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ひらめき(2)

──本船は間もなく『ジャンプ』を行います。不測の事態に備えて、お近くの手すりなどにおつかまり下さい。本船は間もなく『ジャンプ』を行います。


 無機質な船内アナウンスが、教室のスピーカーから聞こえた。

 ギャラクシー77が超光速で移動するための特殊航法──それが『ジャンプ』であった。

 その原理は、ESPエンジンの実証機が開発されてから百年以上経った今でも、まだ解明されていなかった。

 もしかしたら、ESPエンジンを発明した科学者達にも、それは解っていなかったのかも知れない。現在、ESPエンジンの最深部はブラックボックスとなっていて、ごく一部の者だけが、その製造方法を管理していた。


──『ジャンプ』五分前。不測の事態に備えて、手近の手すりなどにおつかまり下さい。


「皆さん、『ジャンプ』ですよ。机にしっかりとつかまりなさい」

 先生が、クラスの皆にそう言った。

「今更、『ジャンプ』とか言われたって。どうせ何にも起こんないんだし」

 茉莉香(まりか)は、そう独り言ちた。

 ギャラクシー77の中で生まれ育った彼女らにしてみれば、ありふれた日常の事であった。毎日、朝が来て、夜が来たら眠る。それくらい当たり前の事だった。


──『ジャンプ』、一分前です。秒読みに入ります……


 茉莉香達は、机にしがみついていた。大昔の地震訓練のようなものだろうか? 茉莉香は、小さい時に聞いた年寄りの話を思い出していた。


──『ジャンプ』、十秒前、九、八、七……


 カウントダウンが続く。


──四、三、二、一、『ジャンプ』……終了しました。楽にして下さい。この『ジャンプ』により、本船は百二十光年の距離を移動しました。『ジャンプ酔い』の方がいらっしゃいましたら、お近くの職員までご連絡下さい。


 終わった。『ジャンプ』と言っても、特別に身体に感じる事がある訳ではない。窓のあるところにでも居れば、「星の位置が瞬時に変わる」という体験が出来るのだろう。でも、船内に居るなら、アナウンスがなければ「何が起こったか」すら分からない。『ジャンプ』とは、そういうモノだった。


(あーあ、つまんないな)


 茉莉香は机から手をはなして、身体を起こそうとした。その時、眼の奥にキラキラとしたものがひらめいた。続いて、目の前が真っ白になる。


(え? あ……あれ。……な、なに、こ……れ)


 彼女は、驚いて立ち上がろうとしたものの、足がしっかりせずに<ガタッ>と椅子に崩れるように腰を落とした。

「どうしたんだ? 茉莉香。大丈夫か?」

 隣の席の健人(けんと)が、気遣って声をかけた。しかし、茉莉香は耳鳴りが酷くて、彼の声がよく聞こえなかった。

「どうしたんです? 茉莉香。具合が悪いの?」

 担任の先生が近寄ってきて、茉莉香と健人に話しかけた。

「何か、具合が悪いみたいです。医務室に連れて行きます」

 健人が先生に応えた。

「その方がいいみたいね。『ジャンプ酔い』かしら? 珍しいわね。他に気分の悪くなった人は居ませんか」

 念の為に先生が教室内に呼びかけたが、他には誰もいないようだった。

「茉莉香だけね……。健人は、茉莉香を医務室に連れて行って下さい。保健の先生には、私から連絡します。お願い出来ますか、健人」

 クラス担任はそう判断して、健人に茉莉香の事を任せることにした。

「分かりました、先生。ほら、茉莉香、行くぞ」

 健人は、茉莉香に肩を貸すと、彼女を椅子から立ち上がらせようとした。

「自分で歩けるか? どうだ?」

 しかし、健人に訊かれても、茉莉香はコクコクと首を縦に振るだけで、どこかしっかりとしていない。

「仕方ないなぁ。おぶっていくぞ。勝志(かつし)、手伝ってくれ」

「オーケイ。茉莉香、大丈夫か」

 級友が二人がかりで茉莉香を抱えると、勝志は彼女を健人の背中に運んだ。

「よっし。せーの。……お前、重くなったか?」

 健人が茉莉香に冗談半分に言った。

 いつもなら罵声とともにゲンコツが飛んでくるのだが、今回はそれもない。「これは深刻だな」と、健人は本当に心配になった。

「じゃぁ、取り敢えず、医務室に連れて行きます」

「お願いね。はい、皆さんは前を向いて。ホームルームの続きをしますよ」


 教室ではホームルームの続く中、健人は茉莉香を背負って、医務室へ急いでいた。

 茉莉香が『ジャンプ酔い』だなんて、初めてだ。それ以前に、『ジャンプ酔い』で気分の悪くなったところを見る事が初めてだった。通常、『ジャンプ』は船内時空には何も干渉しない。物理的には、加速度の発生も環境の変化も無いのだ。時空連続体の変化に敏感であれば、何かを感じ取る事もできるだろう。しかし、量子干渉計を使っても、分かるか分からないか程度のごく僅かな変化なのだ。普通の人間の感覚では、感じ取れるものではない。


──いったい、茉莉香に何が起こったのだろう?


 健人は医務室に着くと、保健の先生と一緒に、茉莉香をベッドに横にならせた。

 足元のシーツを引き上げて、彼女にかぶせると、

「茉莉香、大丈夫か? 俺の声、聞こえているか?」

 と、彼女に話しかけた。少女は、未だ少しボウとしていたが、そのうち、目に光が戻ってきたようだった。

「……ああ、健人か。うん、……大丈夫」

 未だ意識がはっきりとしていないのか。

「ほんとか。顔が真っ白だぞ」

 と、健人が問いかけても、茉莉香は生返事をするだけだった。

「ちょーっとごめんね。気分はどうだい。熱は……無いみたいだね。じゃぁ、血圧測ってみようか」

 保健の先生はそう言うと、灰色の布袋を茉莉香の左腕に巻いた。腕に聴診器を当てながら、ゴム球をニギニギして空気を送り込む。

「フムン。すこ~し、血圧が低いかな。貧血だね。状況から考えて『ジャンプ酔い』だと思うよ。しばらく横になっていれば、気分も良くなるさ」

 保健の先生はそう言うと、ノートパッド型の端末に症状を記録していた。

「う~ん、『ジャンプ酔い』って言っても、ここ六十年くらい、症例が無いんだよなぁ。特別な処置はいらないらしいから、ここで休ませよう。君はもういいから、教室へ帰っていいよ」

 保険の先生はそう言ったものの、初めての幼馴染の様子に、少年は心配を隠し切れなかった。

「本当に大丈夫なんですか? 茉莉香が『ジャンプ酔い』だなんて、初めてなんです。ちゃんと診て下さいね」

 健人は念を押すように言うと、医務室を後にした。


 しばらくすると、茉莉香も意識がはっきりしてきた。目の前に、薄ボンヤリとした景色が広がる。

 そこに見えるのは、白い天井とカーテン。背中にはフワフワしたクッションの感触。どうやらベッドに寝かされているらしいのは分かった。


(う~~~情けない。『ジャンプ酔い』だなんて。移民じゃあるまいし)


 生まれた時から船にいる彼女は、もう何百回となく『ジャンプ』を経験している。それがこのザマだ。少女は穴があったら入りたい気分であった。

「や、気がついたようだね。気分はどうだい?」

 彼女の目の前を、見知った保健の先生の顔が遮った。

「最悪です。この歳になって『ジャンプ酔い』だなんて。……恥ずかしい」

 茉莉香はそう言いながら身体を反転させると、頭を枕に突っ込んだ。

「まぁ、そういう時もあるさ。念のため検査するけれど、いいかな? なぁに、ちょっとした血液検査と問診だけだよ。怖くない、怖くない」

 保健の先生にそう言われて、茉莉香は赤くなって言い返した。

「もう! 子供じゃないんだから。そういう言い方は、やめて下さい」

 すると、保健の先生は頭をかきながら、

「あはは、悪かった。じゃぁ、先に採血するね。ちょっと痛いけど、我慢してね」

 彼はそう言うと、シリンジの先の細い針を、茉莉香の左腕に突き刺した。溢れ出てくる血液を見て、茉莉香は、一瞬クラリとしかけた。が、それもつかの間、ヌルっと痛みが走って、針が抜き取られた。

「は~い、偉いねぇ。じゃぁ、これでしばらく押さえといて。気分はどう? 気持ち悪くない?」

 彼の問に、茉莉香は応えた。

「はい、大丈夫です。もう、何とも無いみたいです」

「最初に気持ち悪くなった時は、どうだった?」

 茉莉香は、『ジャンプ』の終わった時を思い出すと、

「何か、眼の奥で光がひらめいたような気がしたと思ったら、目の前が真っ白になって……。耳も、よく聞こえなくなっちゃったんです。それで、気が遠くなって……。気がついたら、ここに寝かされてました」

 彼女は、さっきの教室での様子を思い出しながら、そう応えた。

「フムン。典型的な貧血の症状だね。君、最近偏食とかしてない? 鉄分を摂ってないとか。ダメだよ、何でも食べなくちゃ。人参とかピーマンとか、食べられる?」

 保健の先生は、小さな子供に言い聞かせるように質問した。茉莉香は、少し頬を染めると、

「それくらい食べられます。幼稚園児じゃないんだから」

 と、怒った調子で返事をした。

「そうかい。そりゃ結構。じゃあ、少し突っ込んだ事を訊くね。月のもの(・・・・)は来ているかい。不規則になってるとか、ないかい?」

 今度こそ茉莉香は、真っ赤になった。

「ちゃんと規則正しく来てます!」

 訊いた彼の方はコクリと頷くと、ノートパッドを操作して、何かを記録したようだった。

「結構。『ジャンプ酔い』とは言っても、人によって症状が違うらしいしね。君の場合は、軽い貧血だろう。しばらく、ここで休んでいなさい」

 と言うと、保健の先生は茉莉香の側を離れて、カーテンを閉めた。


 茉莉香は、ベッドに仰向けになって後頭部を枕に沈めた。そして、シーツを引っ張りあげると、顔の下半分を布で隠していた。


(何だろう。こんなの初めてだ。……うう、恥ずかしい。健人のやつ、絶対からかってくるな。どうしよう。どんな顔で会ったらいいか、分かんないよ)


 彼女は、幼馴染に自分の醜態を晒したことを恨んでいた。

 どうして自分だけが、こんな目に遭うのだろう。ESPエンジンはイジワルだ。

 そうして、彼女は悪いことを、皆ESPエンジンの所為(せい)にすることにした。




 どこだろうか? 薄暗い部屋の真ん中で、老人が安楽椅子にかけていた。彼は、その皺の数や肌の色、老人斑から想像して、そうとうの高齢であるように見えた。

「疲れたな……」

 老人は誰に言うともなく、呟いた。

「ご苦労さまです。今回の『ジャンプ』も、無事成功しました」

 部屋の隅の暗がりから、老人に声をかける者が居た。

「君か、航海長。で、見つかったのかね?」

 老人が、影に問うた。その老人こそが、この船のパイロット(・・・・・)であった。

「今しがた報告がありました。間違いじゃないでしょう」

 応えたその声に、老人は、<ほう>と、一息吐くと、

「それは良かった。後継者が見つかって、何よりだ。その者には、なるべく嫌な思いをさせないように接してくれないか? お願いだ、頼むよ」

「分かっております。我々にとっても貴重な人材です。慎重に取り計らうように、関係各部門には厳重に伝達します」

「ありがとう……」

 老人はゆっくりと応えると、浅い眠りに落ちていた。

 最近、眠ることが多くなっている。最後の時が近いのかも知れない。それまでに、しなければならないことがたくさんある。自分を……パイロットを失ったら、この船──ギャラクシー77は、銀河の迷子になってしまう。それだけは、避けなければならない。


 乗員の知らないところで、ギャラクシー77は危機を迎えていた。




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