移民の少年(2)
茉莉香は、とある偶然から、移民の少年を拾ってしまった。
彼女が洗面所の床を拭き終わって隣の部屋へ来た時、コーンはテーブルの椅子にちょこんと腰掛けていた。
茉莉香は、改めてコーンの風体を眺めた。
着ているものは、父のお古のトレーナーである。が、一応、様になっている。
公園で見た時もそうだったが、整った顔立ちの綺麗な少年であった。癖っ毛なのか、風呂に入りたての今は、頭が爆発したようになっている。肌の色は、やはりやや濃い目の肌色だった。南アメリカ大陸からの移民かも知れない。一応、日本語が話せてるようなので、意思疎通は何とかなりそうだ。
「お待たせ、コーン。お腹空いてるでしょう。何か作るからね。えーと……、何日も食べてないみたいだから、最初は薄いスープからね」
茉莉香はそう言うと、戸棚からトウモロコシの缶詰とコンソメスープの元を取り出した。鍋に水を汲むと、電磁調理器の上に置いて温め始める。
お湯がわいたら、スープストックを溶かし、缶詰のトウモロコシを少し入れて、一緒に温める。少し煮詰まったら、塩・胡椒で味付けをして出来上がり。
茉莉香は、即席のコンソメスープを大きめのマグカップに注ぐと、コーンの座っているテーブルに持って行った。
「ごめんねぇ、即席で。でも、最初はゆるい食べ物じゃないと、胃がびっくりしちゃうからね」
少女はそう言って、マグカップを差し出した。少年はおずおずとそれを受け取ると、口元に運んだ。
スープは未だ熱い。少年は、スープをフーフーしながら、少しずつ飲んでいるようだった。茉莉香はそれを、不思議そうに眺めていた。そして、頃合いを見てコーンに話しかけた。
「ねぇ、コーンは、どうしてこんなところに迷い込んだの。普通、移民は入ってこれないよね」
そう言われた少年は、マグカップを口から離すと、
「わからない。移民の街区をウロウロしていて、気がついたらここに来ていた。ボクのバーコード、ここで使えない。マリカに遭わなかったら、ボク、死んでた。サンキュー。感謝」
と、言った。仕草も、天使かマリア様にでも祈るようだった。
「いつぐらいから、迷ってるの?」
と、茉莉香は質問した。
「分からない。でも、四日か五日? くらいは、ここにいたと思う」
「その間、飲まず食わずで? 保安部は何やってたのかしら。怠慢だわね。後で、チクっとこう」
と、彼女は、少しキツイ口調で言った。
「ボク、知らないところで怖かた。なるべく見つからないよう思て、端っこの方ばかり、歩いた」
コーンはそう言ったものの、船内のあちこちには、監視やモニタリング用のカメラが設置してある。そんな長い時間この街区にいたら、すぐに見つかって保安部に連行されるはずなのだが……。
(さて、これからどうしようか。このまま、この子を家に置いておく訳にはいかないよね。保安部に連絡するかぁ。いやいや、いや。移民を差し出したら、奴ら何するか分からない。じゃあ、どうする? 健人には相談できないしなぁ。お母さんは、絶対反対するに決まってるし)
船内では、貨幣は事実上存在しない。物を買うのもサービスを受けるのも、小型端末か掌紋認証さえ出来れば、限度内である限り、電子決済で何でも手に入る。しかし、コーンは、そのどちらも持っていない。左手のバーコードは、移民街区専用だ。ここでは使えない。
「う~ん、分かんないわね。そもそもコーンは、何で船内を彷徨くことになったの?」
茉莉香は、取り敢えず、今回の経緯を訊いてみようと思った。
すると、移民の少年は、状況を思い出しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ボク、おじさん達と一緒に、この船、乗った。ボクのお父さん、お母さん、すごく前に死んだ。ボク、おじさんに、世話、なってた」
「ふぅん。で、おじさん達は、優しくしてくれた?」
「ノー。おじさん、厳しい人。ボクのこと、すぐ怒る。ボク、いるだけで、皆の分の食べ物、減る。ボク、厄介者。でも、ボクいれば、補助金もらえた。それでおじさん、ボク、置いててくれた」
コーンはここで、マグカップをもう一度口に運ぶと、スープを一口啜ると、続きを話し始めた。
「それでも、生活厳しい。おじさん達、遠くに移民することにした。補助金も出るけど、ずいぶん借金して切符買った。ボク、一緒の方が、色々優遇される。それで、ボクも、移民なった」
ここで、コーンは「ふぅ」と溜め息を吐いた。
「ヒドイおじさんね。でも、切符を持ってるなら、食事は出来てたんだよね」
茉莉香は、そう言った。
「水も食事も、おじさん、取り上げる。ボクの分、ちょびっと。だから、いつも、お腹空いてた。他の誰かから、盗もう、考えた。けど、ボク、出来るのは、小さい子から取り上げることくらい。ボク、取り上げると、小さい子、お腹空く。それ、ダメ。悪いこと。それで、ボク、やっぱりお腹空いたまま。それで、逃げよう思った」
「そっかぁ。それで、こんなところにまで、逃げて来ちゃったのか。辛かったね、コーン」
茉莉香は少年の顔を覗き込むと、目を細めてそう言った。
「マリカ、ボク、拾ってくれた。マリカ、親切。感謝、アリガトウ」
と、少年は、片言で応えた。移民は、元々地球に居た時から貧困にあえいでいた者達が、藁をもつかむ思いで、太陽系外の惑星で一旗揚げようと船に乗るのだ。行った先は運次第。鉱山で働くか、農場で働くか……。
何にしても、低賃金でキツイ仕事をさせられる。でも、借金さえ払い終えれば、後は自分の収入だ。それで生活の良くなる人の事例を、地球という青い星では、頻繁に紹介していた。
そんなことは、茉莉香も知っている。政府の表の顔も、ネットで流れる裏情報も。
──移民の待遇はブローカーが仕切っている
彼らのほとんど半分以上が、低賃金で働かされ続け、その多くが死ぬ。死んでも、保健金が入るから、ブローカーは困らない。政府の補助金や税金の優遇を餌に、更に金を儲けるのだ。
それを思うと、茉莉香は複雑な気持ちになった。手続き上は、コーンを保安部に引き渡して、元の移民街のブロックに送り返せば、それで終わりである。でも、彼から聞いた話が確かなら、送り返しても虐待は続くだろう。
では、ここに置くのか? 無理だ。無理無理。誰が好き好んで、移民の子供なんかを家に置くだろうか。船に移民のする仕事はない。ただ置いておくだけで、家計の負担になる。
それに、自分は、ギャラクシー77のパイロットになるのだ。もうすぐ、ここから居なくなる身である。そうしたら、結局コーンは一人ぼっちだ。行き先は……、やっぱり移民の街区。意地悪なおじさんのところへ返すしかない。
考えれば考えるほど、茉莉香は八方塞がりになって、とうとう考えるのを止めた。
それに、もうすぐ、母が帰ってくる。そうしたら、コーンのことを相談しよう。そう、安易に考えていた。
「でも、「どうしてコーンがこの中層部のCブロックまで入り込めたのか?」が、不思議よね」
茉莉香は、探偵のように意味深な表情をすると、そうコーンに訊いた。
「よく、分からない。ボク、逃げたい、思った。強く強く、思った。そしたら、周りの景色が、「ひゅ」って変わって、この辺になった。不思議。よく、分からない」
それを聞いた茉莉香は、あることに気がついた。
「ねぇ、コーンはここに来るのに、エレベーターとか使ってないよね。非常用の階段を使ったの?」
すると、少年は、こんな風に応えた。
「エレベータ? ボク、使えない。ドア、開かない。階段は……使った記憶、ない。ボク、階段、どこにあるか知らない。どこか? の扉の前を、うろうろしてた、だけ。扉、ボクのためには、開かない。そしたら、おじさん、怒って走ってくる気配、あった。ボク、逃げたい、思った。どこでもいいから、おじさんから逃げたい。ボク、逃げたい、必死に思った。そしたら……。そしたら、知らないところに来てた」
不思議な話である。
エレベーターも階段も使わずに、この中層部の街区に来ることは不可能だ。だが、コーンは願ったら、そうなっていたと言う。
──もしや、これは……
「超能力……」
茉莉香は、そう呟いていた。
「マリカ、なに?」
コーンは、茉莉香の独り言に反応した。
彼女は、こう思っていた。
(もしかしたら、コーンは超能力者かも知れないわ。「おじさんから逃げたい」という必死の思いに、能力が発動して、テレポートをしたのかも知れないじゃない。だとすると、辻褄は合うのよね)
これで、コーンを移民街区に返さないですむ『理由』が出来た。コーンがエスパーなら、この宇宙船──ギャラクシー77のESPエンジンに影響があるはずだ。ならば、厳重に管理しなくてはならない。
でも、下手に引き渡せば、単なるモルモットにされる。それだけならまだいいが、ESPエンジンの生体部品にでもされたら、取り返しがつかない。
何か『切り札』を考えておかなくてはならない。
「ふう、お腹、温まった。ボク、幸せ。マリカ、優しい。感謝。感謝です」
そう言って、コーンは、マグカップをコトリとテーブルに置いた。
「一息ついた? スープに慣れたら、今度はポタージュかミネストローネね。少しづつだよ」
「アリガト。ボク、こんな美味しい物、もらたの初めて。マリカ、料理上手。きっと、いい、お嫁さん、なる」
コーンの純真無垢な言葉に、茉莉香はちょっと浮ついた。だが、すぐにこう思い直した。
(実際は、お嫁さんどころか、彼氏も居ないし。一生パイロットをして行かず後家なのが、決定済みだけどねぇ。いっその事、コーンをお婿さんにもらっちゃおうかなぁ。綺麗な顔しているし。純真で、性格も良さそうだし。何より、あたしを『尊敬』している。……そうね。まぁ、悪い話じゃないわよね。もしかしたら、彼が側に居れば、パイロットの勤務を半分に出来るかも知れないわ。そうすれば、色々な問題、一気に解決じゃないの。……いいアイディアかも)
純真なコーンを前に、茉莉香は腹黒い考えを持ち始めた。この先、二人はどうなるのだろうか……




