大航海(5)
ジャンプの延期が決定されてから三十分後、ギャラクシー77の大会議室で、茉莉香達は会議を行っていた。
「で、ジャンプ先目標に、未知の質量体が複数観測されたのは、本当なのかな?」
護衛艦隊の作戦参謀であるオルテガ中佐が、まず口を開いた。
「はい、確かです。しかも、二箇所もです。詳細は、パイロットの橘茉莉香から、ご報告します。茉莉香くん、お願いする」
航海長がそう言って、席を茉莉香に譲った。
茉莉香は緊張しながら立ち上がって、左手に持ったタブレット型の端末を操作した。すると、大会議室の照明が暗くなり、中央に三次元宙域マップが投影された。薄暗い緑色のワイヤーフレームで球体が描かれ、その中に数十個の黄色の光点が灯っている。
「これは、星間マップ、セクターK12、ポイント22δのスキャン結果です。メッシュの一目盛は五パーセクに相当します」
茉莉香が説明すると、中佐以下、護衛艦隊の士官達が頷いた。
「次に、第二候補宙域の、セクターK37、ポイント23γのスキャン結果がこれです」
茉莉香が端末を操作すると、先に投影されていた宙域図が横にスライドし、新たに二つ目の球体が投影された。これにも、黄色の光点が、同じくらいの数、光っていた。
「ふむ。で、これは珍しい事なのかね。我々軍には、星系外での作戦経験が無いのだ」
中佐は、怒っているのか、嘲っているのか、よく分からない表情を浮かべていた。
茉莉香は、少し顔を引きつらせると、ESPエンジンが導き出した結果を口にした。
「ええーっと、このように定期航路として指定された宙域に、障害物が複数出現する確率は、非常に低いものになります」
彼女は、一旦区切ると、チラッとオルテガ中佐の顔を見た。やはり、憮然としている。
「えと……恒星間航行の過程では、予期しない事態に備えて複数の航路を準備していますが、今回のように、二箇所のジャンプ先候補宙域に、同時に複数の不明な質量体が出現する可能性は、更に低いものになります。……具体的には、2.38かける十のマイナス八乗パーセントです」
ここで、茉莉香は、もう一度中佐の方を見た。彼は、相変わらず憮然としている。
「ええっとぉ、つまりですね……」
「つまりは、『ほとんどあり得ない事』という訳ですね。ミス・タチバナ」
茉莉香が言いそびれていたところを引き継いだのは、連絡将校のベス──エリザベス・ハウゼン少尉だった。彼女は、第四十八太陽系に入港した時から、サポート役としてギャラクシー77に乗り込んでいたのだ。
「は、はいっ。そーゆー事です」
茉莉香は、振えかけた声で、そう言った。
「ふむん。『通常ではあり得ない事』が起こったのは分かった」
中佐はそう言って、テーブルの上に肘を立てて両手を握りしめた。
「で、この現象は、航海にとって重大な障害となるものなのかね? 見た感じ、質量体は数十個ほど以上だが、その間隔は開いているように見受けられる。この程度の密度の星間物質であれば、恒星系の近くなら、当たり前に存在している。『ジャンプ』をするのが不可能な訳ではあるまい」
彼は、そう続けると、茉莉香を睨んだ。
茉莉香は、自分の頬に汗が伝うのが分かった。
「あのぉ……それはですねぇ……」
茉莉香がおたおたしていると、航海長が助け舟を出した。
「それは、恒星系侵入のための『ショート・ジャンプ』を行う場合です。本日予定していた『長距離大ジャンプ』では、ジャンプ・アウト時の誤差が、約二分の一光年ほど生じてしまいます。質量間の隙間が大きいように思われるかも知れませんが、本船がジャンプ・アウトした時に、障害物と接触する確率は、1.8パーセントにもなってしまいます。これは、恒星間航行時の危険としては、無視できない確率です。それと……」
航海長が続きを言おうとした時、それを遮った者がいた。船長である。彼は立ち上がると、こう言った。
「それと、このように、『あり得ない』状況に陥ったのには、人為的な操作があったと結論せざるを得ません」
中佐は、拳の上に顎を預けると、上目遣いに船長の顔を睨んだ。
「つまりは、これらの質量体は、『何者かが意図してばら撒いた』……と言いたいのかな、船長」
そう言った中佐を、船長は冷静な目で見つめていた。
「その通りです、中佐。そして、それを意図した者、それが出来る者は、一人しかいません」
「宇宙海賊シャーロット」
船長の言葉に重ねるように、オルテガ中佐が言った。
「…………」
しばらくの沈黙の後、中佐はニヤリと笑みを浮かべると、
「ブラボー。ナイスな判断だ。船長の推理は、我々の出した答えと一致している」
と、続けた。
それを見て、茉莉香はホッと胸を撫で下ろした。急に足から力が抜け、<ドサリ>と音をたてて椅子に座り込んだ。
「このような事が出来るのは、百年に一人の超能力者であるシャーロット以外に考えられない。もし、あなた方が、第三、第四のジャンプ先候補をスキャンし、そこに、たまたま障害物が無かったとしたら。……そして、その宙域にジャンプをしていたとしたら。恐らく我々は海賊の仕掛けた罠に陥っていたに違いない」
オルテガ中佐は立ち上がると、皆に演説するように、そう言った。
「では、中佐殿も、これがシャーロットの仕掛けた罠だと」
航海長が、少し顔を歪めて言葉を放った。
「当然だ。そして、我々は待っていたのだよ。これは好機だ。我々の『シャーロット捕獲作戦』を実施する絶好の機会だ」
中佐は声も高らかに、そう言ったのだ。
会議室に、一瞬、静けさが戻った。
「船長、これから順番にジャンプ先候補の宙域をスキャンし、ジャンプ可能な宙域を特定して欲しい。それが分かり次第、我々は『作戦』を開始する」
──作戦!
オルテガ中佐は、確かにそう言った。すると、航海長は声を荒げて、こう言い返した。
「では、敢えて海賊の仕掛けた罠に飛び込むと」
中佐は、彼をジロリと睨むと、
「そうだ。その通り。海賊が罠を仕掛けているからには、彼はそこにいる。違うかね?」
と言ってのけたのだ。それに対して、航海長は、
「罠と分かっていて、そこにジャンプするなんて無謀です。私は、ギャラクシー77の安全な航海の責任者として、そのような事を許すことは出来ません」
と、応えた。
「同感ですな」
船長も、航海長に同意した。
「シャーロットが罠を仕掛けていたとしても、それがどのようなモノかも分かりません。私も船を預かる責任者として、許可することは出来ません」
しかし、中佐は、それを一笑に付した。
「許可ぁ? 君達に許可をとる必要はないのだよ。最初に言っておいたはずだ。ギャラクシー77は、本作戦に参加すると同時に、軍の指揮下に入ったのだと。そして、それが『エトウ財団』の意思であると。よもや忘れたとは言わせんぞ」
船長は、この言葉に、奥歯を噛み締めていた。航海長は、その握った拳を震わせていた。
「百年以上の時を経て、我々地球人類に、やっと新たなESPエンジンの核心部品を入手する機会が巡って来たのだ。これを、どうして逃す事が出来る? 今やらねば、次はいつになるのだ? 百年後か? 二百年後か? 我々は、まだ幾つもの『ESPエンジン』を必要としている。忘れている訳ではあるまい、権田船長」
中佐の言葉に、船長は応えることが出来なかった。
「で、また、オレ達は罪を重ねる。と、言う訳ですかい、中佐さんよぉ」
会議室の皆が、声のした方に目を向けた。そこには、横柄に椅子の上にのけぞっている機関長の姿があった。
「爺さん──先代のパイロットは、『ESPエンジンの発明は、人が人として、手を出してはいけない事だったのかも知れない』って言ってたぜぇ。この船の機関室で『ESPエンジン』をいじってきたオレの手は、既に血にまみれているんだ。それを更に真っ黒にしろって事だよな。それが、人間に許される事なんかよぉ。なぁ、中佐さんよぉ」
いつもはふざけていて緊張感のない機関長が、鋭い目つきでオルテガ中佐を睨んでいた。
「そうだ。人類は、その罪の上に繁栄を築いてきたのだ。誰に許しを請う必要がある? 神か? 神が我々に何をしてくれた。限られた小さな水たまりに浮かんだ、ちっぽけな土地の上で、増え続け、死に到ろうとしていた人類を、神は救ってくれたか? 違うな。人類を救ったのは、ESPエンジンを発明したエトウ達、三人の科学者だ。それが罪だと言うなら、そう言えばいい。だが、それで我々は生き延びる事が出来るのかな? いや、黙って死を受け入れるだけだ。それで良いのか、君は」
中佐は、機関長に向けて、大きな、力のこもった声で、そう言い返した。
それに対して、機関長は、頭をボリボリと掻きむしると、中佐を睨み返した。
「別にオレだって、『祈ってれば神様が助けてくれる』なんて、都合の良い事を言うつもりはないね。ただ、さっきも言っただろう。オレ達の手は、もう血糊で真っ黒なんだよ。それを更に血で汚して、……そんな手で愛した女を抱けるかぁ。愛しい子供を抱きしめられるかぁ。オレは、そんな事を平気で出来るほど、狂っちゃいないんだよ。ただ、……それだけさ」
真っ直ぐに自分を見つめる瞳に、中佐は初めて柔らかい微笑みを浮かべた。そうして、機関長にこう言った。
「その通りだ、ミスター。我々の手は血まみれだ。だが、それがどうした。生きるため……生き抜くために他の命を犠牲にする。ただ生きている事だけで、我々は数多くの命の犠牲の上に立っているのだ。これ以上、何の躊躇いがある? 相手が、『牛や豚』か『人間』かの違いでしか無いではないか。今、我々が手を汚さずして、どうやって自分の愛した者達を救えるのだ。愛する者達を生き延びさせる。その為に自分の手を汚す必要があれば、私は喜んで血にまみれよう。そして、願わくば、愛する者達がこれ以上血で汚れぬように祈る。我々に出来るのは、せいぜいがそれぐらいなのだ」
そう言った中佐は、血を吐いたような顔をしていた。
「分かっているよ、ミスター。残念ながら、我々は神では無いのだ」
最後にそう言った彼の言葉の中に、クルー達は、どこか諦めにも似た潔さを感じていた。
それを見つめる機関長の瞳は、いつしか黒く淀んでいた。
そして、室内は再び静寂に包まれた。




