パイロットの資質(4)
茉莉香は、また夢を見ていた。
その中に出てきたのは、昨日会った老パイロットであった。
「やぁ、おじょう──いや、新米パイロットだったな。元気かい?」
夢の中なので、姿ははっきりしていないが、声だけは聞き覚えがあった。
「あ、熟練パイロットさん、こんにちは」
「はて、前よりもイメージがはっきりしておるな。メタルバンドの抑制機能は、特別に強化してもらったはずなのじゃが」
「そうなの? でも、前の夢のほうが、お姿がはっきりしてたわね」
「そうじゃったかのう。気分はどうだい?」
「うん……何か清々しい感じ。何かから開放されたような」
「そうか。それは良かったね。ところで、ここに『彼』がいるのだが、分かるかね」
ぼやけた姿の老パイロットは、両手を揃えて持ち上げた……ような気がした。
その上には、ぼんやりとした光の塊が乗っかっているように見えた。
「ぼうっとしているけど、何かが居るのは分かったわ」
茉莉香には、そのふわふわとした光の塊が、明るく暗く明滅しているのに気がついた。
「これが、この船のESPエンジンなの?」
「そうじゃよ。今度は、あんたが新米パイロットとして、『彼』の友達になって欲しい」
「友達?」
「そうじゃ。友達じゃ。『彼』は、決して機械でも生体部品でもない。ちゃんと心が残っているんじゃ。じゃが、わしにはもう時間が無い。だから、おまえさんに『彼』を託したいと思う」
茉莉香には、老パイロットのその言葉が、何か重たい気がした。
「これこれ、憂鬱そうな顔をするな。何も心配はいらないよ。すぐに友達になれるさ。一生涯の友達にな」
「うん、分かったわ」
夢の中でそんなやり取りがあったが、そのうちに、目覚めの時が来たようだ。朝の光に視神経が反応し始める。夢の意識は不安定になり、ぼやけていく。
「ん~、眠いよぉ」
茉莉香はベッドで転がっていた。そして、さっきまでの夢の内容は、急速に薄れて、消えていった。
「茉莉香、もう朝よ。起きなさい」
母の怒鳴り声が響いた。
「んー、まだ寝たいよう。今何時ぃ」
「朝の六時半よ」
母が時刻を告げると、茉莉香は、
「まだ早いよぅ」
と、文句を言った。
「だって、これからは茉莉香と会えない時間が増えちゃうでしょう。だから、お母さん、今のうちに一緒にいる時間を多く取りたいの。だから、朝食も一緒に食べようと思って」
母は、少女にそう告げた。
「それに、一緒に食べないと、あなた偏食しちゃうでしょ。今日は、脳に良い食事を考えたのよ。早く着替えて、ダイニングにいらっしゃい」
と、ニコニコしながら、母は茉莉香に向かってそう言った。
「もう。昨日の事なんて、あたし気にしてないのにぃ。それに、転校や配属の手続きだって、未だこれからでしょう。別に、今日全部片付けるなんて、しなくていいじゃん。だから、寝かせてぇ」
茉莉香は、まだベッドで転がっていたかった。しかし、母は許す気にはならなかったようだ。
「今までが、間違っていたのよ。私、船長さん達に会って分かったわ。ご飯は、母娘が顔を合わせて食べるのが大事なのよ」
どこかで聞いたような台詞を口にして、母である由梨香は、自分に酔っているようにも見えた。
「えぇ~、なに目覚めちゃってるのよぉ。今更、理想的な母親になるって言われても、あたしには迷惑だよぉ。だから、今は寝かせてぇ」
「問答無用! ほら起きなさい」
母はそう言って、シーツを引っぺがすと、ベッドから茉莉香を引きずり降ろした。
「お母さん、乱暴」
「いくらパイロットになるからって言っても、茉莉香が私の娘であることは変わらないわ。親の特権──いえ、義務です」
「もう、横暴なんだからぁ」
茉莉香は不平を言っていたが、母の問答無用の態度に、不承々々従っていた。
「あ~、眠いぃ~。お母さん、今日の朝ごはんはなぁに?」
眠気眼をこすりながら、茉莉香はやっとこさ朝食のテーブルにやってきた。どっかと椅子に座り込んでの最初の言葉が、それだった。
「今朝は和食にしたのよ。お豆腐のお味噌汁とアジの開きよ。お新香もつけて。お魚の脂質は、脳の活動にいいのよ」
「そんなこと、いつ調べたのよぉ。……んー、でも、いい匂い。何かお腹減ってきた。もう食べていいかな?」
「いいわよ。でわいただきましょう」
「いただきまぁす」
こうして、昨日のことは何事もなかったかのようにして、母娘の次の一日が始まった。
茉莉香が学校に着いた時、ロッカールームで、健人が話しかけてきた。
「おい、茉莉香。昨日はどうだった?」
そう訊いてきた健人に対して、茉莉香は、
「別に、何とも。何か血液検査とか脳波とか測られたけど、特に異常なしだって。結局、ただの貧血だったみたい」
と、彼女は、昨夜から考えていた言い訳をした。
それを聞いた健人は、
「そっか。なら良かったな。俺、本当にびっくりしたんだからな。おまえ、ほうれん草とか人参とかちゃんと食べろよな。鉄分が足りないんだよ、鉄分が」
と、彼は知ったかぶりの解説をしていた。
(ああ、そっかぁ。健人とも、もう少ししたらお別れなんだぁ。本当の事は言えないし。どうしようかな?)
少女は心の中で逡巡していた。
(もうすぐ長期休暇だし、その間に引っ越しちゃえば、後腐れが無いかなぁ)
だが、どんな方法を使っても、遺恨は残るのだ。後は、自分の気持ちの問題だ。そう思い返して、パイロットの事は、話に出さないようにしようと、少女は思った。
そして、今日も『ジャンプ』の時間が近づいてきた。
いつものように、注意事項が放送された後、秒読みが始まる。
──『ジャンプ』、一分前です。秒読みに入ります……
一昨日のように、茉莉香達は机にしがみついていた。今回は大丈夫だろうか? 一抹の不安が、茉莉香の心をよぎった。
──『ジャンプ』、十秒前、九、八、七、六、五、四、三、二、一、『ジャンプ』……終了しました。楽にして下さい。この『ジャンプ』により、本船は八十光年の距離を移動しました。『ジャンプ酔い』の方がいらっしゃいましたら、お近くの職員までご連絡下さい。
『ジャンプ』が終わると、クラスの全員が茉莉香の方を見た。
「大丈夫か、茉莉香。どこか、気持ち悪いところは、ないか?」
健人が、茉莉香に恐るおそる訊いた。
「何とも……無いよ」
と、茉莉香は応えた。
『うわぁー、やったぁー』
と、クラス全員から歓声が上がった。皆、茉莉香の事を心配してくれていたのだ。
「茉莉香さん、今回は大丈夫みたいですね。後から気持ち悪くなるかも知れませんから、具合が悪くなったらすぐに手を挙げて下さいね。はい、皆さん、座って。ホームルームを続けますよ」
先生も、何事も無く『ジャンプ』が終わったので、ホッとしたようだ。だが、健人は、まだ少しだけ心配しているようだった。さっきから、ずっとチラチラと茉莉香の方を見ていた。
「それじゃあ、最後に、この前配った進路希望用紙を回収しますね。後ろから集めて下さい」
先生の声に従って、席の最後尾に座っていた子供たちが立ち上がると、順番に折りたたまれた用紙を回収していった。そして、茉莉香も今朝書き上げたばかりの紙を渡した。
彼女の提出した用紙には、『宇宙船のパイロット』と書かれていた。




