ESPエンジンの子供達(1)
<ワイヤー接続確認>
<確認した。オーケイ、ウインチ、巻き上げ開始>
<ゆっくり、……ゆっくりとだ>
<エアクッション、三番目がしぼんでるぞ。ピンホールチェック、急げっ>
<おい、ほんとに大丈夫なのか。フリゲートって言っても二百五十メートルはあるんだぞ>
<しゃーないだろ。上からの命令だからな>
<本船にぶつけるなよ。アンテナとか安定翼とか……、気をつけて>
<無理言うなよ。ギャラクシー77は、空母でも工作補給艦でもねーんだからよぉ>
<慣性があるからな。弾性係数の計算値、間違いないか?>
<知るかよ、そんなの>
<うお、来るぞ。反発に注意! バルーンの内圧、足りてるよな>
<だから、知らんよ、そんなの>
<潰されるぞ。巻取り速度、落とせ>
<無理、無理だよ。ワイヤーが絡まったらお終いだ。取り敢えず、張力保持して>
<来た来た、来たぁ。ストップ、ストップ。止めろぉー>
<止まんねーぞ。間に合わん。潰される。待避ーっ>
<作業員、待避ー。フリゲート艦に伝達。衝撃に備えっ>
<ま、間に合わんっ。バルーン、限界。エア、詰め込めるだけ投入しろ>
<ボンベの内圧が足りん。それより、ワイヤーが緩んでるぞっ>
<フリゲートに逆噴射を要請したら……>
<あ、アホかぁ。そんな事したら、バルーンが熱で破裂するぞ。何の為のエアクッションだ>
<仕方ねーだろ。艦体ごと潰されるぞ。総員、待避。待避ーっ>
<うぉお、ぶつかるぞっ。総員、衝撃に備え。命綱確保>
<いかん。空気圧、リミッタ解除。最大で受け止めろ。……こら、聞いてるか>
<おっさん、皆、退避した。あんたもモタモタするな>
<なにぃ。黙って見てろってか。……出来るかっ>
<おっさん、おっさん……。どうした!>
<うわっ。フリゲート艦、急接近。衝突するぞ!>
<後、一分……。いや、三十秒でいいから保たせろ>
<アホぬかせ。もう、目の前だ>
<だから俺が言っただろう。AIに任せようって>
<出来るかっ。突貫で回路組める訳ねーだろ>
<言い訳なら、後で聞く。兎に角、待避だ!>
<衝突する。待避っ、待避ー>
<ギャァー……>
今、作業員達は、ギャラクシー77を護衛していたフリゲート艦を、船体に横付けし、固定する作業を行っている最中だった。
しかし、本来なら、こんな作業は専門の業者がやるものだ。
──惑星の衛星軌道上で停泊している間の貨物の積み降ろし
無重力下での大質量の牽引や移動を行うのは、基本、港の作業者の役目だ。
巨大移民船に軍艦を横付けするなんて事は、ギャラクシー77の作業員にとっては、経験の無い事だった。
そして、非定常作業の真っ只中、最悪の事故が発生するのは、目に見えていた。
<待避だ。待避ー>
<フリゲートから、何か言って来てるぞ>
<知るかっ。こんな、早口で訛りまくってる英語なんて、聞き取れるかよ>
<エアバルブ、元栓閉じてるかぁ。電気もユーティリティーも全部閉じろ。ぶつかる衝撃で破裂する>
<知らん。船内ブースの作業員は、皆、逃げた>
<無責任だぞ。……つぁ、来たぁ>
<おっさん、おっさん……>
<今、引っ張るぞ。命綱、しっかり握ってろよ>
<小僧、こっちだ。潰されるぞ>
<バルーン、内圧限界。破裂するぞ>
<エアに吹き飛ばされるぞ。どこでも良い。掴まれ。何でもいいから、握ってろ>
<駄目だ、ダメダメ。張力限界。待避ー>
接舷時の衝撃を緩和するために甲板に設けられたゴム風船は、今、フリゲート艦の運動力を受け止めきれずに破裂寸前だった。破裂したら最後、付近の作業員は風圧で吹き飛ばされ、宇宙の迷子になるだろう。さらに、軍艦がギャラクシー77の甲板に突っ込んだら、大惨事になる事は間違いない。
誰もが一秒後の悲劇を想像していたその時、艦は停止していた。
<なっ……、どうした? 何が起こった>
<な、何も……起こらなかった>
<止ってる。な、何が、どうなった?>
作業員が訝しんでる時、彼等の通信機に誰かの声が割り込んできた。
<もー、ダイジョブ。ふね、止また。みな、安全>
たどたどしい日本語で無事を伝えたのは、コーンと言う少年だった。しかし、殆どの作業員も、フリゲート艦の乗組員も、彼を認識出来ないでいた。
<艦の停止を確認。相対ベクトル、ゼロ。これより固定作業に入れ>
<……お、おーし。固めるぞ>
<ワイヤー足りてるか?>
<おい。小僧、どうした。生きてるか?>
<……お、おっさん、おっさん>
<待ってろ、見てやるから。……生命維持装置、異状なし。船外作業服も大丈夫>
<どうだ。次の作業、出来るか?>
<あ、ああ。仕事は、まだ残ってる>
<フリゲート艦に伝達。『動くな』と>
<え? 何だって>
<聞こえてるかぁ。『動くな』だ。余計な事させるな>
<えっ。分からん。何て言えばいいんだ>
<クソッ。取り敢えず、『フリーズ』って言っとけ>
<ワイヤー、足りてないぞ。延長、頼む>
<誰だよ、フックの強度計算したの。安全係数ギリギリじゃないか。外れたら、軍艦ごと持ってかれるぞ>
<知るか。足りてないなら、補強材を持って来て、溶接させろ>
互いに怒鳴り合いながらも、作業員達は必死に、しかし確実に仕事を進めていた。
その様子を見ながら、コーンは胸を撫で下ろしていた。
(問題、無くなた。皆、無事。でも、ちょと、疲れた)
甲板に衝突寸前の軍艦を止めたのは、コーンの念動力だった。
移民だった彼は、超能力に目覚めたあと、保安部に転属した。そこで、戦い方、救護の方法、そして超能力の使い方を学び、今、大惨事を未然に防いだのだ。
(いや。安心するの、まだ。フリゲートは二隻。反対側も、危ない)
大質量の軍艦の運動量を相殺するために大きな超能力を発揮した直後だったが、彼の仕事は半分しか終わっていなかった。
二隻目の軍艦を安全に接舷させるために、コーンはギャラクシー77を挟んで反対側──約二千メートルの距離を、一瞬で移動していた。
「茉莉香! どうして、お母さんに連絡してくれなかったのっ」
「だ、だってぇ、……そんな暇なんて無かったし。秘匿事項だし……、守秘義務あるし。そもそも、上位の特権回線以外は、ネットが止ってたし……」
「言い訳は聞きたくありません」
ここは、茉莉香たち母娘が住んでいる部屋である。
今、茉莉香は畳の上に直に正座をさせられていた。正面に座っているのは、母の由梨香だった。少女は、母に事の顛末について詰問されているところなのだ。
約十時間前、緊急事態宣言が解除された。しかし、一般乗組員が帰宅した後も、茉莉香はずっと拘束されていた。
まずは、メディアに対しての二時間に及ぶ事情説明と記者会見。続いて、軍や運行スタッフへの勲章及び功労賞の授与式が行われた。
更に、太陽系連合大統領の感謝とお祝いのお言葉。そして、北銀河方面守備艦隊提督の演説が、合わせて一時間半ほど。
そしてそして、茉莉香には、宇宙軍から『最新型防宙機動艇及び装備一式』が贈呈され、その模様は逐一全銀河ネットワークで同時中継されたのである。
当然ながら、茉莉香は、全銀河のメディアに質問攻めにあい、彼女が舞い上がって何一つまともに返答できなかったところまで、ノーカットで生配信されて仕舞っていた。
母である由梨香は、その様子の一部始終を、リビングの画面越しに見せられたのだ。
場違いなところで照れたり、おかしな顔で笑うところも、勲章と目録が授与される時に転びそうになった事も、大勢の記者にもみくちゃにされる場面も、しっかりと由梨香の網膜を通って脳の記憶領域に刻まれた。
同時に、そんな茉莉香を見ていて、彼女がどんなにはらはらしていた事か。
中継の最中、いや、中継後に流された特報番組で解説者が何事かを話す度に、由梨香は頭痛と胃痛とに同時に襲われていた。きっと、血圧も上がっていた事だろう。
その上、記者会見を視て茉莉香の事を知った知り合いから、ひっきりなしにお祝いの電話やメッセージが送られてきて、その対応も由梨香の神経を地味に削り取っていた。
それだけでは無い。宇宙海賊から船と乗員を救った『プリティーワルキューレ』の母と云う事で、取材のアポ取りとして、十数人の記者やライターからのメールで、由梨香のメールボックスは満杯になったのだ。
「ねぇ、茉莉香。茉莉香がパイロットとして頑張ってお仕事をした結果、船の皆や、軍の方達を助けたのは分かっています。お母さん、凄く立派な事だと思うわ。でもね……でも、あの記者会見は何なの。茉莉香も、もう十六歳なんだし、もう少しちゃんとやれなかったの。茉莉香が一言言うたんびに、お母さん、恥ずかしくて死にたくなったのよ。……これっ、茉莉香っ。聞いてますか」
神妙な顔をした母を見て、娘の頭の中には、もう二度と思い出したくない事柄が、後から後から湧き出していた。
「だ、だって、しようが無かったんだよ。あたしだって、『勲章とか宇宙艇とか要らない』って言ったんだよ。記者会見だって、絶対無理だって。で、でも、ベスが『質疑応答は全て軍が行います』とか『黙ってニコニコ笑っていればいい』って言ったから……」
茉莉香は、母のお説教に精一杯の言い訳をしていた。しかし、由梨香には通用しないようだった。
「にしても、もう少しましな服は無かったの。あんなど派手なワンピースなんて。運行スタッフの制服とか無かったの? 髪だって跳ねてたし。メディアに映るんなら映るんで、せめてちゃんとした格好をなさい」
母は、今度は服装について文句を言い始めた。
「だって、制服なんて、有って無いようなもんだし。そもそも、採寸だってしてないし……。そ、それに……、ちゃ、ちゃんとお風呂だって入ったんだよ。外で兵隊さん達が見張ってて、恥ずかしかったけど……」
茉莉香は、上半身を屈めて小さくなりながら、反論を試みていた。
「だったら、セットくらいしときなさい。また、いつものように、ブロアーだけして放っておいたんでしょう。お母さんだって、豪華に編み上げろとか言うつもりはありません。でも、せめてポニーテールに結ぶとか出来なかったの。ボッサボサの髪でカメラの前に立つなんて、もう信じられないわ」
由梨香はそう言うと、ハンカチを手に取って目元を拭った。
「やっぱり、片親だったのが悪かったのかしら。女の子なのに、こんなにガサツに育って仕舞って……」
怒るのを通り越して、メソメソと涙を流す母を見て、娘は尚も情けなくなった。
「ごめんね、お母さん。でも……。でも、ボーナスだって出たんだよ。ほら、金一封、ってやつ。……そうだ! 今度、美味しい物でも食べに行こうよ。しゃぶしゃぶとか、すき焼きとか。あ、それとも、お寿司にしようか。勿論、回ってるやつじゃない方」
涙ぐむ母を元気づけようと、茉莉香は思いつく限りを言葉にしようとしていた。
「お金とか、そんな問題じゃありません。茉莉香、分かっていますか。どのサイトを見ても、あの記者会見の映像が配信されているのよ。『若干十六歳のパイロットの茉莉香さん』とか、『宇宙海賊を撃退した少女、茉莉香さん』とか、『彗星章を授与された茉莉香さん』とか、『宇宙艇を贈呈された茉莉香さん』とか……。繰り返し繰り返し、何度も、何度も。……もう、……お母さん、気が変になりそうよ」
母の由梨香はそう言うと、再びハンカチで目元を覆った。
「うう……。あ、あたしだって、それは本当に恥ずかしいよ。でも、急に決まって、仕方無かったんだよ。『軍の偉い人の意向だ』とかって言われて、問答無用でさ。……あたしには、そんな政治的な事は全然分かんないけど」
母のお説教に、少女はモゴモゴと言い訳を綴ると、更に身を小さくした。母の言う事は尤もだし、茉莉香だって、こんな大騒ぎになるなんて思ってもみなかった。
考えてみれば、茉莉香は、この短い間に生死を争うような経験をしたのだ。
パイロットは非戦闘員の筈なのに、彼女は軍の手駒の一つとされて、何時間もの間、宇宙海賊を相手にさせられた。『ESPエンジン』をテレパシーで操作するという、ただでさえ神経を使う仕事の中で、被害や死傷者を最小限に抑えるという繊細な駆け引きを、茉莉香は行ったのだ。そして、一つ間違えば、ギャラクシー77諸共虚空の中で素粒子に還る瀬戸際を、間一髪で乗り切ったのだった。
結果的に多くの人的物的被害を出したものの、船は生き残る事が出来たし、『ESPエンジンの子供達』にとっても、出来得る限りの事をしてやれたと思う。
事が終わって、茉莉香が『やっと解放される』と思った時、降って湧いたように、記者会見の話が伝えられた。『そんな事は広報部がやればいいのに』と彼女は思っていたが、軍と財団の思惑の中で、茉莉香は象徴として神輿に担ぎ上げられ、大衆に曝されたのだ。
──未だ十六の少女に、それはどんなに重荷である事だろう
こう言うと、茉莉香がとてつもなく不憫であるかのように聞こえるが、実際の彼女にとっては、青春の一ページとしての苦い思い出でしか無かった。持って生まれた性格もあったが、未だ十六年しか経験が無い彼女には、自分の境遇を客観視出来る程の想像力が無かったのである。
それは彼女にとっては幸運と言えるかも知れないが、茉莉香と血の繋がった家族である由梨香には、深刻な問題であった。
何しろ彼女は、異様とも言える世話好きの隣人の洗礼を受けたのだ。
娘の倍以上の年月を生きた母には、世間が自分達をどのように扱うかを、容易に思い描く事が出来た。
操船室に引き籠もっていられる茉莉香と違って、一般人に混じって生活をしなければならない由梨香にとって、これは堪ったものでは無い。彼女にも世間体というモノがあるからだ。
茉莉香の巻き添えで、隣近所から自分が好機の目で見られる事は間違いようがない。ようやく腰も落ち着いて、仕事も決まったばかりだというのに……。
これから先の生活を考えると、頭痛薬と胃薬が手放せなくなると考える由梨香だった。
(え? ……聞こえる。だれ? どこから?)
茉莉香が母からお説教を受けていた時、未だ船外で作業の様子を見守るコーンは、戸惑っていた。
(『ESPエンジン』? 似てるけど……、チガウ。だれ? ひとりじゃナイ。このESP波は、どこかで……)
コーンが感じ取ったのは、どこの誰とも分からないような微かなESP波だった。しかし、それは明らかに、ギャラクシー77の船内から発せられていた。
(モシカシテ、海賊の生き残り? だとしたら、……。マリカ、アブナイ)
もしもの事を感じ取ったコーンは、微かな感応波を追って瞬間移動をした。




