引っ越し(2)
茉莉香達母娘は、再びGブロックに来ていた。引越し先の部屋を、確認しに来たのだ。
「もう何回も見に来たけど、やっぱ、広いよねぇ」
茉莉香は、ここでの新生活を想像して、ワクワクしていた。
「そうね、今住んでいるアパートは、2DKだものね。ここには、客間としても使える個室が4つもあるし。そのうえ、ダイニングやキッチンの他にも、広めのリビングまであるんだものね」
由梨香のいうリビングには、埋め込み型の大画面ディスプレイが設置されていた。普通にテレビを見ることもできるし、ネットワーク回線に繋いで情報を取ることも、船外カメラと連動して外の宇宙を見ることも出来る。これは、どの家庭にでも設置されているが、この部屋のものは、特に大きかった。
「ねぇ、お母さん。これだけ広ければ、引っ越しの荷物は、あんまりセーブしなくてもいいんじゃないかしら」
茉莉香は、部屋の内装を改めて確認すると、そう言った。勿論、引っ越し荷物の準備が滞っていることは、おくびにも出さないようにしてだ。
「茉莉香ぁ。あのね、持ってきてもどうせ使わないものばかりなんでしょう。この機会に棄てておしまいなさい」
母の由梨香は無情に突き放した。
「どうせ、またすぐにいっぱいになるんでしょう。だったら、着れない服とか、ガラクタとかは棄てなさい」
母の言葉に、茉莉香は反論が出来なかった。限りある資源で宇宙を進むギャラクシー77では、リサイクルは当然の事だからだ。タンスの肥やしにしておくなど、以ての外である。
「でもこれだけの物件なら、お家賃が高そうね?」
由梨香は世帯主てある。家計もやりくりしていた。家賃が気になるのは当然だろう。
「ああ、家賃のことね。ここ、職員の寮みたいなもんだから、タダだって」
「え! た、ただ。まさかそんな。本当にダダなの? こんだけの部屋が、ただだなんで」
あまりの事に、由梨香は驚愕して、その場に立ち尽くしていた。
「勿論、光熱費は払わないといけないけど。まぁ、それくらいなら、あたしのもらう給料で払っちゃえるよ。お母さんは、ゆったりと専業主婦をしていればいいのよ」
茉莉香は、母につっけんどんに言った。
「専業主婦なんて……、今更言われてもねぇ。どうしましょう、することが思いつか無いわ」
由梨香は、首を捻って考えていた。
「お母さんはいっぱい頑張ったんだから、ここらで休めばいいのよ」
由梨香は、一瞬「それも良いわね」と考えたものの、やはり何かしらの仕事につきたいと思っていた。子供に養ってもらうには、まだまだ早い。「自分だって働ける」ということを、示しておきたかった。
「お母さんだって働くもん。自分の娘が働いているのに、家の中でのほほんとしてられますか。自分の食い扶持くらい自分で稼ぎます」
と母は、茉莉香にそう答えた。
「はいはい、そーですかぁ」
と言うことで、この話は落着した……かに思えた。
「そうだ、お母さん。お父さんのお古を、少しもらってもいいかな?」
茉莉香はふと思ったように、母にそう訊いた。
「別に構わないけれど……、何?」
「ええっとね、コーンにあげようと思って。働けるようになったっていっても、すぐにお金をもらえる訳じゃないでしょう。それで、服くらいなら分けてあげてもいいかなって」
茉莉香は、少し赤くなってそう答えた。
「ん~、どうしようかな。お父さんとの思い出の品だし……」
母が考え込んでいると、茉莉香は、
「だって使わないものは棄てようって、さっき言ってたじゃない」
と、半ば抗議するように言った。
「冗談よ。いいわ、好きなのを持って行きなさい。使わないのに置いといてもしょうがないしね」
あっさりと応える母に、
「意外。お母さん、意外に薄情なんだね。お父さん、かわいそう」
と茉莉香は、一縷の反撃を試みた。だが、
「いいのよ。お父さんとの思い出は、この胸の中にしまってあるから」
「はいはい、ごちそうさま。じゃぁ、帰ったら見せてね」
「はいはい、分かりましたよ」
と、由梨香は生返事をすると、床のサイズなどを測っていた。
ギャラクシー77の乗員は、基本的にアパートや寮のような部屋を借りて住まう。いくら巨大な宇宙船とはいえ、船内に幾つものビルを建てられるほどの空間は無いのだ。
それに、最外殻の甲板のすぐ外には、高エネルギーの宇宙放射線の飛び交っている宇宙空間だ。そのため、正規の乗員の部屋は、放射線を防ぐ防護隔壁を備えた中層部以内の気密ブロックに設けてあった。だから、部屋には窓もない。そこで、もっと人間らしい環境とするために、薄型表示パネルを窓のように壁に取り付けている場合がほとんどである。勿論、配信されるニュースやコンテンツを観るためなのだが、船外カメラが撮った星々の煌めきや、そよ風の吹く草原の風景を映してもいい。
モニターパネルの他、生活設備も、その多くが作り付けになっている。エアコンや照明は当然として、冷蔵庫やコンロ、食器棚のほか、クローゼットや全自動洗濯乾燥機などなど。数えていたらきりがない。
従って、引越し荷物は、食器や衣類が中心になり、家具類はほとんどない。と、いうより、持ち合わせていない。
要するに、由梨香も茉莉香も、引っ越しを機会に、使わなくなった古い衣類などを処分したい訳なのだ。まぁ『棄てる』とは言っても、燃やしてしまうわけではなく、繊維に分解して再生利用しているのではあるが。回収後の工程のことをよく知らない乗員は、普通に『棄てる』と言う。また、程度の良いものは、再生にかけられずに、闇ルートで移民街に流れたりすることもある。と言っても、それを手に入れられる移民は、ごく少数なのだが。
しばらくして、母と一緒に帰宅した茉莉香は、自室で引っ越しの準備を続けていた。母──由梨香は、昨日で退職したので、これからが本番だ。
取り敢えず、今晩は衣類の整理から始めるらしい。
一方の茉莉香はというと、整理しようと頑張れば頑張るほど、部屋の中はカオスになっていった。
「う~。どうして、片付かないのよ。これでも頑張ってるつもりなんだけどなぁ」
茉莉香は、数多のものが散らばった床に仰向けに寝っ転がると、天井を見つめていた。
そこへ、母の声が届いた。
「茉莉香ぁ、そろそろ一旦休憩して、夕御飯にしない? 茉莉香ぁ、聞いてる?」
茉莉香が応えずにいると、トントンと床を踏む音が聞こえた。
「茉莉香、どうしたの……って、何これ。全然片付いてないじゃない」
寝転んでいた茉莉香は、顔を母に向けると、
「駄目ぇ。どうしても、まとまんないの。どうしよう」
母は、ヤレヤレという顔で、部屋の中を眺めると、
「もう、しようのない子ね。まぁ、あなたは、昔っから片付けが出来なかったわよね。手伝いが必要なら、早く言えばいいのに」
「だって。お母さんにも、お仕事あったでしょう。それに、自分の物くらい自分で出来ると思ってたのよ。でも、どうしても出来ないの。何でかなぁ」
茉莉香は半分涙目になって、訴えた。
「しようのない子ね。まぁ、取り敢えずは休憩になさい。晩御飯作るから、手伝って」
「うん……」
茉莉香は情けなさそうに答えると、ゆらゆらと立ち上がった。そのまま、ふらふらと母を追ってキッチンまで歩く。
「もう、しっかりしなさい。茉莉香、キャベツと人参取って」
母に言われて、娘はしぶしぶと冷蔵庫の扉を開けた。そして、野菜を取り出して、母の隣に並ぶと、人参の皮を向き始めた。
「う~ん、何でこうも片付かないのかなぁ。遺伝かなぁ」
茉莉香は、自分が片付けられないのを、何か別の事の所為にしたかった。
「お父さんは物を大事にする人だったわよ。片付けられなかった訳じゃないわ」
「あたしだって、物は大事にするモン」
「大事にすることと、何でもとっておくのは意味が違うのよ」
「はぁ~い」
茉莉香は生返事をすると、皮をむいた人参を薄く切り始めた。
野菜に豚肉、タケノコの水煮、冷凍の海鮮物……。これらをごま油でさっと炒めてから、特性スープで少し煮る。ある程度煮立ったら、水溶き片栗粉でトロミをつけると、八宝菜の出来上がりだ。
茉莉香は、出来たての八宝菜をご飯の上にかけると、中華丼にしてかき込んでいた。
それを見ていた由梨香は、
「もう、女の子なんだから、もっと上品に食べなさい」
「えー。今まで、誰にも言われなかったも~ん」
と、茉莉香は悪態をついた。
そんな娘に、由梨香は一瞬ムッとしたが、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ふうん。じゃあ、コーンくんの前でも、そんなこと出来るかな?」
一瞬、茉莉香の箸が止まる。
「今から直しとかないと、変なところでクセが出ちゃうわよ」
「う……、そ、それは、困る」
「なら、もっとお上品に食べることね」
「……はい」
母にコーンのことを持ちだされて、茉莉香は皿をテーブルに置いた。そして、「コーンの話を持ち出すなんて卑怯だよ」と、聞こえないように呟いた。
しかし、母はそれを聞き逃さなかった。
「え~、何ですってぇ。卑怯って、誰のことかしら」
「何でもないですっ」
茉莉香は、最後にそれだけを言うと、黙って食事を続けた。
明日の午後には、荷物を搬出する予定になっている。明日の昼時までには、なんとかして荷物を纒めなければ。
(くっそう、お母さんめ。いつか絶対、見返してやるぅ)
少女は、心の中でそう誓っていた。




