大航海(2)
──乗組員の皆さんにお知らせします。本船は、間もなく『ジャンプ』を行います。不測の事態に備えて、お近くの取っ手やテーブルにおつかまり下さい。
明るい女性の声で、船内放送が流された。超光速航法『ジャンプ』の実行にあわせてカウントダウンが始まる。
──『ジャンプ』15秒前。……秒読みを開始します。10,9,8,7,6,5,4,3,2,1、『ジャンプ』……終了しました。ジャンプ酔いなど、ご気分の悪い方がいらっしゃいましたら、お近くの係員までお知らせ下さい。
「ふぅ、『ジャンプ』終了。……ブリッジ、パイロット。『ジャンプ』終了しました。半径二十光分以内に不審物なし。各部点検願います」
茉莉香は、『ジャンプ』終了の連絡を、ブリッジに行った。
<パイロット、ブリッジ。了解。船内各部点検、開始。随伴艦二隻、本船の両舷、五十メートルにて慣性航行中。航法システム、通常モードに移行>
ブリッジからの返事があった。
「ブリッジ、パイロット。了解しました。ESPエンジン、通常モードに変更します。機関室、パイロット。主機関、通常モードに。ESPエンジン、クールダウン開始して下さい。電解質濃度のチェックと、追加で、ブドウ糖を一トン充填して下さい」
<パイロット、機関室。了解。ESPエンジン、クールダウン開始。ブドウ糖の追加充填を行う>
(ふぅ。何とか終わったなぁ。あたしだって、やれば出来るじゃん。このくらい、余裕余裕)
茉莉香は、『ジャンプ』の成功で、少し落ち着いたようだった。
しかし、その時、アラートが鳴った。
<こちらコロンブス-3。異常事態発生。右舷通信ケーブル、及び、第三安定翼破損・脱落……いや、消失。どうなってるんだ、ギャラクシー77>
(えっ、あれ? 何? あたし、何か失敗した?)
茉莉香が動揺していると、ブリッジからの通信が入った。
<パイロット、ブリッジ。異常事態発生。随伴艦、コロンブス-3で破損事故が発生した。何が起こったんだ?>
「あ、……え~と。失敗しちゃったかなぁ。どうしよう……」
茉莉香が返答に困っていると、更に通信は続いた。
<パイロット、どうした。何の異常だ。おい、返事をしろ>
「あの……えーと、こちらパイロット。……えーと、あのですねぇ、……『ひゅーまんえらー』……です」
<何だ、よく聞こえないぞ。もしかして、ヒューマンエラーか?>
「ご、ごめんなさい! 失敗しちゃいました。空間把握が不充分だったみたい……です」
茉莉香のこの返事に、スピーカーの向こうの声は、一瞬、戸惑ったようだった。
<ヒューマンエラーねぇ。……りょーかい。まぁ、初めての遠距離ジャンプで、しかも随伴艦付きだからなぁ。……実質的に損害は軽微だし、人命にも支障が無かったからいいが。今度からは、気を付けてくれよ。護衛艦の方には、こちらから適当に話をつけておく>
「す、すみません。ご配慮、感謝します」
<了解。取り敢えず、『ジャンプ』終了だ。ゆっくり休んでくれ>
「ありがとうございます……」
そうやって、通信は一旦終了した。
「ああああ~。やってしまったぁ。上手く出来たと思ったんだけどなぁ。『ジャンプ』って、想像以上にデリケートだったんだ。フリゲートの艦長さん達……、怒ってるよね。そうだよね。どーしよぉー」
茉莉香は、両手で頭を抱えると、そう叫んでいた。
今回は、アンテナと安定翼を、元の空間に置いて来てしまったらしい。だが、まかり間違うと、護衛艦を真っ二つにしかねないような危ないところだったのだ。
茉莉香は心の内で反省していた。少し思い上がっていたのかも知れない。彼女は途方に暮れながら、コンソール脇に置いてあったマニュアルを取り上げると、ページを一枚、また一枚と捲っては、内容に目を通していた。
「ふぅ。安定翼の欠落か……。この程度で済んで良かった。次からは、もっと上手くやってくれるだろう」
キャプテンシートで船長は肩をすくめていた。
「両舷停止、機関停止。随伴艦の修理完了まで、慣性航行を続ける。現在位置、再確認。全天観測を厳に。星間マップとの照合を急げ。それから、航法システム再チェック。他に破損箇所が無いかを、総点検しろ」
船長は、念の為に船内の徹底チェックを指示した。
「全天観測開始。星間マップとの照合、開始します」
「各部、再チェック。外装、及び気密隔壁の超音波スキャンを開始。システム自己診断プログラム、起動」
「機関室、ブリッジ。補助機関停止、慣性航行に入ってくれ」
<ブリッジ、機関室。了解。補助機関停止。各部、再点検に入る>
船長の命令で、クルー達は船内の総点検を始める為に、めまぐるしく計器を操作していた。
──乗組員の皆様にお知らせします。『ジャンプ』が終了しました。本船は、これより点検のため慣性航行に移行します。船内の異常にお気づきの方がいらっしゃいましたら、係員までご報告下さい。繰り返します。本船は、これより点検のため慣性航行に移行します。船内の異常にお気づきの方がいらっしゃいましたら、係員までご報告下さい。
女性の声で船内にアナウンスが流れた。
その声は、茉莉香の母にも聞こえていた。
(何か有ったのかしら。茉莉香は大丈夫なのかしら……)
彼女は、心の隅に何かしらの不安を覚えていた。手早く部屋の中を片付けると、上着を羽織る。そして、何かを決意したように頷くと、自宅を後にした。
一方の茉莉香は、操船室で、まだ考え込んでいた。
(あーあ、失敗しちゃったなぁ。せっかくの護衛艦を壊しちゃった。きっと怒ってるよね。皆、怒っているよ。これからどーしよー。憂鬱)
彼女の眼は、マニュアルの文字を追ってはいたが、その内容は全く頭に入ってこなかった。
とうとう茉莉香はマニュアルを放り出すと、パイロットシートの上に膝を抱えて縮こまった。我知らず「はぁ」という溜息が出る。
その時、操船室の扉をノックする音が聞こえた。
「はぁ~い。開いてますから、ご勝手にどーぞ」
茉莉香は眠そうに応えると、シートの上で踞っていた。
そんな彼女の前に現れたのは、母の由梨香だった。
「まぁ、どうしたの、茉莉香。何か嫌なことがあった?」
そう問い掛けられて、茉莉香は初めて母の存在に気がついた。
「お母さん……どうして?」
茉莉香は顔を上げると、不思議そうにそう尋ねた。
「どうしても、こうしても、ありますか。お母さんはね、茉莉香の事が心配になって、ここへ来たの。一体どうしたの? お母さんに話してごらんなさい」
その声に茉莉香は涙ぐむと、
「お母さん、あたし、失敗しちゃった。皆に迷惑かけちゃったの。きっと、皆、怒ってるよ」
と、母に応えた。
由梨香は、少し複雑な顔をすると、左手で茉莉香の髪の毛をグシャグシャとかき回した。
「やだぁ、お母さん何するのよぉ」
と、茉莉香は反駁したが、母の手は止まらなかった。
「なぁに凹んでるの。あなたは立派にお仕事をしたでしょう。何にも悪くなんかないわ」
母にそう言われても、茉莉香の心は晴れなかった。
「だって、せっかく司令官が用意してくれた護衛艦を壊しちゃったの。あたし達を護ってくれるはずの艦を壊しちゃった。軍艦の人達も、船長さんだって、きっと怒ってるよ」
母は、「ふぅ」と溜息を吐くと、
「船長さんがそう言ったの?」
と、聞き直した。
「ううん。ブリッジの人がね、護衛艦の方には話をつけてくれるって……」
と、茉莉香は正直に応えた。
「ほうら、全然、怒られてないじゃない」
「でも、ちょっと間違ったら、艦が真っ二つになったかも知れないの。そうだったら、『ごめんなさい』じゃ済まないよ。あたし、もっと上手く、慎重にするべきだったのに」
茉莉香はそう言うと、グズグズと涙ぐみ始めた。
「船長さんに怒られた訳じゃないんでしょう。なら、問題なしよ。この船に、茉莉香以上に『ジャンプ』が上手に出来る娘は居ないんだから。だから、もう泣かないの。次は、もっと上手く出来るようになってるわ」
母に、そう言われて、茉莉香は顔を上げた。
「本当? ホントにそう思う?」
と、茉莉香は幼女のように母に縋った。そんな娘を抱き寄せると、由梨香はこう言った。
「本当よ。あなたは、お母さんの自慢の娘だもの。大丈夫。きっと上手く出来るわ」
母にそう言われて、茉莉香は、
「うん……うん。分かった。あたし、今度はもっと頑張る」
と泣きながらも、そう言った。
「そうよ。きっと上手く出来るわ。だから、大丈夫」
由梨香はそう言いながら、抱きしめた我が娘の頭を撫でていた。
しかし、そんな母娘を無視するように、脅威は徐々に、徐々に近づいていた。




