夜を背負う者
夜を背負う戦神夜刀神は、ハヤトたちのいる下界へと向かう途中で、ふと昔のことを思い出す。八咫烏とした他愛もない雑談なのだが、ふと頭を過ぎる。
それはおよそ五千年くらい前のこと、いつも通り池のほとりから下界を眺めていたときのこと。
ふと、八咫烏がこんなことを言い出した。
「夜刀神様は自分の後というのは考えたことはありますか?」
神にも寿命もあり、また命もある。
そして、その名前を守るために神は人が生まれ変わるのと同じように、まったく違った性格、容姿で名前を引き継いでいく。
こうして神は人々の中にあり続けるのだ。
生まれてから人の歴史ほど生きているが、たしかにそんなことは考えたことはなかった。
寿命があるといえども、悠久の時を生きる神だ、まさか自分が死ぬことなど考えもしないし、その先など知ったことか。
夜刀神は、しばし考えてこういった。
「他の神はみなそのようなことを考えておるのか?」
「他の神様方は、自分の宮仕から選ぶようです。夜刀神様も見習って強い者を後継にしてみてはいかがでしょう」
「ただ強いだけではいかんな。夜刀神の威厳を守ることのできる存在でなければ後継とはいえん」
思ったより真剣に考える夜刀神を見て、八咫烏は真面目だなこの神とか思ってしまった。
知られたら焼き鳥にもされかねないが、黙って思っている分には良いだろう。
「ならば手ずから育てられるのは」
「我が自分の後を育てるとな?」
「自分好みの後継となるものを育てられればよろしいかと」
なんだか今風に言うとゲーム感覚で、後継者の育成が始まったものだ。
夜刀神は、思い出して少し表情を綻ばせる。
「何千年待ったか、このときを」
夜刀神は決めていた。自分の後継となる存在を。
ハヤトと七夜刀の戦いもいよいよ架橋へとさしかかる。
ハヤトは、使えば必ず死ぬ奥義を使っているので、すでに時間の余裕はない。
そして、戦いの場であったこの大地も、二人の戦いの激しさに崩れて足場がなくなるのも時間の問題。
どのみち時間はなかった。
「知ってるぞその奥義。使えば瀕死になる代わりに凄まじい攻撃力を得るというお前のとっておき」
七夜刀はあの戦いのすべてを見ていた。だからこそこの奥義の弱点も見抜いている。
「あなたの戦える時間は約五分。そこまで持ちこたえれば...」
その瞬間、七夜刀の体が激しい衝撃とともに後方へ吹き飛ぶ。
「ごはっ...」
口から大量の空気が漏れ出した。だが、まったく訳がわからない。ハヤトは最初の位置から動いていないのになぜ自分だけがこんなにダメージを食らっているのか。
なぜハヤトが悠然と自分に向かってきているのか。
「お前一体なにを...」
「ただ殴っただけだ。俺の拳に叩かれた空気がお前に向かって飛んでいっただけのことだ」
空気砲は、小さければそれこそ蝋燭の火を消す程度のことしかできないが、大きく、なおかつ効率よく空気を送り出すことができれば、人をも吹き飛ばすことができるという。
その応用で、目に見えないもはや音速にも等しい速度で、空気を殴ったことで七夜刀の体は空気砲に撃たれたときと同じく吹き飛んだというわけだ。
「もはや人間技ではないな...お前本当に人間か?」
「ちゃんと人だ。だから安心して死ね」
ハヤトは次々に空気砲を打ち込む。
打たれるたびに、七夜刀の体が衝撃で吹き飛ぶ。
(まずいな...あの空気砲をどうにかしなければ...)
そんなとき、ふと頭上の籠に目がいく。
そうだ。あいつを囮にすれば。
七夜刀は、地を蹴りトューナ目掛けて跳躍。
「させるかっ!!」
ハヤトも狙いに気づいてすぐさま同じように跳躍するのだが、これこそ七夜刀の狙い通り。
身動きの取れない空中へと誘き寄せ、なおかつハヤトの攻撃の延長線上に、トューナを置くことで、迂闊に攻撃できず、ハヤトの攻撃の手も止める。
卑劣ではあるが、有効な手ではあった。
「隙を見せたなハヤト!!」
ハヤトの胸に、七夜刀の鎌が横一文字に深い傷をつける。
大量の血飛沫とともに、崩れ去る大地へとその体は落ちていく。
「ハヤトッ!!」
トューナはいてもたっても居られず、檻から出ようとするが、そこは夜刀神たちの超人的脚力でしか登り降りできない空中。
降りればハヤトと同じように、ただ落下して死ぬのは間違いない。
トューナは落ち行くハヤトをただ見ていることしかできなかった。
(俺は…死ぬのか。まだ何もできてないのに…。まだ色んなことして、トューナもゼロナもレーナもいるのに…)
死の淵で、ハヤトは深い海の底に沈む感覚を覚えた。
深く、深く、自分がどういう存在で、自分が何者なのかもわからなくなる、溶け込んでいくように自分が消えていく。
これが死なのだ。
(あそこで泣いてるのは誰だ…すげえ悲しそうに泣いてるな。俺のために泣いてんのかな)
「戦えハヤト。戦わなきゃ一生そのままだぞ」
突如頭の中に、懐かしいあの言葉が流れ込んでくる。
祖父が残し、ハヤトが守り続けてきた言葉が。
(じじい…もういいだろう。俺は戦ったよ)
「お前は負けたらそこで踞るのか?違ぇだろう。立て!!まだ終わっちゃいねぇよお前の戦いは」
祖父の激励が、体の中を突き抜ける。
消えてしまいそうな自分を引き戻す。
ハヤトは落ち行く体を捻って体勢を立て直し、どうにか着地。
着地の衝撃によろめきはしたが、墜落死だけは免れた。
「あの傷でまだ立ち上がるか…」
「決着つけようぜこの戦いに」
ハヤトの手に烏。さらに、黒い袴をその身に纏う。
「夜刀神化か。面白いな」
七夜刀の体も、黒い袴を纏う。
同じ夜刀神同士、できることもなんら驚きはない。
「お前の夜刀神化はまだその烏がいてこその未完成。俺は完璧な夜刀神化だ。どっちが上かはっきりしてんだろ!!」
正解だがそれは、ハヤトが気を失うほんの一分前の話だった。
突然太陽がよりいっそう輝き出した。
「馬鹿な、昼と夜の共存するこの場所がなぜ昼に」
失われた夜はどこへ。その答えはハヤトが持っていた。
ハヤトに流れ込む黒い闇。しかしそれは、ハヤトを優しく包む。
「貴様夜を喰ったのか!!」
その闇は、刀へと収束する。
まさに夜刀神を象徴するかのように、その刀は黒く艶やかに光を放つ。
「くそがぁっ!!」
激励とともに、ハヤトに攻撃を放つが、ハヤトは上段に構えて、ただ降り下ろす。
「終われ」
ハヤトの斬撃が、大地を抉りながら七夜刀の体を両断した。
その瞬間、トューナを閉じ込めていた檻が壊れて、トューナは足場を失い自由落下を始める。
地面にぶつかりすんでのところで、ハヤトがお姫様抱っこで受け止める。
「ひどい顔だな。可愛い顔が台無しだ」
「誰のせいかわかってるのかしら?」
「悪い…限界だ」
ハヤトはトューナを抱えたまま、その場に倒れた。
途端に崩壊していた大地が、ついに完全に崩れて、地の底へと二人は引きずり込まれるか。
そう思ったとき、世界の時間が止まった。
突然現れた黒い背中が、二人を抱えて安全な場所へと、まるで瞬間移動のごとき速さで移動する。
そして、時はまた動き出した。
「夜刀…神…」
黒い背中こそ、すべての始まりたる夜刀神なのだ。
その夜刀神は、ただハヤトを見下ろしてこう告げた。
「我と契約を結べ。八番目の夜刀神」




