束の間の休息?(3)
「これ、とっても美味しいわ。デリッシャスね」
ギャラクシー77の総船室では、急ごしらえで組み立てた簡易テーブルを、三人の男女が囲んでいた。
茉莉香と機関長、そしてベス──エリザベス・ハウゼン少尉であった。そして、それをジッと見守るのは、十数人の特殊装備で武装した兵士達。
前触れもなく、いきなり訪れたベスは、持参したコーヒーで『お三時にしよう』と持ちかけたのである。宇宙海賊との全面戦闘後の、しかも、このサルガッソ脱出直後のクソ忙しい時に。
「コーヒーも美味しくてよ。皆さんも召し上がって」
ベスが周囲を見渡すと、手に手に紙コップを持っていた兵士達は、
『イエス、マム』
と、一斉に敬礼をすると、コーヒーを口に含んだ。
中には、ヘルメットの下の表情を和らげる者もいた。
「マリカ、あなたもどうぞ」
ベスは、茉莉香にもコーヒーを薦めた。
「あっ、はい。いただきます」
少女は、そう言うと、手に持った紙コップを口元に運んだ。未だ湯気の登る褐色の液体を一口含むと、
「……おいひぃ」
と目尻を下げた。
「ホントに美味しいです。ご自分で淹れられたんですか?」
「モチロン。戦場では、何でも自分で出来なけりゃ。でも、軍で支給されている『銀河コーヒー』よりは、何倍もましと思うわ。CGRカンパニーのアレ、誰が採用したのかしら。あんな泥水みたいなもの、前線で飲まされたら、一気に戦意を喪失してシマイマス。ねっ」
最後の「ねっ」は、兵士達に向けたものだった。彼等は、踵を打ち合わせると、再び敬礼をした。
「ほう、よく訓練されてるな。少尉殿は、相当に恐れられているらしい。な、にいちゃん」
これは、機関長である。彼に声をかけられた兵士は、
「シュワー、……! ノーノー、ハウゼン少尉殿は、立派な士官でアリマス」
と、ややたどたどしい日本語で言い直した。
「ロバートソン一等兵」
ベスは、振り返りもせず、兵士の名前を呼んだ。
「い、イエス、マム……」
彼は、顔を強張らせて、直立不動の姿勢になった。
「正直でよろしい。アナタのことは覚えておくわ、マイ・ナイスガイ」
「光栄であります」
ベスの言葉に、一等兵は最敬礼をすると、そう応えた。
「おー、怖い怖い。下手な事を言うもんじゃないな。済まんかったな、にいちゃん」
機関長は、彼が話題に登ったことで不利益を得るんじゃないかと、心中でヒヤヒヤしていた。
(この女、末端の一兵卒の声や名前まで覚えるとか、マジで優秀だな。これで秘書官なんて、嘘だろ。こいつは、下手なことは喋れんぞ)
機関長の心の内を見抜いたのか、
「大丈夫よ、ミスター。アナタの思ってるような事にはならないから。それよりもコレ、スペシャルに美味しいんだけど。コレもミスターのお手製?」
と、ベスは、機関長の切り分けたストロベリータルトをついばみながら、妖しい笑みを浮かべていた。
「おうよ。美味いだろう。イチゴも、冷凍保存のじゃなくて、船で栽培しているつみたてのやつだ。新鮮だから、味の濃さが違うだろう」
ストロベリータルトを褒められた所為で、機関長は、少し饒舌になっていた。
「ふぅーん。後で、その栽培施設を見学させてもらってもよろしいかしら。兵站、特に食料の確保は大事デスから。軍で参考になるかも知れないわ」
ベスは、イチゴの味に驚きを隠せないでいた。
宇宙軍では、長期間、宇宙船内の孤立した空間で生活する事も念頭に入れなければならない。第四十八太陽系守備隊司令の秘書官としては、当然気になる事であった。
「良いのかい?」
ベスの提案に、機関長は悪戯っ子のような笑みを浮かべると、そんな問いかけをした。
「ええ。スゴク気になるもの。それとも、施設を見学するには、ナニか特別な手続きが要るのかしら」
ベスは、ミステリアスな微笑みで、機関長に対抗した。
「詳しい説明をしようと思うと、一晩……、いや朝までかかっちまうが。いいのかな?」
機関長は、またしても、謎を含んだ言葉をベスに送った。
その言葉に、彼女は、少しイラッとしたようで、
「時間なら気にしないで。これも、大事な軍務だから」
と、少し語気を強めた。
「そうかい、そうかい。実はな……」
機関長の表情は、少し邪悪になっていたかも知れない。
「ナンデスカ。ハリー。ハヤク、教えてクダサイ」
急いている所為か、ベスの話し方には、英語圏の訛りが混ざり始めた。
「……実はな、そのイチゴ、オレん家の家庭菜園で作ったのよ」
機関長の解答に、ベスは、何の事かすぐには理解が出来なかったらしい。
「カテイ・サイエン? ワット。ナンですか、ソレわ」
彼女は、その秘めたる意味に気が付かずに、機関長に訊き返した。彼は、それをニヤニヤしながら眺めている。
「あっ、それって」
茉莉香は、機関長の言葉の意味するところに気が付いて、顔を赤らめた。
「機関長さん、失礼ですよ」
少女は、椅子から半ば立ち上がると、機関長を責めるように、そう言った。
「どういうコトです? そんなにモンダイが、アリマスかぁ?」
未だ意味の分からないブロンド美人に、茉莉香は、こう言った。
「家庭菜園って、機関長が、自分のお部屋で育てているんですよ」
茉莉香は、ベスの方へグリンと顔を向けると、強い口調でそう言った。
「つまり、朝までじっくり説明をするって事は、機関長のお部屋で、……えっと、そのう……。これ以上は、恥ずかしくて言えません!」
初心な少女はそこまで説明すると、両手で顔を覆って、テーブルに伏せてしまった。
「お部屋で育ててる……、ミスターのお部屋で、デスカ?」
「そうさ。オレが手ずから育ててるんだぜ。イチゴ以外にも、リンゴとかトマトとか」
「はぁ……、まめなんですね、ミスターは。と、イウコトは……ああ、ナルホド」
女性士官は、やっと機関長の真意に気が付いたのか、そこまで言うと、朱い唇の端で艶めかしい笑みを作った。
「いいわよ、ミスター。是非、美味しい果実の作り方を、教えていただきたいわぁ」
こちらは大人の女である。茉莉香とは正反対の反応であった。
「ついでに、種付けもしておくかい?」
機関長は、少しイヤらしい目付きを、彼女に送った。
「願ってもないわ。さぞかし、立派な実を結ぶでしょうね。……尤も、ミスターにそこまでの体力があるかしら。朝まで大丈夫?」
ベスは、少し顔を仰け反らして、見下げるように機関長を、ネットリとした瞳で目ねつけた。
「良いのかい、カワイコチャン。オレはアンタんとこのカウボーイよりは激しいぜ」
挑まれた彼は、左肘をテーブルにつけて頬杖を突いた。口元がイヤラシク曲がっている。
「望むところよ。そろそろ、柔なボーイには飽きてきたの。今晩、お邪魔していいかしら?」
彼女も挑むような口調で、機関長に返した。大人の女性の色香に、茉莉香でさえクラクラとしかける。しかし、少女は、自分の目の前の事を飲み込みきれずに、
「だ、ダメですよ、ベス。そ、そ……そんなの、はしたないデス」
と、思わず叫んでいた。どういう訳か、日本語がたどたどしい。
それを見た機関長は、「ふぅ」と深い溜息を吐いて、
「冗談。冗談だよ。お嬢には、未だ二十年くらい早かったな。大丈夫だよ。そんな事、しないから」
と、父親が娘を諭すように、柔らかい声で言った。彼は、すっかり毒気を抜かれてしまったようだった。
しかし、それを見たベスは、
「あら、冗談だったの。残念だわ。やっと、ミスターのハートをゲットしたと思ったのに」
と、さも残念な様子を見せた。
「仕方がないデス。ロバートソン一等兵、アナタに特命を与えます。今晩、当直任務に当たりなさい。詳しい事は、直前に申し渡します。2100時に、出頭しなさい」
と、少し低い声で、命令を伝えた。
「い、イエス。イエス・マム」
彼が敬礼をしたのを見て確認すると、ベスはニンマリと笑みを浮かべた。こちらは、少々ミステリアスで、どこまでが本気だったのか、底が知れない。
「あーあ。少尉殿は、お盛んでいらっしゃる。済まねぇな、にいちゃん」
機関長は、少し呆れた口調でそう言った。
そんな大人のやり取りの中で、茉莉香は顔を赤くして、テーブルに伏せたままだった。
(ううううー。何か深夜映画みたいで、恥ずかしいよ。す、スゴイなぁ、ベスは。あたしは、いろんな男の人と、夜を楽しむなんて……。キャー、ナニ考えてんのよ、あたし。チョー恥ずかしい)
未だ十六の茉莉香は、他聞に漏れず奥手であった。仲の良い男の子の友達はいても、ボーイフレンドと云うものでは無かったし。ましてや、彼氏など。
「うー」
茉莉香は、そう唸って、テーブルから少し顔を挙げた。上目遣いで、正面に座っているベスをチラ見する。
「ハァーイ、マリカ。楽しんでマスか」
ベスは、青い目を細めて、茉莉香を見つめていた。テーブルに肘を突いて両手を握った上に、整った顔が乗っかっている。
「あ、はいっ。タルト、美味しいです。こ、コーヒーもっ」
茉莉香は、慌てて身体を起こすと、紙コップのコーヒーを一気に飲み干した。勢いで、少し喉がむせる。
「フフ。お代わり、ありますヨ」
女性士官は、クスクスと笑いながら、傍らのポットを持ちあげると、少女の方に差し出した。
「お、お願いしますっ」
茉莉香は思わずそう叫ぶと、紙コップを両手で捧げるように前に差し出していた。
「ハイ、どうぞ、マリカ」
そう言って、少尉は、紙コップに褐色の液体を注ぎこんだ。そして、茉莉香がコーヒーを口に含んで嚥下したのを確かめると、彼女は、こう切り出した。
「ところで、マリカ。先程の海賊退治は、お見事でした。どうやって、やっつけたのデスカ。今後の参考にしたいので、教えていただけないかしら」
その言葉に、少女は<ピクリ>と肩を震わせた。機関長が、横目でジロリとベスを見やった。
「どうやって……って、分かんないです。えっと……、その、何て言うんですか。……と、トランス状態って……やつ、デスカネ」
茉莉香は、しどろもどろになりながらも、そう応えた。
「ふぅーん」
ベスは、ミステリアスな表情のまま、幼いパイロットを見つめていた。
隠し事を──心の奥底の秘密の宝箱をこじ開けて、秘宝を持ち去ってしまいそうなその瞳に、少女は吸い寄せられそうになっていた。
「ESPエンジンが、力を貸してくれたんです。パイロットっていっても、あたしなんか、おまけみたいなモンですよ」
そう言いながら、少女は頭の後ろをガリガリと掻いていた。
「でも、あんなに手強いエスパー達を跡形もなく消滅させるなんて、スゴイ能力です。これからの銀河には、マリカのような強いパイロットが必要ネ」
ベスは、ニッコリと笑って、そう言った。
その言葉──特に『跡形もなく消滅させる』という言葉に、茉莉香はドキッとさせられた。
(ダメダメ。悟られちゃダメだ。海賊達は、全滅したんだから。皆の記憶も、電子機器のデータも、全てそうなってる筈)
茉莉香は、必死に秘密を守ろうと、平常心を保とうとしていた。だが、そうしようとするほどに、顔は赤くなり、背中には汗が滲み、声はかすれていった。
「ソウデスカ。これからレポートを作って、本部に送らなければならないのデス。トーッテモ、メンドーです」
果たして茉莉香の緊張を見抜いたのかどうか。ベスは、両手を軽く上げて、ヤレヤレと言った表情でボヤいていた。
「秘書官の仕事かぁ。少尉さんも大変だな。オレも、書類とか、面倒ごとは勘弁して貰いたいね」
機関長は、やや同情を含めてそう言った。彼ならば、さもありなん。
「ソーデース。ミスターもそう思いますよね。秘書官なんて、上司がトップに報告する為の『言い訳』を考える下請けデース。こーんなシゴトばっかりじゃ、詰まんないデス」
彼女は、ふくれっ面をして、日頃の不満をぶちまけるようにそう言った。
「オー、今のはオフレコです。ヨロシイ?」
ベスは、一旦ここで表情を戻すと、チラリと持ち場で立っている兵士達を一瞥した。彼等は、神妙な顔をすると、コクリと首を縦に振っていた。
(ふぅ。バレなかったようだわ。ベス、このまま帰ってくれないかなぁ)
ベスの様子を見て、ホッとした茉莉香は、コーヒーをもう一口、口に含んだ。苦味のきいた味わいが、舌の上で踊る。
それを見ていた女性士官は、「あっ」と何かに気がついたように声をあげると、左手の腕時計を見た。
「オー、もうこんな時間デース。これからミーティングがあるのデシタ。ミスターのお菓子を、もっと食べたかったのに。残念ですが、帰らなくては。RTBデース」
彼女はそう言うと、テーブルから立ち上がった。
「そのコーヒーは、置いていきますネ。ソルジャー達に振る舞って下サーイ。じゃネ」
ベスは、軍服の襟と裾を整えると、テーブルの上に置いてあった帽子を取って、ブロンドの上に乗せた。
そのままクルリと身体を回転すると、総船室の出口に向かう。
「では、後はヨロシクオネガイシマース」
出口のスライドドアが閉まる寸前、彼女は室内に向かって手を振りながらウィンクをしていた。
茉莉香は、「アハアハ」と苦笑いを浮かべながら、そんな彼女を見送っていた。
「ふぅー。やっと行ったぁー」
茉莉香は、大きな溜息を吐くと、テーブルの椅子にドッカと腰を下ろした。
「行ったねー。……さて、お嬢、気付いてたか?」
機関長も、ヤレヤレと言った風情でボヤくと、茉莉香にそう言った。
「うん。当然」
何を気付いていたと言うのか、茉莉香はそう応えた。
「なら、さっさとやっちまうかぁ」
機関長はそう言うと、立ち上がって大きな伸びをしていた。
その間に茉莉香は、テーブルの上の二つのポットを手に取ると、立ったままの兵士達の方に向かって、パタパタと小走りで近付いた。
「コーヒーのお代わりはいかがですか? 少尉さんのコーヒーですよぉ」
彼女は、『少尉さん』というところを強調していた。それで断れる兵隊さんは、いないだろうと。
案の定、彼等は空になった紙コップを、茉莉香に差し出していた。その為に、少しぬるくなったコーヒーの残りを、一気に喉に流し込む者もいた。
少女は、お愛想顔を崩さずに、ポットに残っていたコーヒーを、次々に兵士達に注いでいった。それで、ポットの中身は、兵士達の分で注ぎきってしまった。
「オーケイ。空になったわ」
茉莉香は、機関長に向かってそう言うと、両手のポットを両脇に持ち上げて見せた。
「そうか。ならこっちも……、よっこらせ」
すると、機関長の方は、設えてあった簡易テーブルの止め金を外して、たたみ始めたのだ。
テーブルに付属の椅子も一緒にたたむと、コンパクトな形になったテーブルに適当に引っ掛ける。
「お嬢、さっさとやっちまうぞ」
機関長はそう言うと、簡易テーブルをガラガラと引っ張って、出入り口の方へ引きずり始めた。
茉莉香も、ポットと、使った紙皿や紙コップを突っ込んだポリ袋を持って、彼に続いた。
彼等は、二人で簡易テーブルを操船室から引っ張り出すと、外の廊下に押し出していた。空になったポットと、紙皿の入ったポリ袋は、その脇に置く。
「このくらいで良いかぁ」
「だよね。他に触ったものも、スキャンしとくね」
茉莉香達はそう言って、ベスの為に用意した物品を全て部屋から放り出した事を確認してから、総船室に戻った。
背後で、シュンと音がしてスライドドアが閉まる。
機関長は、太い首をグルリとまわして、室内をゆっくりと見渡した。
「こんなもんだろう。危ねぇ危ねぇ。連絡将校だか、司令官付きの秘書官だか知れないが、事務仕事だけしてるような姐ちゃんじゃねぇな」
「原始的だけど、ポットの蓋の振動を共鳴させて、送信する装置だったよ。チップを使って無いから、エレクトロスキャナーでも分かんなかったけど」
「テーブルの裏っかわにも、ゴミみたいなのが何個もくっつけてあったぜ。忍者かよ、ホントに」
二人は、口々に不平を言うと、パイロットシートの方に歩いて行った。
途中で、機関長は「あっ」と気がついたように上半身を捻ると、兵士達にこう言った。
「にいちゃん達、悪いが、今のオフレコでね」
そう言われた兵士達は、お互いに顔を見合わせると、苦笑いをしていた。
「はぁー、疲れたぁ。接待も大変だよぉ」
茉莉香はそう言って、パイロットシートに腰を下ろすと、コンソールに覆いかぶさった。
「だなー。味方面してる分だけ質が悪い。お嬢、スキャン、終わったかぁ」
機関長は、シートに腰を預けると、茉莉香にそう訊いた。
「一応ねっ。発信器の類はもう無さそう。後は、兵隊さんの装備だけど、ワームでハックしといたから、出るときに上書きしとくぅー」
茉莉香は、眠そうに機関長に応えた。
ベスは、茉莉香の情報を取るための諜報機器を、密かに残して行ったのだった。
それを、一切合切片付けて、二人はやっと肩の荷を降ろしたのである。
それからしばらくした時刻。ここは、オルテガ作戦参謀の部屋であった。照明のほとんどを消し、僅かにインターホン等の機器のパイロットランプだけが、薄暗く彼を照らしていた。
神妙な顔で、じっと事務机に座り込んだままの彼の耳に、電子音が響いた。眉一つ動かさずに、参謀は、ちょっとした動作で、コンソールのボタンを押した。
Who are you?
This is Elizabeth Hauzenn. May I enter to your room?
Yes. Come in.
短いやり取りの後、シュンといって開いたドアの向こうには、笑顔の女性士官が立っていた。




