束の間の休息?(2)
──『緊急ジャンプ』が終了しました。周囲の安全が確認されますまで、乗組員の皆様はシェルターで待機するようお願いします。繰り返します。周囲の安全が確認されますまで、乗組員の皆様はシェルターで待機するようお願いします。
船内に、明るい女性の声が響いた。
「総員、船内チェック。見張り員、全天観測。現在位置、特定せよ」
船長の檄が飛ぶ。『ジャンプ』が終わって、魔のサルガッソ空間から脱出出来たとは言っても、まだ危険が去っているかどうか分からないからだ。
「パイロット、ブリッジ。航海長だ。茉莉香くん、ESPエンジンは、まだ落とさないでくれ。この宙域の安全が確認できていない。大仕事の後でシンドイだろうが、もうしばらく頑張って欲しい」
航海長から、茉莉香への要請があった。
<ブリッジ、パイロット。了解しました。ESPエンジン、現在の出力を維持。いつでも『ショート・ジャンプ』が可能な状態で、待機します>
操船室から、茉莉香の返答があった。
だが、船内通信の音声に、少し雑音が混じっていることが、航海長には気になっていた。
──本当に大丈夫だろうか?
「安全が確認されるまで、作業員は現状のまま待機」
「保安部、臨戦態勢を継続。気を抜くな!」
「護衛艦の位置、確認しました。二隻とも健在です。コロンブスー3、左舷五十三メートルにて慣性航行中」
「コロンブス−1、右舷四十九メートル位置で、本船とベクトル固定。同じく慣性航行中」
「船内管制システム、再接続。オンライン確認。自己診断プログラム、スタート」
<ブリッジ、第三十二ブロック。良く聞こえない。回線に雑音が混じってるぞ>
「デコード用の公開鍵がビット落ちしているんだ。アップデート急げ」
<ブリッジ、第八シェルター。住民が不安がっている。情報をくれ>
<ブリッジ、こちら中央演算室。船内ネットワークにトラフィックが集中。少し、隙間を開けてくれないか>
「機関、どうなっている。確認、急げ」
「機関室、ブリッジ。主機関、副機関、ともに現在の出力を維持。いつでもフルドライブ出来るように待機」
<ブリッジ、機関室。主機関、副機関、出力良好。非常用コンデンサー、蓄電率百パーセント。いつでも最大出力で動力を供給できます>
<ブリッジ、保安部。一般乗務員用シェルターに損害見られず。船内環境が整うまで、情報統制を続ける>
ブリッジ内は、現状確認の為の情報が飛び交っていた。
そんな中、オルテガ参謀の肩を、後ろからポンと叩いた者が居た。
「ひっ」
反射的に参謀が身を震わせる。
「あら、参謀閣下。歴戦の勇士も、海賊退治が終わって気が抜けたのかしら」
──これは……
参謀が恐る恐る首を捻ると、そこには軍服を着たブロンド美人が、にこやかな笑みを浮かべて佇んでいた。
「閣下、コレを」
連絡将校であるハウゼン少尉が差し出したのは、小さな紙切れ──メモであった。白い指に、透明なマニュキュアを塗った爪が、鈍く光っている。
「……あ、ああ」
参謀は、オドオドしながらもメモを受け取った。彼は、少尉を見ないように気を付けていたのだが、メモを受け取った瞬間、ホンの百分の一秒だけ、彼女と眼が合ってしまった。
──大脳の中心部までを射抜くような冷たい視線
(これが、氷のベスか……)
参謀の背中を、冷たい汗が伝わる感覚。もう、汗は出尽くした筈なのに。痩せた彼の身体に残った脂肪を、燃焼させ尽くそうとでも言うのか? 今、体重を測ったら、きっと五キロは減っているだろう。
船内は慣性制御されているはずなのに、参謀は無重力空間に漂っているような錯覚を感じた。血液が逆流するような不快感で、彼は吐き気を催しかけていた。
「あら、閣下。ご気分がすぐれないようですね。……誰か、参謀閣下をお部屋へ」
ハウゼン少尉のハスキーな声が、ブリッジの一角に響いた。
「あ、では私が」
そう言って手を上げたのは、広報部員の一人だった。
「あ、……いや。大丈夫だ。部屋くらいまでなら、一人で戻れる。き、君も忙しいだろうし」
参謀は、空元気を振り絞ってシートから立ち上がると、立候補した彼を制した。
「そうですか?」
そう言われた彼は、不思議そうな顔をしていた。
「大丈夫だよ。これでも、軍で鍛えているからね。……船長、話がある。後で──そう、二時間後くらいに、私の部屋まで来てくれないか」
参謀は、それだけをやっと話すと、少しよろつきながらも、出入り口に向かった。
「閣下、後ほど、お飲み物をお持ちしますね」
その後ろ姿を見送るハウゼン少尉は、そう声をかけた。
「あーあ、どーなるのかなぁ」
総船室のパイロットシートで、茉莉香はアクビを噛み殺していた。
「なぁーに。『緊急ジャンプ』も終わったんだ。後始末は、軍と保安部がやってくれるさ。お嬢は、シャワーでも浴びて、寝てれば良いんだよ」
そう言ったのは、機関長だった。『船長命令』で、この操船室に出張ってきていたのだ。
「もう、機関長さんったら。本当に機関室に帰らなくっていいんですか? こんな時だし、皆不安がってますよ」
茉莉香は、少し呆れた目で、シートの脇に立っているデップリとした彼を見上げた。
「ダイジョーブ、だよ。うちの機関士達は優秀だから」
彼は、太鼓腹を平手でパンと叩くと、いつもの台詞を言った。
「機関長が一人居なくったって平気なくらい、ですかぁ。いけませんよ、それ。そのうち、左遷されますよ」
茉莉香はシートの上で膝を抱えると、少しブータレたように、そう言った。
「なぁに。ダイジョブ、ダイジョブ。はっはははは」
高笑いをする機関長だったが、茉莉香には、それが乾いて聞こえた。
本心では、機関長も不安なのに違いない
ESPエンジンとディープリンクを果たした彼女には、集中しなくても、何とはなく彼の心中が読めるような気がした。
(今までは、テレパシーが上達するように頑張ってたけれど、これからは他人の心が聞こえないように気を付けないと。うるさくって、眠れなくなっちゃう)
そう思うと、彼女は少し憂鬱になった。そして、『憂鬱』の二文字が脳内に浮かぶと、その漢字の複雑さで更に鬱陶しくなった。
その時、彼女の背に、ヒリヒリとした感覚が刺さった。振り返らなくても分かる。兵士の一人が、彼女に目を向けたのだ。
彼は、宇宙海賊シャーロット達が燃え尽きたところを、一部始終見ていたのだ。
茉莉香が見せた。
確実に、シャーロット達が消滅した事を記録させる為に。
兵士は、心中で超能力者を恐れていた。
訓練で身体に刻み込んだ以上に、異常な能力を持った宇宙海賊達を目の当たりにして、恐れを抱いた。そして、そんな海賊達を、赤子のようにねじ伏せた茉莉香に恐怖を感じていた。
(それも、しょーがないっか)
茉莉香は、改めて、自分が普通の女の子に戻れない事を思い知っていた。
(学校が無くなったのは良いけれど、この軟禁状態には参ったなぁ。まぁ、虎の子のパイロットだしね)
今の茉莉香には、先輩パイロット達とESPエンジンの、百年を超える記憶が受け継がれていた。つい先月まで十代の小娘だった茉莉香には、少し荷が重かった。
ふと、コンソールの脇に置いてあった情報端末に目が行く。
(ゲームとかしてちゃ、……ダメだよね。あーあ、早く終わっちゃわないかなー)
唇を尖らせて、半目で端末のニュースを斜め読みしていた彼女だったが、こんな時にメディアがまともに動いている筈がない。
表示されるのは、『海賊』、『難破』、『海賊』、『軍隊』、『海賊』、『海賊』、『海賊』……。
茉莉香が充分過ぎるほど見知った事だ。ニュースなのに、新しい事なんて一つも無い。
そんな彼女のところに、『ニュース』を持った者が訪れた。
「はぁーい、マリカ。お忙しい?」
ハスキーな美声の持ち主は、エリザベス・ハウゼン少尉──ベスだった。
操船室内の兵士達が姿勢を正すと、一斉に敬礼をする。脇をしめたコンパクトな敬礼。空間の限られた中で活動する宇宙軍に特徴的な所作だった。
ベスは、それに軽く右手を額に当てて返すと、
「あら、ミスター。アナタもここに居たのね。てっきり、機関室でふんぞり返っていると思ってたわ」
と、如何にも驚いたような顔をした。機関長までもが茉莉香のところに居た事は、彼女にも想定外だったのだろうか。
「よう、ベス。珍しいな。このクソ忙しい時に、船内をウロウロしていて良いのかい?」
彼は、茉莉香の隣からそう言うと、彼女を護るようにベスの視線を遮った。
(この人……、気配が読めなかった。能力者……じゃ、無いよね。でも、前に会った時と感じが違う)
茉莉香は、自身の超能力の増大に戸惑っていた。周囲から五感を超えた部分に届く感覚を、まだ制御出来ていないのだ。彼女は、受け取る自分が変わった事と、周囲が変わった事の区別がつかないでいた。
しかし、ベスに向けられたそれは、単なる違和感ではなかった。
──氷のベス
そんな彼女の二つ名を、茉莉香達は、まだ知らなかった。
「どうして、こんなところに?」
茉莉香は、当然の質問をした。
「どうも。ただ、……会いたかったから」
ブロンド美人は、クスリと笑うと、そう応えた。
「会いたかった……?」
茉莉香は、オウム返しのように、そう繰り返した。
「そう。会いたかったのよ。興味があるのよ、マリカ。アナタによ。それじゃダメ?」
挑戦するような目をしたベスは、そう言ってパイロットシートに近付いて来た。
「あたしなんか、その辺に居る女の子と同じですよー」
茉莉香は、冗談にしかならないような返事をした。
「いいえ。アナタは特別よ、マリカ。スペシャルなの。分かってて?」
ベスの言葉は、飽くまでも穏やかで、敵意は感じられなかった。
「特別? あたしが?」
茉莉香は、やはり、不思議なモノを見るような目で、ベスの事を見つめていた。
「お嬢……」
機関長は、茉莉香の異変に気が付いたのだろうか、彼女を背に隠すとベスを睨み返した。
「よぉ、ベス。どうせなら、あっちでオトナの話をしないかい」
そう言う彼の目は、笑っていなかった。
機関長も長年に渡ってESPエンジンを整備してきたのだ。パイロットには到底敵わないが、常人よりは感覚が鋭くなっていたに違いない。
「あら、無粋な。ミスター、アナタこそお邪魔よ。エンジンのお世話はどうしたのかしら」
クスクスと笑うベスは、柔らかい温かみさえ持っていた。表面上のことではあるが。
「マリカ、ご苦労様。アナタのお陰で、宇宙海賊を倒すことが出来たわ。勲章ものよ。凄いわ。マーベラス」
そう言って目を細めたベスは、聖母のように見えた。
宇宙軍も歯が立たなかった海賊を、茉莉香は見事に殲滅したのだ。ベスの言う通りだった。
「あ、あっはははは。あたしの力じゃ無いですよ。全部、ESPエンジンのお陰ですよ」
そんな彼女の返事にも、ベスは拍手を送った。
「でも、マリカが居なかったら、宇宙海賊は倒せなかった。でしょ。謙遜が好きなのね、ニッポンジンは」
そう言った時、ベスは、機関長の目の前まで来ていた。
「ミスター。いつかの時の、デリシャスなお菓子は残っているかしら。温かいコーヒーを持ってきたのよ」
そう言った少尉は、後ろ手に隠していたポットを差し出した。
「ねっ」
そう言ってウィンクをした美女に、さしもの機関長も、動かざるを得なかった。後に残した茉莉香を気遣いながらも、冷蔵庫に向かう。
「ストロベリータルトで良いかい」
冷蔵庫の中をゴソゴソと物色しながら、彼はブロンド美人に尋ねた。
「良いわね。ナイスチョイス。それも、ミスターのお手製?」
そう応えたベスは、茉莉香の座っているシートに腕をかけて、もたれるように身を預けていた。
「おうよ。そっちの兵隊さん達にはどうする」
機関長は、念のため、そう訊いた。訊いたところで、全員分に足る量は無いのだが。
「ノープロブレム。彼等には、『レーション』という、強い味方がいるわ。ねっ」
少尉がそう言って兵士達に目を送ると、<ピシッ>という衣擦れ音がして、彼等は再度敬礼をした。
「でも、良かったら、カップを人数分、用意出来るかしら。コーヒーはたくさんあるの」
そう言ってニッコリと笑う女性士官は、どこから取り出したのか、二本目のポットを見せた。
「はいはい。イエス、マム」
機関長は、ヤレヤレという感じで、冷蔵庫から出来たてのようなタルトを取り出して、脇のワゴンに一旦乗せた。カップを兵士達の人数分揃えるために、キッチンの方に消える。
「カレは、良いオクサンになるわね」
そう言うベスを、茉莉香は上目遣いで見つめていた。
恐れはない。穏やかだ。
聖母──でも、お母さんとは違う。
警戒? するほどではない。
でも、湯気を触るようで、実態が掴み取れない。
(どーしよー)
茉莉香は、彼女達にだけは、絶対に知られてはならない『秘密』を隠していた。
──それは……




