訓練(2)
今日も茉莉香は、ギャラクシー77の操船室へ、訓練のために訪れていた。
「だいぶ、慣れてきたかな?」
安楽椅子の老人が、茉莉香に訊いた。
「未だまだです。どうにも、思うように動いてくれなくって」
茉莉香は今、玩具のような小さなトラックと格闘していた。
そのトラックには、ESPエンジンの生体脳をクローニングした細胞塊が移植されていた。テレパシーに感応して、手を触れずに走らせたり、左右に曲がったり出来る。
要するに、リモコンの代わりにテレパシーを使って、自在にトラックの玩具を動かそうというのだ。
(んー、右だ。右へ曲がれ)
茉莉香は懸命に思念を送っていたが、玩具のトラックは前進と後退を繰り返すだけであった。
「上手くいかないなぁ。未だ集中が足りないのかなぁ」
彼女は頭を掻きながら、トラックのおもちゃを睨んでいた。
「はっはっは、なかなか難しいじゃろ。わしも、最初は難儀したさ」
老パイロットは、皺だらけの顔をもっとしわくちゃにしながら、そう言った。
「もう、笑ってないで、やり方を教えて下さいよ。コツとか、集中の仕方とか」
少女は少し憤慨して、老パイロットに悪態をついた。
「そうじゃなぁ……。トラックに命令するんじゃなくって、自分自身がトラックの運転席で運転するようなイメージを描いてごらん」
「自分が運転席で操作するイメージ、ですかぁ。……うーん、よく分からないけど。取り敢えず、やってみます」
彼女は、今度は、自分がトラックに乗っているところを想像した。
(えーと、まずは前へ進めだ。前進だから……、アクセルを踏むのかな)
そう念じると、今度こそトラックはゆるゆると前進を始めた。
「わぁ、動いた。動きましたよ。ほら」
念じた通りに走り出した事で、少女は小躍りしていた。
(よし、今度は、右へ曲がる。だから、ハンドルを回してみよう)
茉莉香の考えに対して、トラックは、少しだが右へ曲がって走った。
「やった、出来た出来た。曲がったよ。ほら、見てました?」
玩具の車が思う通りに走ったことで、茉莉香は小さい子供のようにはしゃいでいた。
「うん、そうじゃな。確かに曲がったね。ほうら、出来るようになってきたじゃないか」
老人は、首を縦に振りながら、そう言った。
「今度は左に曲がって、その場で旋回」
茉莉香は、ハンドルを左に切るイメージをした。
対して、玩具のトラックは左に舵を切ったが、少し進むと転がって止まってしまった。
「あっれぇ、おかしいなぁ。左には曲がったんだけど……。スピードが早かったかなぁ」
少女は、トラックの玩具を抱えると、頭の上に持ち上げてあちこちを見ていた。
「なかなか、思うようにはならないですね」
彼女がそう言うと、老人はこう返した。
「だから訓練が必要なのさ。玩具を動かすのも、ESPエンジンを動かすのも似たようなものじゃ。その為に、ソイツには、ESPエンジンのクローン細胞が使ってある。これがちゃんと出来ないと、『彼』は言うことを聞いてくれんぞ」
それを聞いた茉莉香は、トラックを元の位置に戻すと、今度は走るトラックに着いて歩きながらイメージを送ってみた。
(まずは前進から。走れ、走れ走れ)
するとトラックは、段々スピードを上げながら前進を始めた。
(よぉし、いいぞ。今度は急停車)
すると、茉莉香の意思に反応したのか、トラックも停止した。
(今度は、バック。ゆっくりゆっくり……)
停止していたトラックは、今度は後ろにバックを始めた。
(今度は、そのまま左へターン)
ゆっくりとした速度だったが、トラックは、後ろ向きに左へと曲がって走った。
「やったやった。今度は思い通りに動いたわ。あたしって、天才かも」
茉莉香は、小躍りしていた。
たかが、こんなトラックの玩具が自分の思念で思い通りに動くことが、少女には何故か嬉しかった。
「ほうほう、やるのう。三日目で、もう旋回が出来るとはな」
「凄いでしょ。あたしって、才能があるのかな」
幼いパイロット候補は、自慢気にそう言った。
「うんうん、才能充分じゃ」
老パイロットは、孫の成長を見届ける祖父のように目を細めて、少女を見ていた。
ギャラクシー77のパイロットになってから半世紀あまり。老人には、家族というものが居なかった。特に小さな子どもや未成年とは、全く縁がなかった。自分の残りの人生が船の操縦で埋まってしまうことは、パイロットに選ばれた時に覚悟していた。そして、この五十年間も、それを寂しいともおかしいとも思わなかった。
だが、こうやって未だ十代の少女と接するうちに、家族や子供というものが、どんなに心を潤すものかを知った。今では、老パイロットは、茉莉香のことを実の孫のように思っていた。そして、日々の彼女の成長が、我が事のように嬉しかった。
だが、運命というものは皮肉なものである。ESPエンジンに備えられた『危険予知システム』によって、老人は自分の寿命が残り少ないことを知っていた。彼は人生の最後の最後で、このような巡り合わせを賜ったことを感謝してはいたものの、その時間があと僅かであることが辛かった。
伝えないとならない事がたくさんある。自分の寿命が尽きる前に、伝えなければ。老人には、ほんの少しの時間が惜しかった。だがしかし、焦りは禁物だ。
「だいぶ、出来るようになったのう。次は、この衝立の向こうにトラックを置いて、操縦してごらん」
茉莉香が、トラックの操縦に慣れてきた頃を見計らって、老パイロットは難易度を上げることにした。
「衝立の向こうになんて置いたら、見えなくなってしまうわ」
茉莉香は、少し驚いた。
「見えない物を操ることが出来なければ、ESPエンジンで『ジャンプ』することは出来ないよ。移動する先は何十光年、何百後年も先なんじゃ。そこに何があるなんて、目で見てはいられない。心で感ずるんじゃ。船が恒星の真ん中にでも移動したら、洒落にならんからな」
茉莉香は、少し俯いて考え込んだ。
「うん、そうよね。見ることの出来ない移動先の様子が分かるようにならないと、いけないのね。あたしに出来るかなぁ」
「はは、出来てもらわなけりゃ困るさ。なあに、難しいのは最初だけじゃ。……それじゃぁ。トラックを見えないところに置くぞ」
老人はフラフラと立ち上がると、玩具のトラックを持って衝立の向こうに消えた。
「準備は出来たぞ」
「わ、分かりました。やってみます」
茉莉香は意識を集中して、衝立の向こうのトラックがどこにあるか、周りはどうなっているかを感じ取ろうとしていた。
(よし、やってみる)
茉莉香は、頭に浮かんだイメージを元に、トラックを前進させた。そして、少し動いたところで、右へ九十度旋回。そのまま真っすぐ走らせていたが、しばらくして、「ゴン」とトラックが何かにぶつかる音がした。
「あれぇ、方向、間違ったかなぁ」
茉莉香は衝立の向こうに回りこむと、トラックの様子を見た。小さなトラックは、衝立に衝突して、横倒しになっていた。
「トラックの向いている方向を感じ取ったのまでは良かったが、曲がる方向が逆だったようじゃの。でも、初めてにしては、上手い方じゃよ」
老人は、少女を励ますようにそう言った。
「うーん、トラックが衝立と平行じゃない事は分かったんですが、完全にはイメージ出来ていなかったわ。もう一回。もう一回、やらせて」
茉莉香は、果敢に挑戦していた。
こうやって、少しずつではあるが、茉莉香のパイロットとしての訓練が続いていた。この先。何も無ければ、一ヶ月もすれば、ESPエンジンの操作方法を覚えるだろう。老パイロットは、そう思っていた。
そう、何も起こらなければ……




