移民の少年(1)
その少年は戸惑っていた。
ここは、宇宙船の中層部。主に、船の乗務員とその家族が暮らしている居住区である。
どうして、その少年がここまで入ってこれたのかは分からない。当の少年すら帰り道が分からなかった。
──彼は移民だった
第七十七太陽系へ行くために、このギャラクシー77に乗船した。移民の居住区は船の最外層である。一応遮蔽システムはあるが、強力な宇宙放射線が時折入射してくることもある。運が悪いと、デプリの衝突の巻き添えを食って、宇宙に放出されることもある。決していい環境とは言えない。
そんな外層部で、彼は道に迷ったのだ。その後、どこをどう通ったのかも分からず、いつの間にか、この一般乗組員用の居住区へと辿り着いたのだ。
誰かに道を聞こうにも、通りを行く人影は少なく、声をかけようとしても近寄っては来なかった。道端の、情報ガイドを操作しようにも、彼のパスコードは、受け付けてくれなかった。階層を移動するエレベータも同様である。
彼は、じっと自分の左手の平を見た。そこには、乗船時にプリントされた二次元バーコードが焼き付いている。
最外層の移民専用街区であれば、限度はあるものの、機器にバーコードをかざすことで、水や食事を貰うことが出来た。それが、この街区では通用しない。
少年は、空腹と脱水症状で消耗していた。いつから、このブロックに居るのだろう? もうそれすら分からないまま、彼は、近くの公園のベンチに座り込んだ。そして、そのまま倒れこんでしまった。
そんなところに茉莉香が通りかかったのは、全くの偶然だった。今日は、午前中だけの授業で、学校は午後から休校だったのだ。彼女は行く宛もなく、適当に居住区をブラブラと散歩をしていたのに過ぎない。そして、偶然に公園へ着いた時には、一人のボロを着た少年らしき人間が、ベンチの上に倒れているのを発見したのだ。
彼の着ているものは薄汚れていて、一目見て移民であると分かった。洗濯もろくにしていないと思われるその服からは、悪臭が漂ってきそうであった。
しかし、明らかに何処かがおかしい。死体だろうか? そうでは無いようだ。
(どうしよう? 出来れば移民なんかとは関わりたくないなぁ。誰か人を呼んで来ようか? でも、あの人は今にも死にそうにしてるよね。何かの間違いで、呼びに行っている間に死なれたら、夢に出てくるかも知れないわ)
ただでさえ、移民になど遭いたくはないのに、夢にまで出てこられるのはまっぴらゴメンだ。
色々と逡巡した挙句、茉莉香は、公園に設置してある自動販売機でミネラルウォーターを一本買うと、少年の横たわるベンチにそろそろと近づいて行った。
なるべく少年の身体や衣服に触らないように、そーっとその顔をのぞき込んだ。
「う、……うう」
その時、少年が呻いた。
茉莉香は、反射的に飛び退いてしまった。足元がふらついて、尻もちをつく。彼女は、すぐに辺りを見渡した。……誰も居ない。彼女はホッとして胸をなでおろした。移民と一緒にいて、しかも格好悪く尻もちをついたなんてのを見られたら、恥ずかしくて卒倒してしまう。
茉莉香は、もう一度周囲を見渡して誰もいないのを確認すると、また、そろそろと少年に近づいて行った。
その時、少年が薄すらと目蓋を開き、こちらの方を見ていることに気がついた。
「うわっ」
茉莉香は思わず悲鳴を上げると、再び後退った。
本当は走って逃げたかったのだが、足がもつれて思うように動かない。ベンチの近くで、あたふたと座り込んでしまった。
「き、君……、誰?」
と、少年が言ったような気がした。しかし、そうではなかったかも知れない。彼の発した言葉は、日本語としてはおかしかった。もしかすると、外国語だったのかも知れない。
茉莉香はあたふたとしながらも、PETボトルの蓋をあけると、それを彼の方へ突き出した。
「み、ミネラルウォーターよ。あげるわ」
少女は、そう言うと、彼の手の届きそうなところへ、水の入ったPETボトルを置いた。
「ウァータ? あ、アリガト」
少年は片言の日本語を喋ると、ボトルに手を伸ばした。しかし、ボトルは、なかなか掴めなかった。そして、届いたと思った時には、それは倒れ、周囲を水が濡らしてしまった。
「あ、……ああ。ご、ゴメナサイ。ぼ、ボク、悪いことした。ゴメン……」
彼は、そう言うと、ぱったりと手を地面に落とした。
そんな様子を見て、茉莉香は、
「あー、あたしもごめん。だ、大丈夫。き、気にしないでね。もう一本、買ってくるから」
と早口で言うと、ゴミ溜めから遠ざかるような勢いで、自販機のところへ走った。そして、端末をタッチして、もう一度ミネラルウォーターを買った。
それから、ゆっくりと後ろを振り返ると、そろそろと少年のいるベンチに近寄って行った。
今度は、少年の手が届きそうなところにPETボトルを置くと、ビュッと一歩退いた。
そのまま、茉莉香は座り込んで、少年がどうするかを観察していた。
彼はボトルを確認すると、手で握りしめて口元に運んだ。中の水を口に含む。すると、それが本当に水だと理解したのだろう。PETボトルを傾けると、ゴクゴクと中身を取り込んでいた。そして、「ふぅ」と言って、片手で口元を拭った。
「あ、あなた……、い、移民でしょ。ど、どうして、こんなところになんか居るの?」
茉莉香は、少年にそう話しかけたが、応えは無かった。
「あ、そうか。日本語が分からないのかぁ。どうしよう。英語なら少し習ったけど、通じるのかな? スペイン語やポルトガル語だったら、もうお手上げだよぉ」
と、茉莉香は、言葉の問題に気がついた。
そうするうちに、少年は頭を少し持ち上げると、彼女に声をかけた。
「サンクス、アリガト。日本語、少し、ワカリマス。アリガト、ホントにアリガト」
少年は、少し浅黒い肌をしていたが、ラテンアメリカ系の顔立ちの綺麗な男の子だった。
少し、脱色してクセのある髪の毛が、照明を反射して美しく見えた。
(あー、ダメダメ、移民なんかと関わっちゃ。拾って帰っても、「捨てて来い」って言われるだけだしなぁ。かと言って、このまま放おって置く訳にもいかないし)
茉莉香は、心の中で、どうしようかと悩んでいた。
その時、「ぐぅぅぅ~」という音が聞こえた。少女は一瞬頬を赤らめたが、自分ではないことに気がついて、ホッとした。
「あなた、お腹空いてるの? ハングリー?」
少年は、首を振ると、
「ノープロブレム。お腹、ダイジョブ」
と言ったものの、また、腹の虫が鳴った。
「やっぱり、お腹空いてるんじゃない。いいわ、来なさい。何か食べさせてあげる」
移民を嫌っているいつもの茉莉香であれば、絶対に出てこないような台詞が飛び出していた。
少年が、綺麗な顔立ちをしていたからかも知れない。彼女は、犬や猫を拾う感覚で、彼のことを考えているのかも知れなかった。
「あなた、まだ歩ける? あたしはか弱い美少女なんだから、担いで行くなんて、ヤダからね」
と、茉莉香は、上から目線で少年に言った。すると、彼はベンチから起き上がると、ヨロヨロしながら立ち上がった。
「何とか歩けるようね。じゃあ、着いて来なさい」
と、先に立って歩き出そうとした茉莉香に、少年は再び話しかけた。
「Wait、ウェイト、待って。ボク、連れて行く。君の迷惑、なる。ボク、移民。嫌われてる。君一緒にいると、君も嫌われる。よくない」
茉莉香は、それをきょとんとして聞いていた。
「そういやそうよねぇ。でも乗りかかった船だし。あなたが、ここで死んじゃったら、気持ち悪いじゃない。化けて出そうで。あたし、お化けは怖いのよ」
「お化け? ゴースト! コワイ、コワイ」
「怖いでしょう。つまり、そういう事。だから着いて来なさい。あたしは茉莉香。橘茉莉香って言うの」
「あ、ああ、ナマエ。ぼ、ボク、コーン。コーンって呼んで」
そうして、茉莉香はコーンを自宅に連れ帰ったのである。
「まずは、その匂いをなんとかしないとね。ほら、服脱いでお風呂に入る。シャワーあんどバス。オーケイ?」
「シャワー? 分かる。ノープロブレム」
「それで、石鹸で最低三回は身体と髪を洗うこと。分かった!」
「わ、分かった。三回……スリータイム、洗う」
茉莉香はそうやって、少年を裸にひん剥くと、彼をバスルームに放り込んだ。
「さぁて、問題はこの服よねぇ。ってか、これ服? ボロ切れにしか見えないんだけど。まぁ、洗うかぁ? ……いや、無理。絶対無理。捨てる。どれもこれも廃棄だ。ついでに、あのボロ靴も廃棄。決定」
そう言って、少女は、少年の服も靴も羽織っていたコートも、一切合財を可燃ごみの袋に丸めて詰め込んで口を堅く縛った。
それでも、何だか臭ってきそうだったので、更に二重、三重にゴミ袋に入れて、厳重に口を縛った。
その後、当然ながら、彼女も石鹸で手を三回洗った。服を触ったからだ。
そうするうちに、バスルームから声が聞こえた。コーンだろう。
「タオル、その辺にあるでしょう。適当に使って。廊下を濡らしちゃ、だめだからね」
「アンダスタン、分かった」
と、返事があった。が、しばらくすると、悲鳴が聞こえてきた。
「マリカー、服ない。ボクの服、どこ?」
「えー。棄てちゃったよ。汚れてたし、ボロボロだったし」
「ステタ? ステタ、ステル、……オー、捨てた! ボク、服なくなった。それ、困る」
着るものがなくなって騒ぐコーンに対して、茉莉香は、
「しようがないわね。今から着るものを探してくるから、しばらく待ってなさい。何度も言うけど、床を濡らさないでね」
「わ、分かった。濡らさない。アンダスタン」
コーンの答えを確認すると、茉莉香は自分の部屋へと足を運んだ。適当にクローゼットの奥を引っ掻き回すと、死んだ父のトレーナーの上下が出てきた。ただの移民に着せるのは勿体無かったが、これしかないのだから仕方がない。「隣の家に借りに行く」という手もあるが、健人に移民を家に連れ込んだと知られたくはなかった。
「しょうがない。これにするかぁ」
と、茉莉香は愚痴をこぼすと、古びてはいるが、きちんと洗濯されているトレーナーを持って、バスルームに向かった。
そこでは、コーンが全裸のままで、床にこぼれた水を拭いているところだった。茉莉香は、少年の裸体に一瞬赤くなったが、すぐに我に返ると、トレーナーを差し出した。勿論、コーンの裸は見ないようにしてだ。
「もう、何やってるのよ。風邪ひくでしょう。着替え、持ってきたから。これを着てちょうだい」
「そ、ソーリー。ボク、床濡らした。ソーリーです」
「そんな事を気にするくらいなら、ちゃんと身体の方を拭いて。それから服を着るのよ」
「マリカ、怖い。ボク、言うこときく。怒らないで。イジメル、ノーサンキュー」
「誰がいじめてるのよ。後はあたしが片付けるから、それ着て、あっちの部屋で待ってて」
「わ、ワカタ。服着る。オーケイ。マリカ、怒らない」
「お、怒ってないわよ。いい加減にしてよ。早く、服を着ちゃって」
「お、オーケイ、オーケイ。ワカタ」
相変わらず、分かっているのかいないのか怪しかったが、茉莉香はコーンに無理やりトレーナーを着せると、バスルームから追い出した。
バスルームの濡れた床を拭きながら、茉莉香はコーンの痩せて背骨の浮き上がった後ろ姿を思い出して、泣きそうになっていた。ちゃんと食べてるんだろうか。量は足りてるんだろうか。
別に、自分は救済者や慈善運動家ではない。船で働いていない移民が、きちんとした暮らしが出来てないなんて当たり前だ。でも、本当にそれでいいのだろうか? 以前読んだ小説に、『野良猫が減らないのは、餌をやる人がいるからだ』と云うフレーズがあったのを思い出した。
でも、餌がなくなったら、猫はどうなるんだろう? 死ぬしかないだろう。それで、被害が減るのは良いことかもしれない。犬も猫も全部登録制にして、完全管理すればいいのかも知れない。
でも、それが、猫のためなんだろうか? 人間に寄生してしか生きられないペットは、生物として健全なのだろうか?
そんな思いが茉莉香の頭の中をグルグル回って、答えは出ないままだった。
(あたしがパイロットになるってことは、コーンのような移民も含めて、皆を第七十七太陽系まで連れて行くってことなんだ)
茉莉香は、改めて自分のしなければならない仕事の大きさを知ったような気がした。




