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訓練(3)

 今朝も船内に放送が響いた。


──お早うございます。ただいま、グリニッジ標準時、午前七時をお知らせします。船内気温は二十三度、湿度は五十五パーセントです。本船は、現在地球より約二千八百光年の位置を航行中です。本日の『ジャンプ』は、午前十一時と午後四時に『ショート・ジャンプ』を行う予定です。


 茉莉香(まりか)は今日も操船室に来ていた。


「今日は、昨日に続いて、『ジャンプ』の実習じゃ。『ジャンプ』そのものは、もう出来るようになっておるが、『ジャンプ』先のスキャンが未だ覚束ないようじゃの。ちと難しいが、わしが手伝ってやるから、感覚をつかむんじゃぞ」

 老パイロットは、安楽椅子の傍らの茉莉香にそう言った。

「はい」

 茉莉香はそう答えたが、顔はやや強張っていた。

 無理もない。超光速航法『ジャンプ』は、ギャラクシー77を超能力によって光速を越えて瞬間移動(テレポート)させる。移動先の特定やスキャンを事前に適切に行なっておかないと、とんでもない環境に船を移動させてしまう可能性があるのだ。


 例えば、五十光年先に『ジャンプ』することを考えると、通常の観測では百年以上かけないと、レーダーも光学測定でもスキャンをすることが出来ない。しかも、その情報は五十年前のモノなのだ。『ジャンプ』先が遠ければ遠いほど、その誤差は確実に大きくなり、不確かさは増大する。実質的に不可能なのだ。そこで、、超能力『千里眼』を使い、事前に『ジャンプ』先の現在(・・)の情報を察知するのである。


 ESPエンジンには、このような『千里眼』とともに、『予知能力』を応用した『危険予知システム』が実装されていた。

 新しいステージの訓練は、ESPエンジンに実装されている、これらの超能力による機能を使いこなすことである。これまで以上に、ESPエンジンの生体脳とのシンクロ率を向上させないとならない。

 まだ、パイロット初心者の茉莉香には、困難な仕事であった。しかし、最低限でもこれを習得しておかないと、『ジャンプ』を実行することが出来ない。絶対に通らなくてはならない試練だった。


「では、始めようかの」

 老パイロットがそう言うと、茉莉香は彼の手をとった。そして、徐々に神経を研ぎ澄まし、集中していく。

 老人をインターフェイスにして、茉莉香の思考がESPエンジンと同調していく。


(見えるかい?)


 接触テレパシーを通じて、老パイロットの思念が茉莉香に伝わってきた。


(はい)


 茉莉香も思念で以って返事をした。

 更に精神を集中させると、ESPエンジンが捉えているイメージが頭に浮かんできた。


 それは、真っ暗な真空中に浮かぶ小さな光だった。


(その光が、第十八番太陽系の主星じゃ。ここから約十五光年先にある)


 老人の思念が、そう教えてくれた。今、茉莉香には、ESPエンジンの捉えている遥か彼方の情報がリアルタイムに伝わっているのだ。


(デプリや遊星に気をつけるんじゃ。『ジャンプ』先座標のブレを考えると、最低でも周囲一光年以内の障害物を感知しなくてはならん)


(分かりました。『ジャンプ』先座標、固定。スキャン開始)


 ESPエンジンに命令(コマンド)を伝えると、茉莉香の脳に大量の情報が流れ込んできた。『ジャンプ』先のスキャンはESPエンジンに実装されているプリプロセッサにより予め処理されている。それでもなお大量の情報が、彼女の頭の中を駆け巡った。

 実質的に、『ジャンプ』が一日一回程度の頻度でしか実行できないのは、この大量の情報処理にESPエンジンやパイロットの受ける負担が大きいためである。


(スキャン完了。『ジャンプ』予定先宙域に、危険物体の感知なし)


(では、『ジャンプ』に入るぞ。カウントダウン開始。ESPエンジンとの同調を維持するのじゃ)


──『ショート・ジャンプ』まで、十秒、九,八,……


 船内放送が、カウントダウンを告げる。


──四,三,二,一、『ジャンプ』……


(今じゃ、『ジャンプ』)


(『ジャンプ』……)


──『ショート・ジャンプ』完了しました。『ジャンプ酔い』などで、ご気分の優れない方がいましたら、お近くの係員までお申し出下さい。


「お、終わったぁ」

 茉莉香は、大きく息を吐くと、安楽椅子の傍らに座り込んだ。

「だいぶん、慣れてきたようじゃの、お嬢ちゃん」

 老パイロットが労いの声をかけてくれた。

「でも、未だまだです。これを、一人で出来るようにならなくちゃならないんだから」

 茉莉香はフラフラと立ち上がると、そう言った。老パイロットは、立ち上がった少女を見上げると、

「そうじゃな。だが、今は休みなさい。『ジャンプ』は、パイロットもESPエンジンをも疲労させる」

 そう言って、老人は茉莉香に椅子を薦めた。

 彼女は、「ふぅ」と言って椅子に座ると、両手を組んで大きく伸びをした。

「先輩、『ジャンプ』した後って、お腹空きません? 飲み物と何かつまむ物を持って来ますね。リクエストはありますか?」

 茉莉香がそう言うと、老人は、

「そうじゃの……フレーバーティーが、いいかな。香りの甘いやつ」

 と、言った。

「なら、アップルティーですね。あたし、用意してきます。先輩はゆっくり休んで下さい」

 そう言って、トコトコと操船室の台所に向かう少女を見て、老人は微笑んだ。

 ESPエンジンとの同調訓練で、茉莉香との意思疎通を果たした老人は、彼女を本当の娘か孫のように思っていた。出来れば、こんな牢獄に軟禁されること無く、自由に外の世界へ羽ばたいて欲しい。しかし、それは叶わない夢だった。自分達は、ギャラクシー77の全乗組員と、乗船している『移民』の生命を預かっているのだから。

 しばらくの間、老パイロットは安楽椅子の上で、そんな事を考えていた。と、その時突然、彼の胸に激痛が走った。思わず胸を押さえて、身体を大きく曲げる。


(未だじゃ、未だ死ねない。あと少し。あと少しでいい。保ってくれ、わしの身体よ)


 五十年以上の間、ESPエンジンの操作によって脳を酷使してきた老パイロットの身体は、限界を迎えようとしていた。

 未だだ。伝えなくてはならない事がある。ギャラクシー77の皆を、そして少女自身を守るために、伝えておかないとならない事が。

 そんな時、手元のコンソールが着信を告げた。


<パイロット、ブリッジ。『ショート・ジャンプ』成功。周辺の三十光秒に危険物なし。機関正常。船内各部異常なし。……パイロット? おい、どうしたパイロット。大丈夫か?>


 ブリッジの係員が、老人の様子に気が付きそうになる。

「……こちらパイロット。現在慣性航行中。船外環境に問題なし。ESPエンジン異常なし、アイドリング中。機関室に、ブドウ糖の追加とクールダウンを行うよう伝えてくれないか」

 老パイロットは、何事もなかったように、そう返信をした。


<了解。主機関、整備に入る。何かあったら、連絡してくれ。以上>


 ザッと雑音が交じる音がして、通信は途切れた。

 ちょうどその時、茉莉香が紅茶とカステラの乗ったお盆を持って、安楽椅子のところへ戻ってきた。

「あれ? 先輩、どうしたの。何かありました?」

 茉莉香は、少し不思議そうに老パイロットに訊いた。

「何でもない。ただの業務連絡じゃよ」

 老人が何事も無く答えると、少女は、

「あっ、そうか。ブリッジへ連絡を入れるのを忘れてた。あ~、未だまだダメだぁ、あたし」

 茉莉香がヘコむのを見て、老人はクスクスと笑うと、

「なぁに、すぐに慣れるさ。大丈夫。お嬢ちゃんは、立派なパイロットになるよ」

 そう言って、少女の頭を優しく撫でた。


 そうしながら、老パイロットは「こんな日がいつまでも続くと良いのに」と思っていた。




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