新米パイロット(4)
ギャラクシー77は、未だ真空の宇宙を漂っていた。
目的地の、第四十八太陽系までは、あと八光年程の距離である。
<Fブロック隔壁、未だエアが漏れてるぞ。ピンホールがないかチェックしろ>
<了解>
船外作業員は、手持ちの物資で出来得る限りの修理を行っていた。
宇宙では、ほんの少しのトラブルが、船全体の喪失に繋がる恐れがある。特に、船体外殻は、船内と真空の宇宙空間を隔てる壁である。空気漏れや強度不足があってはいけない。あと一回の『ショート・ジャンプ』で、第四十八太陽系に着くとは言っても、油断は禁物だ。
「えーとぉ、琴座の方向には、銀河プラズマ流が流れていて、『ジャンプ』先の特定に注意が必要。……山羊座方向は未だ探査が終わっていないから、不用意に近づくべからず、……か」
茉莉香は、今、操船室のモニタパネルで、銀河宙域マップのおさらいをしているところだ。
「ふうん。地球から離れると、星座の星の並びも変わっちゃうんだ。全天観測で位置を特定するのって難しいなぁ」
茉莉香は誰に言うこと無く、そう呟いていた。
学校では、もう少し学年が上がらないと、宙域マップについての詳しい授業がない。茉莉香に取っては、チンプンカンプンであった。
「あたしって、こういうの不得意なんだよね。でも、覚えなきゃ船の運転が出来ないし」
と、ブツブツ言いながらも、彼女は少しずつ知識を深めていた。
茉莉香が学習を続けていた時、操船室の入口のドアが開いた。
「よう、お嬢。はかどってるかい」
入って来たのは、つなぎを着たでっぷりと腹の出た男──機関長だった。
茉莉香は入口の方を向くと、
「あ、機関長さん。何か御用ですか?」
すると、彼は、白い箱を胸前に持ち上げると、
「アップルパイを焼いてきたんだ。お嬢、そろそろ、休憩にすべ」
と、言った。
「アップルパイですか! やた。じゃ、そこのテーブルのとこに座ってて下さい。もうすぐ終わりますから」
「あいよ、お嬢。……え、お前たち、何でこんなとこにいるんだ?」
茉莉香が支持したテーブルには、数人の男性が、所狭しとひしめいていた。
「もしかして、お前らもか?」
機関長が、端っこに腰掛けている航海長に尋ねた。
「悪いかな。私が茉莉香くんのところにいるのは」
と、彼はいつものキリリとした表情を崩さずにそう応えた。
「航海長の他にも、チーフ・エンジニアに、保安部の部長。よく見たら船長までいるじゃないかい。一体どうなってるんだよ」
機関長の疑問に答えたのは船長だった。
「どうも、皆で同じ事を考えていたようでね。茉莉香ちゃんのことが、どうしても心配でね。自分の部屋にいてもすることがないから、ちょっと様子を見に来たんだ」
「いや、私は別に心配というわけじゃなく、茉莉香くんの学習が順調かどうかを確かめに来たんだ」
と、航海長は、ますますキリッとした態度で、そう言った。
「まぁ、忙しいのは『修理屋』だけで、第四十八太陽系への『ジャンプ』が終わらなけりゃ、特に仕事もないしなぁ」
と、答えたのは船のチーフ・エンジニアであった。
「何言ってんだ。お前さんは、船の応急修理の監督があるじゃないか。こんなところでさぼっててもいいのかよ」
機関長が、チーフ・エンジニアに反論した。
「まま、いいじゃないか。皆、お嬢ちゃんが気になってるんだよ。それよりも、機関長。機関室の方は大丈夫なのかい? 『最終ジャンプ』に向けて、機関の調整をしないとならないんだろう」
他の幹部達と同様に、彼にも為すべきことがあるはずなのだ。しかし、
「何の問題もないさ。うちの機関士達は特別に優秀でな。機関長が一人くらい抜けても立派に仕事をこなせるんだよ」
屁理屈にもならない言い訳をした機関長は、憮然としてテーブルの脇に立っていた。
「ふぅ、なるほどね。そんなところに突っ立ってないで、君も座りなさい」
「へいへい。じゃぁ、ちっと座らせてもらいますよ」
船長の一言で、機関長はただでさえ狭いテーブルの椅子にめり込むように座った。
「お待たせしました。すいません、長い間待たせちゃって」
しばらくして、茉莉香がテーブルにやって来た。
「狭そうですね。椅子か何か持って来ましょうか?」
彼女がそう言うと、
「いや、別にいいよ。気にせんでくれ。ところで、茉莉香ちゃん。勉強の方は、はかどっているかい」
と、船長が逆に質問をしてきた。
「やっぱり難しいです。先輩パイロットから記憶を受け継いだと言っても、それをいつでも使いこなせなくては一人前のパイロットとは言えませんから。まだまだ新米のままです」
茉莉香は、ちょっと俯いてそう言った。
「そうだね。銀河宙域マップは、学習指導要領では高等部二年生から学ぶ事になっているからね。難しいのは仕方がない。……そうだ、私が「家庭教師として毎日教えに来る」というのはどうだろうか」
と、航海長が驚くような提案をした。
「お前、仕事は大丈夫なのか? そんなこと言って、操船室に来たいだけじゃないのか」
そんな航海長に、機関長が横槍を入れた。
「問題ない。航海部は優秀な人材が揃っているからね。それに、航路や『ジャンプ』の予定のミーティングをするにも持って来いだ。君こそ、機関部の仕事をさぼっているんじゃないのかな」
航海長は、キリッとした顔でそう言った。
「さっきも言っただろう。うちだって、優秀な機関士が揃っているからな。俺は、お嬢に差し入れを持って来たんだよ。それに、ESPエンジンの調整についても相談しなくちゃならないからな」
と、機関長も負けじと応戦した。
「まま、二人共、意地の張り合いはやめんか。茉莉香ちゃんが困ってるだろう」
と、船長が間に入って、仲を取り持ってくれた。
「すいません、皆さんにご心配かけて。先輩パイロットが死んじゃった時は、本当にもうダメなんじゃないかと思いましたが、皆に励まされて『ショート・ジャンプ』も一人で出来るようになりました。あたしは、もう大丈夫です」
茉莉香は、そう言って笑顔を見せた。
「そいじゃぁ、折角だから、機関長の持って来たアップルパイを食おうぜ」
と、チーフ・エンジニアがニヤニヤしながら言った。
「あ、じゃぁ、あたし、切り分けて来ますね」
「おう、済まねぇな、お嬢」
そう言って、茉莉香はアップルパイの箱を受け取ると、キッチンの方に消えた。
「おめぇも隅に置けないな。若い娘が好みとは聞いていたが、ロリコンだったとはね」
チーフ・エンジニアが、機関長に向かって言った。
「そ、そ、そんなんじゃねぇよ。お嬢は特別なんだ。この船を操縦できるただ一人の人間だ。機関長としては気にしておかないとならん。先代の爺さんの時も、懇意にしてもらってたからな。つまり、パイロットと機関士は、それぐらい親密な関係ってことさ」
と言って、彼は『ロリコン』疑惑を否定しようとした。
「私は、茉莉香くんのような娘はきらいじゃないよ。少し物怖じするところがあるが、明るくで素直な娘じゃないか」
と、航海長は機関長に向かって言った。
「おい、航海長。お嬢が可愛いからって、手ぇ出したりするなよ。まだ未成年なんだからよう」
機関長の忠告に、航海長は、
「分かってるさ。これでも分別はわきまえているんだ」
と、彼はキメ顔で答えた。
その時、茉莉香がキッチンからワゴンを押して表れた。
「お待ちどう様。お茶も淹れてきたんだよ」
「お、待ってました」
という事で、集まったメンバーは、ティータイムに入った。
「お、なかなか美味いな、このアップルパイ。機関長のお手製かい」
「おうよ。料理をするのは趣味なんでな」
「すごいなあ、機関長さんは。今度、あたしにも教えてよ」
「おう。さっきの航海長の言葉じゃないが、お嬢、家庭家の授業は俺がしてやろうか」
と、機関長が出し抜けにそう言った。
「え? 機関長が家庭科ですかぁ」
茉莉香が聞き返すと、船長はこう言った。
「実はね、茉莉香ちゃんが学校に行けない分、家庭教師をつけようかと話し合っていたんだよ。特に宙域マップや天文学は航海長がやりたいと言っててね」
それを聞くと茉莉香は驚いた。
「あたしなんかのために、わざわざ航海長さんが。恐れ多いです」
「私なら構わんよ。天文学や宇宙航行論は、大学で専攻していたからね。ちゃんと学位もとっている」
と、航海長は、いつものキメ顔で応えた。白い歯が、照明を反射して光っている。
「まぁ、航海長が教えるというのは冗談としても、茉莉香ちゃんには家庭教師が必要だと言うのは本当でね。我々の都合で、学校にも行けなくなってしまったんだから」
それを聞いて、茉莉香は「はぁ」と溜息を吐いた。そして、
「あたし、あんまり勉強好きじゃないから、家庭教師とか無理につけてくれなくても良いのに」
と、少し小さな声で言った。
「いや、茉莉香ちゃんは未だ十六だ。少なくとも、高等部卒業に相当する学力だけは付けてもらわなくては。勿論、歴史や語学なんかの他の教科もね。ギャラクシー77では、十八歳までは義務教育として、学問を修める事になっている。それに、これは君のお母さんのご希望でもあるんだよ」
それを聞いた茉莉香は、
(お母さん、余計な事しなくて良いのに。やっと、つまらない勉強から逃れられると思ってたのになぁ)
と、心の中で考えていた。
「まぁ、家庭教師のことは、私に任せなさい。それより、折角これだけの面子が揃ったんだ。最後の『ショート・ジャンプ』のミーティングをしようか」
と、船長が提案した。
「分かりました」
と、茉莉香は答えて、自分もテーブルの一角に座った。
あともう少しで、第四十八太陽系である。ギャラクシー77は、無事に辿り着くことが出来るのだろうか。




