引っ越し(3)
明日から夏休みという日、茉莉香は教壇の前に立っていた。
「今日を最後に、転校することになりました。今までありがとうございました」
茉莉香は、クラスメイト達の前でそう言った。
教室の中がざわめく。
「どうしても転校しなきゃいけないの?」
「もうこれからは、会えないのかなぁ」
等と、級友から声がかかった。
「転校は、お母さんの都合なんだ。あたし達が引っ越すのは、Gブロックなんだけど。そんなに離れていないし、荷物が片付いて余裕ができたら、遊びにも来れると思うよ」
と、茉莉香は答えた。
本当の理由は話せない。自分がギャラクシー77の──ESPエンジンのパイロットになるなんて事は。そして、もしかしたら、もう二度と会えないかも知れないって。
「それでは、終業式の時間ですよ。皆さん、講堂に移動して下さい」
先生の言葉に、茉莉香たちは移動を始めた。
終業式での校長先生の演説も、夏休みの正しい過ごし方も、全然頭に入って来なかった。
(なんかこう、もっと感動するかなって思ってたけど、意外とあっさり終るんだなぁ)
茉莉香は、終業式の際中にそんな事を考えていた。
そして今、彼女は、ギャラクシー77のエンジンルームに居た。
「これが、ESPエンジン……」
巨大な金属の塊を目の前にして、茉莉香は呆気に取られていた。
「そうさ。コイツがこの船の心臓部だ。この船と乗組員の命運は、お嬢ちゃんが握ってるって訳さ。よろしく頼むぜ」
斜め後ろから機関長が、そう話しかけてきた。
「本当に、あたしなんかに出来るんでしょうか?」
少女は、心配そうに訊いた。
「おいおい、出来ないと困るよ。でも、大丈夫さ。何もかも、あの爺さんが教えてくれるよ。嬢ちゃんは、その通り覚えればいいだけさ」
機関長は、何でもなさそうにそう言うと、でっぷりとした腹をパンと叩いた。
「その通りじゃよ」
そこへ、入り口の方から声が聞こえた。それを発したのは、老パイロットだった。
「何だい、爺さん。こんなとこを歩いてて、身体は大丈夫なのか」
機関長が驚いていた。
「今日は、何とはなく気分が良くてな。やぁ、新米パイロットくん。どうだね、ESPエンジンを見た感想は?」
老パイロットは、少女にそう尋ねた。
「んーとね、思ったより大きかった。エスパーの脳が入っているって聞いたから、もっと小さいのかと思ってたの」
茉莉香は、そう返事をした。
「そうじゃのう。脳髄がそこにあるだけでは、いかんのじゃ。それを生かしておくための付随装置が必要でな。栄養や酸素を補給したり、体液中の老廃物の処理とかをせにゃぁならん。ホルモンやらイオンのバランスも重要じゃな。そういった機械類をゴテゴテとくっつけておったら、こんなにでかくなってしもうた。なぁに、心配はいらんさ。テレパシーはココで思っただけで、コマンドをESPエンジンに送れる」
老パイロットは、頭部を指差しながらそう言った。そして、茉莉香のところへ歩いてきた。少し足元がおぼつかない。やはり、高齢というのが祟っているのだろう。
「おい、爺さん、大丈夫か? 足元、フラフラしてるぞ」
機関長が気にかけていた。
「外を歩くのは、久し振りだのう。もうちっと、運動をしておけば良かったかな。はっはっは」
「何が「はっはっは」だよ。今爺さんに倒れられたら、船が丸ごと共倒れなんだよ。もうちっと、自分の身体を気遣ってくれよ」
機関長は、ちょっと困ったように、老パイロットに言った。
茉莉香は、老人の手をとると、一緒に機関の直ぐ側まで一緒に歩いた。
「よう相棒、元気かね……。ああ、そうかい。あんたに、新しい相棒を紹介しよう。ほぅら、この娘だよ」
彼は、少女の手をとると、エンジンの金属壁に触らせた。手の平からは、ひんやりとした冷たい感覚が伝わってきた。しかし、それだけではなかった。何か奇妙な感覚を、彼女は感じていた。それは、小動物が息をしているような、そんなドクンドクンとした感覚だった。
「これが『彼』なの?」
茉莉香は、老パイロットを見上げて訊いた。老人は頷くと、
「そうじゃ」
と、答えた。
「感じるじゃろ。『彼』も生きているのじゃ。この巨大な宇宙船を新たな身体として、蘇ったのじゃよ。そしてこれからも、何百年という時間を、移民船として生きていくのじゃな。友達になれるのは、わしらくらいじゃ。だから、覚えておいて欲しい。『彼』も一つの生命なんだと」
老パイロットの言葉に、茉莉香はきょとんとしていた。
(まだ、よく分かんないや)
彼女は、心の中でそう思った。
「今はそれでいい。そのうち分かるようになるさ」
心の中を読んだのだろうか? 老人はそう言って、にこりと笑った。
そして、夢の様な時間はすぐに過ぎてしまい、現在、茉莉香は、引越し先の新しいアパートの自分の部屋にいた。彼女には、今日起こったことのどこからどこまでが夢で、どこからが現実かを判別できなかった。そんな夢の様な一日だった。
「あたし、どうしちゃったんだろう。何か、現実感がないや」
本当は、自分達の方が、ESPエンジンに生み出された幻なのかも知れない。ESPエンジンは、巨大な生体コンピュータとも言い換えられる。船の乗員は、全てESPエンジンの作った幻で、移民だけが現実に生きている人間なのかも知れない。そう思うと、茉莉香は、少し不気味な感じがして、怖くなった。
そうしているうちに、彼女は大変な事に気が付いた。
「そうだった! コーンにおすそ分けをしなきゃ」
茉莉香は、母から亡き父の遺品である洋服などを分けて貰う約束をしていた。それを届けに行かなくてはならない。彼女は、うっかりと、それを忘れるところだった。
「茉莉香、晩御飯よ。……て、茉莉香、何してるの。もう夕餉よ」
母の由梨香が、娘を呼んだ。
「あー、今行く」
と、それだけ言って、少女は立ち上がった。
相変わらず部屋は片付いていないが、前のアパートよりは広い。収納量は、五割増しくらいだろう。それでも、持ってきた物が収納出来ない。なぜだか分からないが、物が収まるところへ収まらないのだ。
「う~ん、結構棄てたはずなんだけどな」
茉莉香は、部屋の入口で、内部を振り返って見ていた。
「茉莉香ぁー、どうしたの。早く来なさーい」
母の声がする。茉莉香は頭を掻くと、仕方がないと言う感じで、台所へ向かった。
「お隣さん達への挨拶が終わったからって、気を抜かないでよ。これからは、新しい環境で暮らすんですから」
母の言葉に、
「へいへい、分かってます」
と、いい加減に答えたためか、母は渋い顔をしていた。
「それから、茉莉香。コーンくんに届ける物は、あの紙袋に纒めましたから、明日にでも持って行きなさい」
母は、娘の思考を読み取ったかのように、用意万端としていた。
「うわぁ、やってくれたんだぁ。ありがとう、お母さん」
「あんたじゃ、一週間あっても出来やしないでしょ」
由梨香は、「分かっていますよ」という顔で、そう言った。
(全部把握済みかぁ。これじゃあ、どっちがエスパーか分かんないや)
茉莉香は、心の中でそう思った。
母にすれば、我が娘の行いなど承知の上なのだろう。引っ越しの準備も、引越し祝いも、茉莉香が手を出すまでもなく、あっという間に終わったのだ。荷物が纒められなくて、持って来た荷物も未だ収納し切れていない。だが、そんな茉莉香を無視するように、引っ越しそのものは、母の手によって滞りなく終わっていた。
だが、それも今日までだ。明日からは違う。『自分がパイロットの仕事で稼いだお金で、このアパートにも住めるんだ』と。そう言う変な優位性だけは、茉莉香は持っていた。しかし、これも、いずれは崩壊することになるのだが、それは、もうしばらくたってからの話だ。




