ESPエンジン(2)
ESPエンジンの正体は、強い瞬間移動能力を持った超能力者の脳神経であった。
頭蓋骨から取り出された生体脳は、様々な薬物と電気刺激で自我を失わされ、外部からテレパシーで送られてくる命令に従って、光速を突破する『ジャンプ』を行ったり、真空中からフリーエナジーを汲み出したりをさせられていた。
この人権無視の違法行為で以ってESPエンジンが製造されたため、その詳細は国家レベル以上の機密扱いとされた。
「わしも、もう寿命じゃ。死ぬ前に、そろそろ、本当の事を言っておいてもいいんじゃないかと思うてのう」
年老いたパイロットはそう言った。
「機関長は、感づいていたのだろう?」
老パイロットは、傍らで八杯目のビールを空けようとしている大男に声をかけた。
「まぁ、薄々はな。なにせ、毎日、数トンも「ブドウ糖」を投入したり、「溶存酸素濃度」やら「電解質濃度」を測らされたりしてたら、このエンジンが『単なるメカの塊』とは到底思えないじゃないか。少なくとも、何らかの『生体部品』が使われている。俺は、そう思ってたよ。まぁ、イルカの脳くらいまでは想像していたが、まさか人間の、しかも超能力者の脳ミソとは驚いたよ。だが、爺さん。こんな事を俺たちに話して、あんたどうするつもりなんだ」
と、ビール腹の機関長は、ジョッキを空けながら訊いた。
老人は、再び「はぅ」と息を大きく吐いた。
「知っておいて欲しかったんだよ。私たちのことを。そして、覚えておいて欲しかったんだよ。大移民計画の裏で、犠牲になってきた人々が居ることを……」
老いたパイロットは、ゆっくりとそう言った。
「そうさなぁ。こんな話は、ごく一部の人間しか知らない。ESPエンジンの生体脳が人だった頃の面影を知る者も、もはや居ないからかなぁ」
船長は、感慨深げにそう言った。そして、こう続けた、
「わしゃ、少し疑問があるんだが。いいかい?」
「どうぞ」
「ESPエンジンが作られて、長いモノは百二十年程は経っているわけだが。寿命は、大丈夫なのかい?」
問われた老人は、ワインを少し飲み込むと、
「そうさなぁ。医学的には、『千年は生きる』と聞いている。自我を失い、身体も臓器も奪われて……。それらを動かす分の脳細胞も、超能力に使われるように調整したらしい。それに、元々エスパーは長寿だ。自身の代謝機能を調節して、数百年を生きた例があるそうだ。もっとも、わしのようなか弱いテレパスは、そんなに長くは生きられないらしいがな」
と、自嘲気味に付け加えた。
「航海長、船医は何と言っていた?」
船長が航海長に尋ねた。パイロットの容態のことだろう。
「船医は、「このまま安静にしていれば、あと五年は生きられる」と仰っていました」
航海長はこう答えたものの、パイロットは、
「それも怪しいのう。老いて弱ったとはいえ、わしも超能力者じゃ。危険を感知するESPエンジンの『予知システム』もある。『予知システム』は、ほんのわずか先の未来しか教えてくれないが、その中にわしの死を予見するものがあった。もう、長くはないじゃろう」
そう話す老人に、悲しみとか憂いとかの感情は、既に見られなかった。
「それで、後継者探しか……」
三人のうちの誰かが呟いた。
「次のパイロットが、あの娘なのだな?」
船長が尋ねた。
「間違いなく、あの娘だよ。何度もわしの夢に出てきた。そして、この夕方にプロファイルが届いた。間違いなくあの人の血統だよ。大丈夫。心配は……いらない」
老パイロットは、最後の息を絞り出すように、そう言った。
「ああ、ところで質問なんだが。話を聞かせてもらって、わたしは疑問に思ってたのだが……。二十年という短い期間に、よくESPエンジンなんてシロモノを八台も作ることが出来たもんだと思うよ。必要なのは、『百年に一人』の強力な超能力者なんだろう。不思議なもんだな」
航海長は、そんな疑問を呈した。
老いたパイロットは、クスリと笑うと、次のように語った。
「取り返しに来たんじゃよ、仲間のエスパーが。超能力者は、普通、社会から虐待され、影に隠れて生きる。そのため、超能力者同士の結束は固い。仲間が「生きたまま脳を取り出された」ということは、エスパーたちには程なく知れ渡った。それで、エトウのところに、『一号』を取り返すべく、何人もの優秀なエスパーが大挙して押し寄せたんじゃよ」
「で、返り討ちにあった、と……」
「そうじゃ。今では本当に強力なエスパーは、「己の存在を如何に知られずに生活するか」に全勢力を注いでいる。以前のような方法では、簡単に捕まえられんのじゃよ」
安楽椅子の上から、苦笑交じりに種明かしがされた。
「その意味では、千年後に何か起こる可能性があるってぇ訳だ」
「寿命を迎えたESPエンジンの『替え』が必要になるってことか」
誰もが想像したその一言が、一同に沈黙を招いた。
「しみったれた顔をすんなよ。まだ九百年もあるんだろう。今は、航海の無事を祈って乾杯だ。お偉いさん方、まだ飲めるんだろう」
機関長が威勢のいい声を挙げた。それを聞いて、誰とはなくグラスを上げ『乾杯』と口々に言った。
薄暗い部屋に、カチンと、グラスの当たる音が何回か響いた。
そして、誰にも知られることなく、操船室での饗宴は、最後を迎えようとしていた。
一方、健人に連れられて、茉莉香は自宅に戻ってきた。
茉莉香がアパートの入口に立つと、扉に埋め込まれたピンホールカメラが彼女の虹彩をスキャンし判別、自動的にプライマリーロックを解除した。
少女はドアを開けると、
「健人、今日はありがと。あたしは、もう大丈夫だから」
と言って、家に入ろうとしていた。
「本当に大丈夫なんだろうな」
健人は、彼女の手荷物を差し出しながら、そう言った。少し頬が赤らんでいる。
「うん、大丈夫。お母さんも、今日は早く帰ってくるって言ってたし」
と、茉莉香が応えた。しかし健人は、
「ほんとか。ほんとに大丈夫なんだな」
と、念を押すように訊くのだ。
「もう、健人は心配症だな。お父さんみたい。って、あたしには、お父さん居ないけど」
「むぅ、俺はそんなに年寄りじゃないぞ。……まぁ、茉莉香が大丈夫って言うんなら、大丈夫なんだろう。じゃぁ、気をつけてな。何かあったら、俺んとこに電話しろよ」
すぐ隣のくせに、健人は『電話』などという言葉を使っていた。
「分かった、分かったよ。じゃあ、また明日ね」
「おう、また明日」
そう言って、茉莉香はドアの向こうに消えた。
彼女が家に入っても、健人は、まだ扉の前でウロウロしていた。なんとはなく気になったのだ。だが、そんな不審者のような行為も、十分も過ぎると飽きてしまったのか、彼も自分の家に戻った。
部屋に戻ってきた茉莉香は、鞄を机の上に放り出すと、シャツとデニムのパンツを脱いで、無造作に床に放り出した。代わりに大きめのティーシャツと短パンを取り出すと、それに着替えた。とにかく身体を締め付けるモノは嫌だったのだ。窮屈な服から開放された茉莉香は、ベッドに寝っ転がると、多機能端末でニュースを見ることにした。
しばらくは端末の画面に指を滑らせて、興味のある記事を見つけては、詳細を読んだりしていた。
と、突然、少女の指が止まった。その記事の見出しに、こう書かれていたからだ。
『Cブロックで『ジャンプ酔い患者』が発生。乗務員は注意を』
(ああ、もうニュースになっている。嫌だなぁ。学校にいた子は、皆あたしのこと知ってるだろうなぁ。きっと、この近くじゃ噂になってるだろうなぁ。あ~あ、憂鬱)
この先、茉莉香に思いもしなかった未来が訪れるのだが、今の彼女は、それを知るよしもなかった。