パイロットの資質(3)
ギャラクシー77の操船室の中で、母の由梨香の泣き声だけが響いていた。
「どうして、茉莉香が……、私の娘だけが、こんな目にあわなけりゃならないのですか。ひどい。ひどい話です」
我が子を抱いて泣き崩れる母を、慰められる者はいなかった。
すると、突然、茉莉香が話し出した。
「航海長さんも所長さんも、さっき、このメタルバンドの話をしてましたよね。これは、「超能力者の脳波がESPエンジンのノイズになるのを防ぐため」って説明されていましたけど……。それ、半分嘘ですよね」
茉莉香の目の前に座っていた航海長は、一瞬、少女の瞳の奥を凝視した。澄んだ眼だった。この眼差しの前では、どんな嘘をついても暴かれる。そう思わせられそうな眼だった。
「この船の乗務員のほとんどがメタルバンドをつけているってことは、そんな超能力者の卵ばかりを選んで乗船させているって事よね。本当に邪魔になるなら、さっさと船から降ろしているはずよ。だって、この船は二百回近い航海をしてきたのよね。地球でも、第七十七太陽系に着いた時にでも、船から降ろしてしまえば良かったのよ。それをしてこなかったってことは……。エスパーの卵のようなあたし達は、必要があってこの船に乗せられているんだわ。違うのかしら」
虚を突かれた航海長は、思わず息を飲んでしまった。
「そ、そうだわ。茉莉香の言う通りよ。何かの事情があって、わざとたくさんのエスパー達を船に乗せてるんだわ。そして、その中から茉莉香が選ばれた。どう考えたって『出来レース』じゃないですか。違いますか?」
船長たちは、彼女らの質問に、すぐには応える事が出来なかった。
「やれやれ、今回のパイロット候補生は、頭が切れるのう。茉莉香ちゃんには、やはり『パイロットの資質』があるようだね」
老パイロットは、安楽椅子の上でクスクスと笑っていた。
「で、茉莉香ちゃんは、「どうしてエスパー達が宇宙船の中に沢山暮らしているのか」、その理由が分かるのかい?」
祖父と言ってもいいくらいの老人に尋ねられて、少女はそれに答えてみせた。
「多分、『品種改良』をしてるのよ。たくさんの超能力者を集めて、交配して、ESPエンジンの部品に使える人材が生まれるように、遺伝子をコントロールしているんだわ」
茉莉香は、目を輝かせてそう言った。
「おうおう、賢い子じゃのう。だが、それも半分正解で半分は間違いじゃ。確かにこの宇宙船には、超能力者の素質のあるものを厳選して乗船させてある。そして、それは交配によって優れたエスパーを生み出すためじゃ。じゃがな、それは『ESPエンジンのため』と言うよりは、『パイロットの候補』を生み出すためなのじゃよ。例えば、茉莉香ちゃんのような娘をな。産まれた子が、ESPエンジンに使えるかどうかは、運次第じゃ。ついでにすぎん」
老パイロットは、ニッコリと笑うと、そう茉莉香に話してみせた。
「じ、じゃあ、私も、家の隣に住んでる方達も、全てパイロットを生み出すためだけに生かされていたのですか? たかがそんなことのために、この鶏小屋みたいな船で暮らしていたなんて。そんな、……じゃぁ、私の生きてきた時間は何なの? 何のために、こんなところにいるの? 全ては船のため? そんな、……そんな」
母の由梨香は、唖然として宙を眺めていたが。その瞳には力がなかった。
「お母さん、泣かないで。茉莉香は平気だよ。お母さんも、この操船室の近くに引っ越してきて、ここで暮らすの。そうすれば寂しくないでしょう。お仕事はぁ……、そうね、あたしがパイロットをするんだから、お母さんは『あたしのお世話をする人』ってことで。パイロットなら、それくらいの権限はあるでしょう。ね、おじいさん」
悲観に崩れる母に、茉莉香はそう言ってのけた。これには、老パイロットも船長たちも、呆気にとられてしまった。
「う、う~~~ん、これはお嬢ちゃんに一本取られたね。ははは、良いさそれくらい。なぁ、船長」
そう言ったのは、機関長と呼ばれたでっぷりとした男だった。
「し、しかしなぁ、前例が無いからなぁ」
と、船長は困ったように返事をした。
すると、少女は、船長に目を向けると、
「お願い聞いてくれなきゃ、パイロットなんてしない。これが、どーゆー意味か分かってるよね」
これには、船長も黙らざるを得なかった。パイロットがいなければ、ギャラクシー77は宇宙の放浪者になってしまう。
そんな船長の困った様子を見て、老パイロットも苦笑していた。
「いいじゃないか、それくらい。わしは、今まで我慢しすぎていたのかも知れん。この船のために五十年もここにいたんじゃ。わしからもお願いする、船長」
「いや、急にそう言われても」
思いもよらなかった展開に、彼は判断に窮していた。
「わしのゆーこと聞いてくれないんだったら、もう二度と『ジャンプ』はしてやらん。……ってな」
そう言って、老人はウインクをすると、明るく「ははは」と笑った。
そのやり取りを直ぐ側で見ていた母には、我が子がどうしてこんな提案を思いついたのか? までは分からなかった。しかし、茉莉香が自分の運命を見事に受け止めて、それに立ち向かおうとするところまで、成長していたことには驚いていた。
由梨香は、この数年間、仕事場で給料を稼いで、娘にまっとうな暮らしをさせてやることくらいしかしてこれなかったのだ。そして、そんな事しかしてやれなかった自分を恥じた。
これから茉莉香は、この薄暗い操船室で、何十年かを過ごす事になる。娘はその運命を受け入れた。そして、自分なりの回答を作ったのだ。
娘の選んだ道だ。これ以上、何も言うまい。ただ、母として出来る限りの事をしてやろうと、由梨香は思った。
茉莉香は椅子から立ち上がると、安楽椅子のパイロットの側まで歩くと、傍らに屈みこんだ。
「ねぇ、おじいさん、パイロットのお仕事って面白い?」
老人は、応えた。
「最初はつまらんかったよ。この狭い部屋に、たった一人閉じ込められてたんだからな。でもね、パイロットをしている間に、『彼』と仲良くなれたんじゃ」
「『彼』って、だあれ?」
「ESPエンジンじゃよ」
「え? でも、ESPエンジンは自我を封印されてるって」
「ああそうだ。でも、心の奥のふかぁいところでは、その自我の残りカスのようなものが、未だ生きておったのじゃ。それを見つけてから、わしは『彼』と友達になった」
「じゃぁ、あたしも友達になれるかなぁ?」
「それは分からん。テレパス同士は友達になりにくいというからのう。心の内が全て丸見えになる所為じゃ。当然、嘘や隠し事は、すぐバレてしまう。それで、簡単に仲違いをしてしまうんじゃ。『彼』は気難し屋だぞう。お嬢ちゃんに出来るかな」
「そっか。そうだよねぇ。……で、あたしは、これから何をすればいい? 何をしなくちゃならないの?」
少女は、老パイロットに訊いた。
「そうさなぁ、まずは『彼』と話が出来るようになるところからだ。単純にテレパシーで呼び掛ければいいってもんじゃない。『彼』の気持ちやコンディションを考えながら、話をしないとな」
それを聞くと、茉莉香は少し考え込んだ。
「そうだよねぇ。クラスの子とお友達になるのだって、けっこう難しいもんね。あたしに出来るかなぁ?」
「出来るさ。いや、わしが出来るように教えてやるよ。わしはこの船の二代目パイロットだった。お嬢ちゃんは三代目じゃのう」
「むぅ。そういう言い方やめて。まるで、ヤクザの世襲みたいじゃない」
「そうかい? いいと思ったんじゃがなぁ」
「それから、『お嬢ちゃん』ってのもよして。あたし、もうちょっとしたら、正式なパイロットになるんでしょう。なら、せめて『新米パイロット』くらいにはしてよ」
「そうかいそうかい。ならよろしくな、『新米パイロット』さん」
「よろしくね、『熟練パイロット』さん」
二人の最初の邂逅は、こうやって行われた。
そんなやり取りがあった後、母娘は帰り道を並んで歩いていた。
総船室からの帰り道、母は茉莉香に問い正した。
「茉莉香、本当にいいの? あんな事を承諾しちゃって。これから、何十年もあそこに一人ぼっちになるのよ」
茉莉香は、ツンとして応えた。
「一人じゃないわ。『彼』が居るもの。それに、いつだってお母さんに会わしてもらえるように約束させたし」
「それはそうだけど……、本当に大丈夫かしら」
由梨香は、未だ、船長達の言葉を信じきれなかった。大人はずるい。いつ裏切るか分からない。それが世間というものだ。
事実、大豆や牛がそうされているように、自分達も品種改良のためにこの船に集められていたなんて話を聞いたので、彼女は今までの自分の運命をすら呪っているのだ。本当は、娘にこそ気を使ってやらねばならぬのに。
ブロック間移動のチューブを降りて、街区へ向かうエレベータの中でも、由梨香は不安そうな顔をしていた。
(これではいけないわ。茉莉香は、ちゃんと自分で考えて、答えを出したのよ。それをどうこうする権利なんて、母親の自分にはないわ)
それよりも恐ろしいのは、この自分自身だ。ESPを抑制するメタルバンドがあるからいいものの、いつ他人に心を読まれるか、いつ他人の心が見えてしまうか。由梨香はそれを恐れていた。
(あの、老パイロットは、こんな自分の心を覗き見て、どう思ったろうか? バカな親だと、蔑んだのだろうか? それに、茉莉香もメタルバンドの抑制力を上回るテレパスなんだわ。茉莉香も、こんな愚かな母の心を覗いて、消沈したに違いないわ。もしかすると、今も私の心を読んでいるのかも知れない)
そう思うと、我が娘さえ恐ろしくなる由梨香だった。
(愚かだわ。自分は、なんて愚かな人間なんだろう)
由梨香は、自分が情けなくなっていた。
「お母さん、何考えてるの?」
急に娘に声をかけられて、母は<ギョッ>とした。
「え、……ええぇ? 何って何にも。それよりどうしたの茉莉香。今更そんな事を訊くなんて」
少女は少し俯くと、
「お母さん、ごめんね。ちゃんと相談もなしに、勝手に決めちゃって。あたしがパイロットになっちゃったら、お母さん寂しくなっちゃうなぁって思ったの。だから、あんな提案をしたの。だって、あたしが強力なテレパスだって分かったら、きっと皆に嫌われちゃう。あたしの居場所は、あそこ以外にはもう無いのよ。でも、そしたら、お母さん、一人になっちゃう。そんなの辛いよね、寂しいよね。でも、パイロットを断ったら、何されるか分からないし。もしかしたら、お母さんも、お仕事出来なくなるかも知れないでしょう」
少女は俯いたまま涙ぐんでいた。瞳から溢れた涙は頬をつたい、顎から廊下へと落ちていった。
「……う、くっ、……えっぐ、……あ、あたし、お母さんと離ればなれになるなんてやだよう。……お母さんと、一緒がいい。一緒が……」
それを聞いた由梨香は、本当に自分が恥ずかしくなった。この娘は自分を犠牲にしてまでも、母の事を考えてくれた。小さい頭で考え抜いての決断だったのだ。その娘を、ついさっきまで、「心を覗かれはしまいか」と恐れていたのだ。そんな自分が悲しかった。そして、そんなにも母を思ってくれた娘が、無性に愛おしかった。
「茉莉香、茉莉香。大丈夫よ。お母さんがついてるもの。茉莉香のことは、お母さんが絶対守ってあげる。だって、私は茉莉香のお母さんだもの」
それを聞いた少女は、ゆっくりと顔をあげた。彼女の顔は、涙でくしゃくしゃだった。
「ほんと? ほんとに? あたし、お母さんと一緒に居ていいの? あたしの事、怖くならない?」
少女は、震える声で母に訊いた。
「当たり前でしょ。茉莉香は、お母さんの大事な娘だもの。ごめんね、心配かけて。……茉莉香も本当に大人になったわね。でも、あんまり急いで大人にならないでね。お母さん、置いていかれちゃうじゃない」
そう言って、由梨香は娘に微笑んだ。
「お母さん!」
茉莉香はそう叫ぶと、母に抱きついた。
そうしてしばらくの間、二人の影は廊下で一つになっていた。




