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至るべき星へ向かって(8)

 ここはギャラクシー77の操船室(パイロットルーム)。『ESPエンジン』を制御する機能が集中する船の中枢の一つだ。


 夜が明ければ発進という時に、(たちばな)由梨香(ゆりか)はここにいた。

 船の最需要人物──『ESPエンジン』のパイロットである茉莉香(まりか)は、彼女の娘だ。

「ふぅ……。もう、こんなに散らかして。しょうがない()ね」

 深い溜息を吐きながら、由梨香は室内を片付けていた。


 先代のパイロットは、晩年になって身体を壊していた。人生の残り三分の一をほぼ寝たきりとなり、彼は事実上この部屋に軟禁状態になっていた。そのため、生活に必要な設備は、他のスタッフルームと比べると遥かに充実していた。

 空調は勿論のこと、ベッド,テーブル,ソファ,洗面台,台所,冷凍冷蔵庫,トイレ,シャワー室,収納設備,全自動洗濯乾燥機,その他,その他……。

 間仕切りとなる衝立で仕切れば、簡易的にだがゲストルームも(しつら)えることが出来る。

 壁に作り付けられた大型のモニタパネルは、『ESPエンジン』の制御や航法コントロール、船の中枢電算室の巨大AIとの接続は勿論、『普通のご家庭』に備え付けのディスプレイシステムと同じ使い方も出来る。即ち、船内ネットワークで配信されているコンテンツを観る事もできるのだ。と言うことは……、ネットで映画やゲームを楽しむことが出来ると言うことになる。

 欲しい物がある時は、ネットワークを通じて注文すれば、その日のうちに配達される。

 要らない物は、適当にゴミ袋に突っ込んで外に出しておけば、毎日巡回している清掃係が回収していってくれる。

 これだけ至れり尽くせりの設備が完備された中に、十六やそこらの少年少女を放り込んで一人にしておいたら……。結果として、どういうことになるかは容易に想像できるだろう。ましてや茉莉香は、母と小さな分譲住宅(アパート)に同居していた時ですら、自他ともに認める『ズボラ』だったのだ。

 結果として、子供一人にはあまりに巨大な部屋の中は、ゴミと洗濯物で散らかることになる。


「全く……。一体誰に似たのかしらね」

 由梨香は、もう十何度目かになる愚痴をこぼしていた。

「あらら……。下着も部屋着もごっちゃにして脱ぎっぱなし。確か、この部屋って、偉い人とかも来るんじゃなかったかしら。我が子ながら、恥ずかしいったらありゃしない」

 彼女は、散らかった服を拾って大きな洗濯袋に放り込んでいたが、それも収容量の限界を迎えつつあった。

「全自動の洗濯機もあると云うのに……。でも、女の子の洗濯物を人様の見えるところに置くなんてみっともないし……。洗濯機の置き場所は、変えてもらわないと。誰に頼めばいいのかしら? 船長さん? でも、あの人はお忙しいから……。まさか、あの『太っちょさん』にお願いする訳にもいかないし。……困ったわね」

 例の『太っちょさん』とは、言わずもがな。彼曰く、優秀な技師を束ねる機関長のことだ。彼は、『差し入れ』と云う名目で得意の手作りスイーツを持って、操船室に度々出入りしている。母の由梨香と出会うことも、自然と多くなる。その上あの体格である。記憶に残らない方がおかしい。


 しばらくは洗濯物と洗濯機を交互に眺めていた由梨香だったが、再度「ふぅ」と溜息を吐くと、巾着のようになっている洗濯袋の口を絞って閉じた。

「これは持って帰りましょう。家でお洗濯しておかないとね。色柄物も混じっているし。あの娘に任せたら、適当に全部まとめて洗濯機に突っ込みかねないわ」

 そう呟くと、パンパンになった袋を持ち上げて、出入り口付近へと移動させた。

 そんな時、部屋の奥から彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「お母ぁーさぁーん、あたしのパンツどこぉー」


(まったく、もう……)


 由梨香は心の中でボヤくと、踵を返した。

 無駄に広い操船室の中を横切りながら、

「着替えはどうしたの? 持って入らなかったの、茉莉香」

 と、一人娘の声がしたシャワー室へ返事をした。

「えー。ここに置いといたのにぃ。お母さん、知らない?」

 声のする方向には、開け放したシャワー室のドアがあった。そこには、頭にバスタオルを巻き付けただけの少女の姿があった。

「もう、何をしてるんですか、濡れたままで。タオルくらい巻きなさい。年頃の女の子が、そんな格好をして」

 母が苛つくのも仕方がない。茉莉香は、シャワーを浴びたそのままの姿で、外に出ようとしていたからだ。

「誰かが入って来たら、どうするの! はしたないったら、もうっ」

 そう言いながら、つかつかと近づいて来た由梨香は、茉莉香の頭に巻かれたタオルを乱暴に引っ掴んだ。そのまま半分湿気ったタオルを片手の一振りで広げると、少女の肩から全身を巻くように被せた。

 もうすっかり慣れきっているのか、神業に近い速度である。

「むぅ、お母さん、乱暴」

 反発する娘に、

「自分の身体くらい、ちゃんと拭きなさい。床が濡れるでしょう。ただでさえ散らかっているのに。そのうち苔が生えますよ」

 と、釘を刺しながら、母は幼いパイロットの身体を手早く拭いていた。

「苔なんか生える訳ないじゃん。カビなら分かるけど」

 少女の屁理屈に、その母は、

「もっと質が悪いでしょう。病気になっても知りませんからね!」

 と一括し、一仕事終えて濡れたタオルを持ってその場を離れようとした。

「ちょっ、お母さん。あたしのパンツはぁ」

 その声に、由梨香の足がピタッと停まった。背中側からでも、その肩が小刻みに震えているのが見えそうなものだが、茉莉香は全く気にもとめていなかった。

「だから、大きな声で言わない! いつまで裸のままでいるんですか、あなたは‼」

 その声音から、今、母がどんな顔で返事をしているのかを分かっているのかいないのか。

「だって、パンツ、どっか行っちゃったんだもん。無くなっちゃった」

 と、茉莉香は素知らぬ振りで応えていた。

「汚れ物は、まとめて回収しましたっ」

 そう言い捨てて、由梨香は壁際まで歩みを進めた。そして、そこに鎮座している全自動洗濯乾燥機の扉を空けると、手に持っていたバスタオルを乱暴に放り込んだ。

「ええっ。ここに置いといたヤツも?」

 茉莉香の言葉の意味を理解した母は、洗濯機の扉をバタンと閉めると、今度こそ娘を振り返った。

「茉莉香、あなたねぇ、それはさっきまで履いていたのじゃないかしら。新しいのはどうしたの?!」

 その場で腕を組んでいる母は、今にも角が生えてきそうな勢いだった。

「えー。だって、お気に入りだったのにぃ。まだキレイだし……」

 ボソボソと言い訳をする少女に、

「黙らっしゃい!」

 と怒鳴りつけた由梨香は、カッカッカッと早足で近づいて来た。

「下着くらい履き替えなさい。女の子でしょう、あなたは。汚れたままの下着なんて気持ち悪くないの!」

「……ぅぅぅ」

 母の云うことも尤もである。

 だが、時々はこうやって由梨香が片付けにやって来ているものの、宇宙海賊との戦闘や、その後の後始末のために、茉莉香はここのところ操船室に籠もりっきりになっていたのだ。たまに家に帰って来た時も、日付が変わっていることの方が多い。ワーカーホリックと云うのか、ブラックと言うか……。児童福祉法に抵触しそうなものだが、彼女はギャラクシー77でただ一人のパイロット──『ESPエンジン』の中枢部に据えられている超能力者の生体脳にテレパシーでアクセスできる特殊超能力者なのだ。


──個人の尊厳よりも船の安全が優先される


 この単純明快な理屈によって、超法規的に許されているだけだ。

 その本来であればありえない状況の中で、これまでと変わらずあっけらかんとしていられるのは、茉莉香だからこそかも知れない。

「じゃ、じゃあ、その辺に掛けてあったジャージ、取ってくれる? それでいいや」

 少女は少し不貞腐れた様子で、未だ湿気っている頭をガリガリと掻いていた。

「ジャージですって? だいぶん汚れていたから、回収しましたよ。洗濯はお母さんがしておくから、他のきれいな服を着なさい」

 そう言えば、ソファやコンソール周りがスッキリと片付いている。茉莉香の活動圏内に脱ぎ散らかしていた洋服類は、殆ど由梨香によって回収されていた。

 袋に入り切らなかったものは、さっきの全自動洗濯機の中である。しかも、ついさっき、母によって起動ボタンが押されたばかりだ。

 下洗い機能の他に、適切なタイミングで洗剤やソフナーを投入する機能を備えた自動機械は、AIのサポートによって最適化されたプログラムに則って、衣類の乾燥までを貫徹する。

 既に動き出しているとあっては、完全にロックされた蓋をこじ開けて、目的の服を取り出す事(あた)わず。

「えぇー。じゃーあ、あたし、何着とけばいいのよ」

 茉莉香は生まれたままの姿で不貞腐れると、その場にしゃがんで胡座をかいた。

「しばらくは、これで我慢なさい」

 由梨香はそう言い捨てて、乾いたバスタオルで我が子を包んだ。そして、いつの間に取り出したのか、大型のドライヤーを手にしていた。握った手でスウィッチをオンにすると、<ブオォー>という音とともに温風が吹き出し始めた。大容量の電力は、電磁誘導によって無線で供給される。

 しばらくそのまま駆動させ、温度が上がるのを待つ。

 由梨香は自分の頬へ風を当てて、充分に熱風になったことを確認すると、座り込んだ少女の頭へ吹出し口を向けた。

「あ、アチィ! 熱いよ、お母さん」

 娘の苦情を気にも止めず、彼女の頭を左手で掻き回しながら、

「我慢なさい。ちゃんと乾かさないと、大変なことになりますよ」

 と、母は一蹴した。

「ぅぅー。髪なんて放おっておけば乾くのにぃ」

 如何にもズボラな茉莉香の言いそうな言葉だったが、

「折角きれいな髪に生んであげたんだから、大事にしなさい」

 と、これも聞き入れてくれない。

「ぶすぅ」

 これも普段通りなのか、しばらく由梨香は、娘の髪を乾かす作業を進めていた。時々、風を少女の身体に向けたりして、冷えないようにする。こんな細かい気遣いを知ってか知らずか、茉莉香はムスッと不貞腐れたまま、じっとしていた。

 しばらくして髪を乾かし終えると、風の温度を落としてゆっくりと冷ます。


「はい、出来ましたよ」

 その言葉通りに、茉莉香はサラッサラの頭髪を手に入れていた。

「お母さん、パンツわぁ」

 何もかもやってもらっておいて、尚も要求を続ける子供に、

「これを使いなさい」

 と言って、新品の下着を渡した彼女は、ドライヤーの持ち手を折りたたんだ。勿論、機器が充分に冷えていることを確認済みである。それをシャワー室に備え付けの戸棚に仕舞っていると、

「え〜、これダサいよぉ」

 と、茉莉香は、またも不満を唱えた。しかも、顔の前で白のショーツを両手で大きく広げている。

「何をしているんですか、あなたは。さっさと服を着なさい。いつまで裸でいるつもりですか」

 彼女のお叱りにも、

「だって、カワイくないんだもん。ヤダ」

 と、拒否の姿勢を崩さない。

「じゃあ、どうするつもりなの。ずっと裸じゃ、仕事にならないでしょう」

 母の批判にも無頓着に、

「えー、別に構わないし。スクリプトも組み終わってるから、シーケンスが通ってるのをみながら、コンソールをタップするだけだしぃ」

 と言いながら、彼女は尻を掻いていた。

 多分、航法プログラムか、『ESPエンジン』の制御システムの事を言っているのだろう。しかし、レストランの仕事と家事を両立させているものの、由梨香は門外漢である。専門的なことを言われても、煙に巻かれたようでよく解らない。

「屁理屈を言うんじゃありません」

 彼女は、娘の手前、威厳を崩さないようにした。そう言ってから、茉莉香からバスタオルを取り上げると、カップ付きのキャミソールを無理やり頭から被せにかかる。

「やー、やだよ。これ、子供っぽいんだモン」

「子供のくせに、ワガママを言うんじゃありません」

「だってぇー」

「だってじゃありません」

「お母さん、乱暴」

「ランボーで構いません」

「お母さん、横暴」

「オーボーでも結構」

「ヤダよ、キー」

「暴れない。少しじっとしていなさい」

「だってぇ」

「これっ、茉莉香」


 十数分も、そうやって母娘の格闘が続いただろうか。

 遂に決着はついた。由梨香の勝利である。


「ほら。ちゃんとすれば可愛くなったでしょう」

 そう言って、傍らの姿見を見せるものの、

「ちゃんとしなくても、あたしはカワイイよ」

 と、彼女は拗ねたままだった。

「当たり前でしょう。お母さんの子供なんですから」

 由梨香は、さり気なく自分を誇る。それを斜めに見上げる少女の仕上がり具合は、彼女の満足のいくものだった。

「むぅ」

 姿見を見て、納得したのかどうか……。

 茉莉香はゆっくりと立ち上がると、パイロットシートに向かった。

「……茉莉香?」

 娘の背中に声をかけた由梨香の心に、少しだけ不安がよぎった。

「仕事……しなきゃ。朝になったら、発進だから……」

 シートに腰掛けた茉莉香は、指でコンソールに触れていた。その顔は、もう自分の子供のものではない。


(あの男性(ひと)と、同じ顔……)


 由梨香は知らずしらずのうちに、優秀な機関士だった夫を思い出していた。


──母娘(おやこ)の水入らずの時間は、終わった……


 そんな事を思い知らされた由梨香は、気付きかけた不安の理由(わけ)を封印した。


 汚れ物は洗濯袋の中。

 あと二十数分もすれば、洗い物の乾燥が終わる。

 散らかっていたお菓子や弁当の包装や、他のゴミ類は、分別して回収用のポリ袋に入れた。

 書類やファイルも、整頓して所定の棚に納めた。

 斜めになっていたテーブルや椅子は、部屋の定位置に片付け済み。

 台所の食器も洗って片付けた。

 食べカスや紙クズも掃除機で吸い取った。

 床もきれいに磨いた。

 シワのよったベッドのシーツは、新しい清潔な物に取り替えてある。

 布団も専用の乾燥機でフカフカになった。

 寝具の端にそっと置かれた枕は、茉莉香のお気に入りのもの。

 定温保存棚には、夜食のために簡単につまめるものを用意した。


 これ以上、娘のために何が出来るだろう……。



「お母さん、もう、遅い、よ」



 その言葉に、由梨香はハッとして我に返った。

「あたしは、だいじょぶ、だから。明日も、お仕事、あるんでしょう」

「……え、ええ。そうだけれど……」

 もうとっくに日付は変わっていた。外食店の朝は早い。

「あたし、は、充分、に、休め、た、から。お、母さん、も、お家、で、安ん、で、よ」

 何故か由梨香には、茉莉香の言葉が切れぎれに聴こえていた。

 目眩がしそうになる自分を立て直して、由梨香は娘に声をかけようとした。

「ええ、そうね。じゃぁ、お母さんは帰りますね。ええーっと……」

「分かっ、て、る」

「え?」

「うん。全部、知って、る、から。あ、りがと、お母、さ、ん」


 『ESPエンジン』とのディープリンクを経て、茉莉香の感応力(テレパシー)は、飛躍的に向上していた。しかも、今はESPを制御するメタルバンドが外されている。

 いつの間にか、由梨香の考えは茉莉香の知るところとなっていた。


──全ては言わずもがな


「じゃあ、帰りますね。お母さんがいなくなったからと言って、はしたなくするんじゃありませんよ」

「うん……」



 次に気付いた時、由梨香はもう家路への廊下を歩いていた。

 右手には大きな洗濯袋。左肩には、いつものトートバッグ。

 いつ操船室を後にしたのだろう?

 茉莉香と過ごした時間が、夢の中の出来事のように思えた。


「はぁ……」


 まるで自動操縦(・・・・)から開放されたかのように、由梨香は大きく息を吐いた。

『帰らなくては』

 その気持だけが、何故か強く心に刻まれていた。


 次の朝は忙しくなる──




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