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至るべき星へ向かって(6)

 ゴゴゴゴゴゴゴ……


 超合金と、セラミックと、特殊高分子化合物で構成された巨大な構造物の最深部で、何か大きな力を秘めたモノが再び目を開こうとしていた。


 ここは、ギャラクシー77の心臓部──『ESPエンジン』の本体が据え付けられた機関室だ。

「うぇー。この輻射熱、どうにかならんのか。暑くて堪らんぞっ」

 室内環境に異を唱えた機関長は、左の上腕部に巻きつけたタオルで額の汗を拭った。

「えー、なんすかぁー。よく分かんないっすぅー」

 彼の遥か頭上──主機関を支える構造体を見上げると、その脇腹に組み付いている作業員の姿が認められた。命綱一本で支えられた人影は、機関に比してあまりにも小さい。作業服とヘルメットのその姿は、薄闇の中に熔けそうだった。

「ちっ、あっちの方がもっとキツイか。……しゃーねーなっ。さっさと片して、冷房の効いた部屋でビールでも、って言いたいところだが……。そんなに悠長にはできんか」

 恰幅のいい腹を擦ると、機関長はもう一度汗の珠を拭った。顎を触った時に、<ジャリ>っというざらついた感触が伝わる。顎髭が無作法に伸びていた。そう言えば、もう何日も自宅に帰っていない事を、彼は思い出した。そして、そんな憂鬱になりそうな自分を振り払うように、首を左右にブルブルと振る。

 気持ちが引き締まると、腰に引っ掛けてあったタブレット型端末を引っ掴んで、画面に指を滑らせた。表示画面に浮かんだ、様々な数字や文字列の並びは、機関のコンディションを表わしているのだろうか? それとも、これから新たに入力するパラメータなのか?

 彼は、被っている帽子の鍔を自由な方の手で引っ掴むと、頭の後ろへ向けて回転させた。手に掴んでいる端末の対角線は、十インチを大きく超えている筈なのだが、彼の肥大した体躯や大きな掌との対比で、携帯用の小型端末かと錯覚してしまう。ごっつい太い指がもう一度、端末に触れると、縦長の画面の上半分がチラついて、色とりどりの数本の曲線が描かれたグラフが表示された。その線は、太古に使われていたオシロスコープのように、時間の流れと共に左から右へと様々な値を取って上下している。機関長は、それを神妙な目付きで凝視していた。

「ふぅ……」

 しばらく波形の変化する様子を眺めていたものの、どこかに気に入らないところがあったのだろうか。彼は溜息めいたものを吐くと、頭の後ろをボリボリと掻きむしった。そして、左耳にはめ込んである小型のインカムに触れる。その小さな本体にボタンでも付いているのだろう。彼は、指を何回かインカムに押し付けた。

「おーい、田中(たなか)ぁ。オレだ。主機関の第三ベント、開いてるかぁ? 全然動いてないぞ」

 それだけで向こうは理解したのか。無線で返ってくる返答を聞いているらしく、機関長は黙って何回か頷いていた。

 ひとしきり報告を聞いた後、彼は再度、端末に目を移した。画面に流れる波形を確認してから、耳元のインカムに手を添える。

「よぉーし、上手くいった。流れ始めたようだ。安定したら、次のシークエンスに移ってくれ。……ああ、ああ。頼んだぞ」

 そう言った後、機関長は、インカムの本体を強く長押しした。それで通話終了のようである。

 気がつくと、額に浮かんだ汗が珠となって、頬を伝って顎から滴っていた。

「ふぃー。それにしても、暑っちぃーな。ほんと、何とかならんのかい」

 三度、タオルで汗を拭うと、機関長は更に愚痴をこぼしていた。

 その時、

「何をしとる。文句を言うとる暇があったら、作業を進めんかい」

 いきなり耳に届いた嗄れ声に、

「ひぇっ」

 と機関長は驚いて、飛び退った。

「何やっとるんだ。でかい図体のくせに、こんなちんまい(じじい)が怖いか」

 いつの間に? いや、いつからそこにいたのだろうか? 大柄の機関長を揶揄するような言葉は、小柄な老人から発せられていた。(よわい)を幾つ数えたのだろう? 深い皺の刻まれた顔からは、でっぷりとした大男をも威圧するような眼光が放たれていた。

「ふ、副長。……な、なんで……こんな所に」

 生きた都市伝説は、機関長の様子を気にすることもなく、頭上にそびえる構造物を見上げていた。

「調子は……。ふむ、そうか。問題ないと……。今度の『ジャンプ』は、ちと骨が折れると聞いてたが……。ほう、……なる程な。……じゃが、パイロットは未だ若い。頼んだよ……」

 まるで、誰かと会話をしているような副長の様子に、機関長は声をかけることも忘れて、呆気に取られていた。

 古老は、ひとしきり何かをブツブツと呟いていたが、それも一段落したのか、フイっと(きびす)を返すと機関室の出入り口へと向かおうとしていた。

「ふ、副長……」

 老人とは対照的なでっぷりとした大男は、今の様子が気になって声をかけていた。しかし、副長のゆっくりとした足取りは、その声に気を取られることもなく、機関室の外へ向かおうとしていた。

「あ……」

 もう一度、彼を呼び止めようとして──いや、何かを確かめようとしてか──機関長は言葉を発しかけて、やめた。

 怖いもの見たさと、それを恐れる気持ちが半々だったが、結局、答えは得られないだろうと悟ったからだ。


──あの人は都市伝説なのだ


 出入り口の自動扉がスライドして閉まる音も、エンジンの騒音の中では強風の前の蝋燭の火のようにかき消されていた。今では、先程の老人のことも、実際にあった出来事なのかどうか、機関長には判別できなくなっていた。

「ぬおっ」

 熱気で朦朧としかけた意識を、彼は両の頬を<バチン>と叩くことで取り戻した。発進予定時刻まで間がない。今は自分達にできることを、懸命にやり遂げるだけだ。そう思い直した機関長が、再び巨大な構造物を見上げた時、

「機関長ぉー。夜食が届きましたぁー」

 と、開け放たれたコンルームの扉の方から声がした。

「そうかぁ。もう、そんな時間か……。今行く。他の連中にも教えてやれっ」

 騒音も吹き飛ぶような大声が響くと、太鼓腹の大男は、束の間の休息のためにコンルームへと向かった。

 やるべき事は、未だまだ残っている。それを成し遂げるために、今は腹を満たすのだ。


(お嬢、お膳立ては、オレがしっかりと整えとくぜ。だから、船は任せた)


 一時、機関長の脳裏に、あどけない顔の少女の姿が浮かんだ。それは船に宿った守護天使のように思えたが、その事は彼が息を引き取るその時まで、遂に誰にも語られる事はなかったという。



「『ESPエンジン』のドライブ係数は1.2に上げておいてくれないかな。……ジャンプ到達先の周辺質量には、あまり気を使うことは無いから」

「はい、分かりました」

 打って変わって、ここはギャラクシー77の操船室。機関室と共に、船が航行するために必須の重要施設だ。

 ここで、茉莉香(まりか)は航海長とジャンプ──『ESPエンジン』を使った超光速航法を実施するための細かな打合せをしていた。

「新しく設定し直した航路は、今までに経験したことのない宙域を経由する。でも、心配することはない。下調べも充分できているし、もう宇宙海賊も居ない。茉莉香くんは、出来るだけ航路からズレないように、エンジンをコントロールしてくれれば良いんだよ」

 宇宙海賊の襲撃のために、ギャラクシー77は定期航路を大きく外れ、更に航路日程も遅れに遅れていた。

 酸素も水も皆無の宇宙空間での航行では、安全第一が基本である。ではあるものの、スケジュールを大きく遅れての到着には、ペナルティーが発生する。終点の第七十七太陽系では、船の到着を心待ちにしている業者やトレーダー達がひしめいているのだ。それに、充分な備蓄と生産能力を持っているとはいえ、船内の物資も、予定に遅れが出れば余分に消費してしまう。どちらも、船にとっては金銭的なマイナスとなる。そして、何よりも航路運営会社の信用に関わるのだ。

 銀河を行き交っての物資や人員の移送は、慈善事業でやっている訳ではない。宇宙船の建造にかかった費用が初期コストなら、航行・保守・事務処理にかかるのが運用コストだ。

 財団や会社は、恒星間移送で得た利益でもって、かかるコストを償却しなければならない。のみならず、今後の利益確保を見込んで、(『ESPエンジン』さえ生産出来るならば)新たな宇宙船の建造や、既存船舶の近代化改修を進める必要もある。

 そんなご時世では、これ以上スケジュールに遅れを出すことは赤字を積み重ねることに等しい。船の運行スタッフとしては、出来るだけ早く到着させられる策を採るのは、至極当然のことであった。

「でも、航海長。この航路って、どうして今まで使ってこなかったんですか?」

 航海長の説明を聞いていた茉莉香は、正面の大型ディスプレイに表示されている星間マップを見ながら、そんな質問を投げかけていた。

「え? ……えーっと、まぁ、色々な事情が有ったんだよ」

 彼は、少し戸惑っているようだった。

「なんていうか……、こう言った銀河の()()の間の空間は、全くと言っていいほどに充分な調査が出来ていないんだよ」

 航海長は言葉を濁した上、更に少女から目を反らすまでした。

「う〜ん、そうなんですか。素人考えなんですが、湾曲している銀河に沿って航行するよりも、今度の航路みたいに、真っ直ぐに飛び越えちゃう方が、近道のように思えるんですけど」

 茉莉香が指摘しているのは、『曲道に沿って進むよりも、ショートカットして近道をすればいいじゃないか』ということだった。

「そうだね。今は、百個近い太陽系が発見され、登録されているんだけど。それでも、テラフォーミングが可能な惑星を持つ恒星系は、十数個にも満たない。実際に人類が住める環境に整えられた星は、更に少なく、十個にも満たないんだよ」

 航海長はそう言って、コンソールのキーを操作した。目の前の画面に、黄色の光点がナンバーと共に追加された。

「元々の計画では、人口増加でパンクしそうになっている地球から、他の恒星系に余剰人口を送り出す事が最大の目標だったんだ。だから、『何もない宙域』は、はなっから調査対象外だったんだな。それで、今回のように、天の川銀河の()()の間をショートカットする航路は、全くの想定外だったんだ。それに……」

 もっともらしい事情を説明した航海長は、そこで言葉に詰まった。

「それに、何ですか?」

 いつもは自信に満ちている航海長の『らしくない態度』を、茉莉香は不思議に思った。

「そうだな、未知の空間であるが故の危険も、当然ながら考えられる。この船は、……調査船じゃないんだ。星間物質が殆ど無い宙域で立ち往生した場合、物資が不足したとしても、それを補う方法が無くなってしまう……だろ」

 彼は真面目な顔でそう言うと、振り返って星間マップを見上げた。

「そっかぁ……。何にも無いところで下手に遭難しちゃったら、どうしようもないものね。ナルホド、そういうことだったんだ」

 未だ幼いパイロットは、それだけで疑問が晴れたようで、妙に納得した顔をしていた。

「何も無いとは言っても、それは、我々が思っているような個体の物質──光や電磁波を放射する恒星の(たぐい)が観測されていないだけで、電位差による磁気嵐やプラズマ流などの発生は、ある程度考えられるね。それに、自ら光らなかったり、ほとんど光を反射しないような遊星や星の欠片みたいな物があるかも知れないしね」

 取ってつけたような航海長の言葉だった。それに対して、少女は「え?」と疑問の声を上げると、

「でも、さっきは何にも無いから危険って言ってたのに。何か有ったら有ったで、やっぱり危険なんですね」

 と尋ねた。

 それを聞いた航海長は、思わず齟齬を崩すと、

「あ、ああ。そう言えばそうだね。……結局、未知の領域に踏み込むのが怖い……のかな。これまではずっと、安全の確保された定期航路を通っていたからね」

 と言って、もみあげの部分を人差し指で掻いていた。

「いつも冷静な航海長でも、怖いと思うんですか?」

 言ってから、彼女は、「少し失礼だったかな?」と思って後悔した。

 一方の航海長は、そんな茉莉香の素朴な疑問に、「ぷっ」と吹き出していた。

「なんですかぁ。あたしが未だ子供だと思ってるんでしょう。そりゃあ、航海長みたく、頭脳明晰で冷静沈着じゃないですけど。笑うなんて、ヒドイです」

 船内で規定の義務教育を修了しきっていない茉莉香は、足りない分を必死で補って対処してきたのだ。それは、船内で唯一人『ESPエンジン』が扱えるパイロットであることを理由に、仕方なく引き受けさせられた責務だった。そうでなくては、沢山の乗組員が暮らしているこの船の全責任を託されるには、彼女の肩はあまりにも小さい。


 それでも、少し機嫌を損ねてプイと明後日の方向を向くだけで済んでいるのは、大人の世界の事を殆ど知らない所為であったが、少女の明るく気さくな気質によるものでもあった。そのことで、船の大人達がどれだけ助けられていることだろう。


「ごめん、ごめん。悪かったよ、茉莉香くん。正直に話すと、私も皆も不安なんだよ。今度の航海では、海賊に襲われ、囮にされて、何処とも知れぬ宙域に飛ばされたよね。古参のクルー達だって経験したことが無いような事件が、立て続けに起こったんだ。その上、今度は全く見たことも聞いたことも無いようなところへ、進路を進めようとしている。こう見えて、私は臆病者(・・・)なんだよ。知らなかった?」

 冗談か本気かよく分からない表情で話す航海長に、少女は狐につままれたような顔をしていた。

「航海長でも、不安なんだぁ。……し、知りませんでした」

 思っても見なかった話を聞いたが、それが少女を不安に陥れることはなかった。


──もしかしたら、彼女の不安という感情は、麻痺していたのかも知れない


「そ。でも、臆病者だからこそ、船を危険から回避させられたんだと思っているよ、私は。……いや、「思っていた」と言うべきかな。今回の航路じゃ、さすがの私でも、逃げ道が塞がれているからね。だから、頼りにしてるよ、茉莉香くん」

 何か丸め込まれようとしている気もしたが、自分がなんとかしなけりゃ船は路頭に迷ってしまう。それだけは、はっきりと分かった。

「はぁ、もう、しようがないですね。ここは、あたしが何とか頑張って見せましょう。その代わり、サポートは、しっかりとお願いしますね。あたしだって、あてにしてるんですからね。頼みましたよ」

 彼女は、「やれやれ」といった表情で、パイロットシートから長身のイケメンを見上げた。

「勿論、それは頼りにしてもらってくれ給え。でも、途中でエンジンが不調になったら、それは私の所為じゃないからね。エンジントラブルは機関長に言ってくれないと」

 航海長は、そう言うと、いつものキメ顔でウィンクをしていた。

「あ、ああー。そういやそうでしたね。機関長って、すぐサボっちゃうからなぁ。……あたし、ちょっと不安になってきました」

 少女はシートの上で両膝を抱えると、憂いに満ちた顔になった。

「そうだね。ま、彼には私から発破をかけておくよ。茉莉香くんは、ここで『ESPエンジン』の面倒を見てくれていればいいから」

 そう言って、航海長はパイロットシートから離れると、操船室の出入り口へと向かった。

「ええー、航海長、もう行っちゃうんですかぁ」

 不安が拭いきれない新米パイロットは、彼の背中に声をかけた。

「ああ。これ以上、ここで私のやることは無いからね。航海部に戻ってるよ」

 確かに彼の言うことに間違いは無い。だが、この状態で独りにされるのは寂しいではないか。

「もう、航海長さんは、乙女心がまるで分かってませんね。こういう時は、『側にいてボクが護っていてあげるから平気だよ』とかなんとか、格好良い台詞(せりふ)を言うものですよぉ」

 ジトッとした目で航海長を追いかける茉莉香の声でさえ、あまり効果が有ったようには思えない。彼は、

「現実は、小説や漫画の世界ほど優しくないんだよ。それに、私の愛読書は『ツァラトゥストラはかく語りき』と『善悪の彼岸』なんだ。残念だったね」

 と言って、出入り口のスライドドアを抜けて行った。

「もうっ。その歳でニーチェですか。なんて夢がない人」

 一人残された茉莉香は、残念なイケメンにそんな文句を垂れていた。


 怒っても泣いても、出発はもう目の前に迫っている。

 航海長は語らなかった事だが、非公式記録として『ESPエンジン』搭載の初期型探査船が、未知の宙域で遭難しかけた事があった。その時の記録には、『虚無の空間(きょむのくうかん)』という言葉が綴られているという。ギャラクシー77は、正にそこ(・・)を通り抜けようとしていた。




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