」
見かねたコーチがやってくると、三人のうちの一人が、何かの端末なようなモノをようよう差し出していた。
「これか? これを持って来たのか?」
佐藤が再度訊いたが、汗だくの彼は、首を縦に振るのみだった。
「おやっさん、何でしょう」
「見て分からんか。端末だよ、端末」
「端末? 何のでしょう」
不思議そうな佐藤をよそに、コーチは5インチほどの縦長の端末のスイッチを入れた。すると、その画面が瞬いて、音声とともに映像が流れ始めた。
<保安部の諸君、無事だろうか。現在、本船は原因不明のシステムダウンに見舞われている。各部門との連絡が途絶しているため、伝令でこのメッセージを送る……」
動画の主は、船長であった。
「伝令って、……じゃぁ、こいつら、ブリッジからここまで走って来たのか。そりゃあ、こうなるわな」
「静かにしてろ」
三人とも、普段は端末の操作をするだけのブリッジ要員だ。長距離の全力疾走で、体力を使い切ったのだろう。
船長の言葉はまだ続く。
<船内外に不測の事態が予想される。保安部には、全力をもって船の治安維持にあたって欲しい。一般乗組員の誘導、及び事故対応・必要物資の配給などだ。特に、移民街区で騒乱が発生した場合には、直ちにそれを鎮圧せよ。治安維持行動にあたっては、第三種船外作業用装甲服の着用と、各人の判断での発砲を許可する。船のダメージの詳細等は、伝令員から聞いて欲しい。以上だ>
ここで、船長のメッセージは終わっていた。これこそが、船務長からの意見具申の内容であった。
「なるほどね。佐藤、この辺に残っている保安部員を一人残らず集めてくれ。俺は、部長のところへ行ってくる。それから、こいつらには、水……いや、スポーツドリンクをやっておけ。慣れないマラソンでへばっているらしいからな」
「了解しました」
佐藤と呼ばれた保安部員はそう答えると、トレーニング室の中央へ走って行った。コーチはと言うと、天井を見上げて一息吐いた後、ふらりと歩き出した。目指すは部長のところである。
十五分ほど経った頃、トレーニング室の中央には数十人の保安部員が集まっていた。それも精鋭の。
彼等を前にして、部長が携帯用のメガホンを取り上げた。だが、集まった保安部員達は、事態の大枠──少なくとも自分達の為すべき役割りを悟っていた。
「大方のことは聞き知っているとは思うが、本船は現在、異常事態に遭遇している。ブリッジからの伝令員によれば、『ジャンプ』の直後に操船室や機関室をはじめとした船内の各部局との連絡が途絶しているとのことだ。また、電力供給もままならない。我々保安部には、船長から船内──特に居住区と移民街区の治安維持を最優先に任された。各員とも船の安全確保の為に全力を尽くして欲しい。これからの行動の詳細は、警備課長にお願いする。以上」
短いが、部長からの言葉は、部員達を奮い立たせた。
その後、警備課長からは、次のような行動目標が提示された。
一つ、各員三人一組でユニットを作り、協力して行動に当たること。場合によっては銃器の発砲を許可する。
一つ、二個ユニットは操船室へ向かい、先行しているはずのブリッジ要員と共に、パイロットの生存確認と、ESPエンジン復旧の支援を行う。必要があれば、医療センターの協力を仰ぐ。
一つ、一個ユニットは機関室に向かい、状況把握と機関の復旧を支援する。
一つ、一個ユニットはブリッジからの伝令員と共に、船長へ報告に向かう。
一つ、残りのユニットは、船の居住区、及び移民街区へ向かい、現場の部員と協力して治安維持活動をおこなう。
尚、移動には電動アシスト自転車を利用し、迅速に行動すること。更に、不測の事態には各人の判断で避難もしくは撤退すること、などが伝えられた。
「これが、現時点で最善と考えられる行動だ。だが、今は、船内の様子がよく分かっていない。各員、臨機応変に対応すること」
警備課長の言葉が終わると、この場に集った全ての者達が首を縦に振った。
「それでは、各ユニット各員は、決められた行動にあたれ。保安部員、出動!」
この言葉の直後、集まっていた保安部員達は蜘蛛の子を散らすように、それぞれの為すべきことのために、四方へ散っていた。
「そうかぁ、自転車かぁ。それは思いつかなかったな」
ブリッジからの連絡要員の一人がそう呟いていた。
「こっちの方が、遥かに楽チンで、いざという時には発電機にもなるんだぜ。便利だろう」
「そりゃあ、便利には違いないけど……」
(ブリッジの保管庫には、自転車なんて旧時代の物は置いてないんだよ。結局、俺達は保安部まで走るしかなかったんだよ、ちきしょうめっ)
彼は、心の内でそう思ったものの、実際に口に出すまでの気力はなかった。ついさっきまで、長距離の全力疾走で、床に這いつくばっていたのだから。
だが、さすがは自転車。ブリッジへは、来る時の四分の一以下の時間で戻ることが出来た。
「南・桑田・坂井、只今戻りました」
船務長の前まで近づくと、開口一番にそう伝えた。書記係が名簿に線を引く様子が、目の隅に写る。
「報告」
「報告します。保安部に船長のメッセージを手渡し、今後の治安維持活動を依頼しました。保安部各員は、直ちに所定の行動を実行に移しました。詳細は、保安部からの伝令員より説明があります。以上」
報告を聞いて、船務長も船長も、満足そうに頷いていた。
「ご苦労さまでした。所定の区画で休息を取るように」
「ありがとうございます。南以下三名、休息に入ります」
そう復唱した後、三人はブリッジの一角に敷かれているブルーシートへ向かった。
(これで、やっと休める)
彼等の頭の中には、今はそれしかなかった。
「船務長、君の提案は的確だったようだな」
船長は、キャプテンシートから、ホワイトボードの前の船務長に声をかけた。
「船の現状が把握しきれていませんから。保安部員の安全の為にも、発砲許可は必須です。それを間違いなく伝えるには、アレしか思い浮かばなかっただけです」
アレとは、保安部に渡されたメッセージ端末のことだ。船長直々の命令であれば、誰はばかること無く活動できる。
「ですが、問題なのは……」
「そうだな。問題は、操船室の状況──茉莉香ちゃんの身に何が起こったのか。無事だといいのだが」
そうは言ったものの、船長には自信がなかった。
パイロットである茉莉香が無事であれば、とっくにESPエンジンの能力で船を立て直している筈だった。それが、今に至っても音信不通である。何も起こっていない筈がなかった。本当に問題なのは、『只の人』でしかない彼等にESPエンジンの不調を少しでも改善出来るかどうかなのだ。
唯一特別な能力を備えたパイロットにしか運用出来ないような、ブラックボックス化してしまったESPエンジンの弊害が露見してしまった。このままESPエンジンが動かなければ、ギャラクシー77全体が宇宙の藻屑と消えてしまうことは間違いない。
そんな思いに囚われていても、彼等には、座して待つ以外のことが出来ずにいた。
一方、操船室では、パイロット──橘茉莉香は、強烈な嘔吐感と息苦しさから、やっと開放されたところだった。
「……うぐっ、やっと治まった。うえっ、気持ち悪い……」
いつもなら不貞腐れたように聞こえる言葉も、今は息も絶え絶えだった。吐瀉物がこびりついた口元を拭う腕にも、思ったように力が入らない。
(『彼』との繋がりが切れちゃってる。このまま引き籠り状態が続いたら、船の皆も諸共に遭難しちゃう。せっかく生き直すチャンスを掴んだシャル達も、能力に目覚めたコーンも。それに、お母さんだって、船長さんや機関長さん、参謀さんだって。皆頑張って今日まで生き延びたのに。何とかしなくちゃ。あたしが何とかしなくちゃ。パイロットなんだもん)
そう思って渾身の力を込めようとしても、腕も足も思うように答えてくれない。自分の身体ではないみたいだ。
(脳神経だけの存在になるって……こんな感じなのかな……)
思ってから、不謹慎だとその考えを拭い去る。『彼』──ESPエンジンの心臓部は、もっと苦しい思いをしているに違いないからだ。
茉莉香は、芋虫のように蠢いて、やっとこさ操船室の床に仰向けになることが出来た。後頭部が吐いた汚物で汚れたが、構ってはいられない。酸っぱい臭で再び吐き気を催しそうになるが、無理を承知で我慢する。これ以上、体力は削れない。
(さっきまでの、あの気持ち悪い感覚。何なのかは分かんないけど、ESPエンジンに干渉してきた。『彼』は、それから逃げ出したくて殻に閉じ籠ったんだ。お陰でフィードバックが無くなって、楽にはなったけど……。エンジンの中核部分だけじゃなくって、そこらじゅうをESPシャッターが覆ってる。ここと同じように、機関室も隔壁が降りてロックされてんだろうな……)
少ないながら、情報を整理して考える。
船長も航海長も、ここは本来的に何も無い空間だと言っていた。それは間違いでは無い。実際に、有質量の物体は検知されなかったのだから。だが、それ故に、人々の興味を惹くことの無い未調査の宙域でもあった。
──何が起こっても不思議はない筈だった、その兆しも確かに有った
(迂闊だったわ……)
今更悔やんでも仕方が無い。この虚無のような空間に入り込んだ時に感じた悪寒、気持ち悪さ、それから……。
(最初から『彼』は怯えていたんだ。その所為で、リンクしていたあたしも気持ちが悪くなっちゃうくらいに。あたしさえ我慢して頑張れば、何とかなるなんて……。バカだ、あたし。思い上がってた。本当に頑張ってたのは、『彼』だったのに……)
いつの間にか目尻に涙の玉が浮かんでいたが、それにすら茉莉香は気が付かなかった。現状を打破し、何とかして虚無宙域から脱出しなくてはならない。その為には、『彼』の能力が要る。『彼』を起こさなければならない。
(でも、どうしたら……)
少しだけ戻ってきた気力を使って、首をねじった。向いた方向には、コンソールのパネルが淡い緑の光を瞬かせていた。遠いのと目が霞んでいるのとで、表示され続けている情報や数値までは分からなかった。でも、
「よかった。まだ、動いてる……」
ようやく声が戻ってきた。とは言え、隙間風がたてる口笛のようで、本人にさえ気が付かれなかったが。
「……もう少し。もう少しだけ。そしたら……」
立ち上がれるようになる。そうでなくとも、パイロットシートには、よじ登れるようになるだろう。
コンソールから放り出される間際に、ギリギリで打ち込んだスクリプト。それが機能して、辛うじて生命維持管理システムが生きていた。重力も、エアも、温度も。だが、それだけだった。
「大丈夫。まだ何とかなる。死んでないし。……まぁ、ESPシャッターが降りまくってるから、各部署の通信網は、お釈迦だろうなぁ」
そこで、少女はやっと気がついた。自分が声を出していることに。
「うーっ、ガンバだ。明かりも点いてる。息もできる。寒くもないし……」
敢えて声に出す。そうしたら、実感が湧いてきた。
「あたし、……生きてる」
──だから大丈夫だ
「千まで数えたら立ち上がる。立ち上がれる。待っててよ、皆。絶対に、あたしが何とかするから」
そして、こんなおっかないトコロからは、さっさとおさらばするのだ。
「あっ、その前にシャワー浴びなきゃ」




