その影は刹那
十族会議からはや一年。
この一年、トゥーナとハヤトは世界中を歩き回った。
世界にいるのは十族だけではない。辺境にいる種族や、いまだに戦争を繰り返している種族のところに出向き、平和交渉を持ちかけていたのだ。
そんな生活をしているうちに、世界は二人を中心に一つになろうとしていた。
ようやく、ようやくトゥーナの夢が実現まであと一歩のところまできたのだ。
最初は途方もない夢だったが、それでもやってみればできるものである。
そして、報告すべきことが一つある。
ハヤトとトゥーナの間に子供ができた。
女の子なので、ゼロナの妹になる。
まだ生まれて間もないが、二人して側を離れられず仕事がないときはいつも側にいる。
初めての子供だけに可愛くて仕方ないのだ。
ゼロナも例外ではなく、妹の誕生をとても喜んでいた。
名前はレーナ。
日本語の麗奈というのをカタカナにしただけだが、案外気に入ったらしい。
そんな感じに幸せ一杯、順風満帆な日々を過ごしていた。
「ねえハヤト。ちょっと疲れてる?休む? 」
ハヤトもトゥーナほどではないが、政務の仕事を覚えてできるようになった。
毎日何百と承認待ちの書類たちが、ハヤトの目の前を埋め尽くすのはもう慣れたこと。
「いや大丈夫ありがと。それにしても外はすごい雨だな」
強烈な風と、風に煽られた雨が、部屋の窓を打ち付けているのが、いまにもガラスが割れそうで気が気でない。
「ゼロナは今日学校だろ?あいつ大丈夫かな」
世界を変えるにあたって、この国にも学校ができた。
中学くらいの年齢までだが、一般教養を身につける目的でハヤトが勧めた計画だった。
そしてゼロナは今年で小等部を卒業する年齢だった。
「迎えを出す?」
「そうだな。頼む」
トゥーナは手元に持っていた呼び鈴を鳴らして、侍女頭のフローラを呼び出す。
さすがハーフエルフというべきか、一年くらいでは外見があまり変わらない。
「姫様お呼びですか?」
「ゼロナに迎えを出して」
「畏まりました」
本当にツーカーで話が通じるのだ。
トゥーナはいまだに、親子であることを知らないが、普通に親子していた。
と、そんないつもの生活を送っている別のところでは、何かが動き出そうとしていた。
フードに身を包んだ黒い影。
強烈な雨が降り頻るなか、その影はゆっくりと森のなかを遊歩する。
ゆっくり、ゆっくり、何かを楽しみに楽しげに森のなかを進む。
そしてその影は、あるものを見つけて口角を吊り上げる。
ニタリと、気味の悪い笑顔を浮かべて目の前の物体に対して背中に背負った大剣を振り下ろす。
それは、ウィリアナの真ん中を通る川の水を調節するダムの役割を持つ溜め池の水を塞き止めている水門だった。
水をせき止める役割をしていた木の壁が、バラバラに砕け散った。
この雨で、ただでさえ溢れそうだった池の水は止めるものがいなくなったことで、川は暴走を始めた。
川の氾濫というのでは言葉が足らないような、異常なる洪水。これが街に流れれば、街は水没するだろう。
「さぁ混沌の時間を始めましょう」
影は高らかに、森のなかに気味の悪い笑い声を轟かせた。
川の氾濫の話はハヤトの耳にも入ってきた。
ハヤトは陣頭指揮を執り、川の氾濫を止める。
川の勢いは強く、並の者はすぐに流されてしまう。
「水遁・絶氷障壁」
溢れまくっている水を凍らせて、水を一時的に塞き止める。が、それでも勢いは止まらない、あとから押し潰すように濁流が流れくる。
「いまだ!!いまのうちに水を止めろ」
誰かが発破をかけて、全員が取りかかる。
およそ百人超の力を総動員した結果、一時間とかからず作業は終わった。
一段落したところで、油断した一瞬。目の前にいたトゥーナが瞬きする間に、垣間見えた影とともに消えた。
うかつだった。気を緩めたたった一瞬を狙われた。
ハヤトは、全速力で連れ去った影を追いかける。
「追いついてくるとは…」
「てめぇなにもんだ!!トゥーナを放せ!!」
「八番目よ。七番目はあなたを待っている、月と太陽の昇る地で」
影はついにハヤトの視界から消えた。
ハヤトの激昂が、森のなかに虚しく残った。
夜刀神は、いつものように泉に映る下界を眺めて、なにかを考えているようだった。
そんな泉に鎮座する黒い存在の肩に、ふわりと着地する黒い烏。
三本足の黒い翼をもつ烏、夜刀神を象徴する鳥である。
「夜刀神様。ついに七番目が動き出しました」
「なあ烏よ、おかしいとは思わんか」
「と、言われますと?」
「戦王二夜刀と戦ったあやつが、なぜまだ生きている?
あれから五百年生きているのだぞ」
言われて見ればだった。
八番目の八夜刀ことハヤト以外は、すべて同じ時代に転生している。
それは五百年前も前の話である。
普通なら死んでいてもなんら不思議はなく、むしろ生きていることこそが異常であり、異質なのだ。
「あいつは一体なにものなのだ?」
夜刀神の監視の目をくぐりぬけ、五百年も生きている人間のことが神である夜刀神ですらもわからず、迷走する。