第六話
目が覚めるのが早かった。
何故だろうか、少し胸の中がザワついている。
昨日の、街のように。
これは感情なのか。それとも、もっと他の何かなのだろうか。
たとえば、そう、予知のような。
僕にとってはどうでもいいその考えは、誰にとってもどうでもいいだろう。
だがどうでもいい事なのに、気になってしまう。
気になるたびに胸のザワつきは、大きくなっていった――
「もう出発できますね」
僕は荷物を持った。凛さんを起こすのはやめておいた。寝不足にはなってほしくないからだ。だからと言って僕が寝不足というわけでもない。僕もそこまで眠くはなかった。あの後、眠ることができなかったということもある。
「そうね…それじゃあ行きましょう」
僕たちはホテルの部屋を出て、乗るタクシーを探しに行く。
「どうぞ」
止まってくれたタクシーの運転手は、見たところ50代だろうか、それともそれ以上だろうかと思うほどのいい年の人だった。だが優しい顔持ちで、不安などは全く感じさせない。ベテラン、というのが正しい例え方だろうか、と僕はさっきの発言を少し反省する。
いまから行く街は、そこまで治安が悪くはないらしい。だから安心してくれと、彼女に言われたのだが初めて行くところなのでやはり不安になってしまう。緊張とはまた少し違う感情だった。
「お宅、旅行か何かですかい」
タクシーの運転手が話しかけてきた。僕らに何か用があるのだろうか?と一瞬思ってしまったがどうやらそうでもなかったらしい。こんなどうでもいい僕に話しかけてくれるなんて、ありがたい話だ。まあ、答えるのは少し緊張するが。
「そんなところです。ヒステラという国から来ました」
そんなことを考えているうちに凛さんが答えてくれた。もちろんその内容は嘘だったが、運転手さんは納得してくれたようだ。
「最近ヒステラからよく来るんだよねぇ…お客さんがさ」
どうやらこの国は結構人気らしい。僕はこんな国早く出て行きたいのだが、何故だろうか。
「へぇ…わざわざこんな国に」
凛さんが少し皮肉を入れて発言する。おいおいそれは、失礼だろうと僕が言ったってしょうがない。今の凛さんの顔は、真剣だったからだ。目も、真っすぐ前を向いている。こうなったら誰の話も聞きゃしない。それに、運転手さんも不快ではなさそうだったからだ。
「ハッハッハッハ。全くもってその通りだ。わざわざこんな国に来るなんて、正直最初は頭がイカれてる奴らばっかだと思っていたさ。でも、違った。奴らはみんな仕事でここに来ているらしい」
ヒステラは、はっきりいってあまり工業の会社、情報の会社がない。
だからメーカー、ブランドなども実は違う国のものがほとんどだ。
自国のものがあったにしても、高すぎて誰も手にしない。
そんなヒステラの人々は、仕事を求めて違う国へ行くことがあるのだ。
今回話していることもそういうことだろう。
「なるほど…嬉しいですか?自分の国にたくさん人が来るということは」
凛さんがさらに突っ込んでくる。そういう事情を知ってこそだろう。現地の人の意見を聞きたいみたいだった。
「嬉しくなんかないさ…別にこんな国、好きじゃないし」
あっさりと言ってしまった。本当に嫌いなのだろうか?と聞きたかったが、なんとなく理由がわかってしまった。こんな貧富の差が激しい、汚い国は嫌だと言いたいのだろう。
「そうですか…」
凛さんもそれ以上は何も言わなかった。
「もうそろそろ着くよ、支度しな」
「ここが、僕らの住む街ですか」
高層ビルが並んでいる都会だった。僕はこういうところはあまり慣れていないので、不安がさらに押し寄せてくる。
「そうね。大丈夫よ、そこまで緊張しなくても」
凛さんが背中を叩いてくる。ありがた迷惑だ。やめてほしいと伝えるように顔をしかめるとそれを見てもっとやってきた。もうイヤだ。
「それじゃ行きましょう」
やっと歩き出した彼女の足を見て、踏みたいと思った。思ってしまった。
「踏んでいいですか?」
「叩かれたいの?」
「ごめんなさい」
凛さんから黒いオーラが出たので謝る。彼女は本当にわからない人だ。
「多分このあたりだと思うけれど…」
凛さんが地図を見ながら言ってくる。確かにこのあたりであっている。
「おそらくここですね」
写真と似ているような建物を指さす。
「そうね。入りましょう」
高層マンションだった。凛さんが鍵をさし、入り口のドアが開く。その入り口には、人が立っていた。
「よう、お前らがヒステラから来たとかいう。歓迎するぜ」
目がそうは言っていない。それは目前で、凛さんもわかっているようだった。
「失礼ですが、歓迎とはどういう意味で?」
「おっと、好戦的だなぁ…憧れるよ、そういうのは。
俺は戒省、よく覚えておきな」
名前を名乗ったその男、戒省は手をさしのべ握手を求めてくる。だが。
僕らは触らない。触るわけがないのだ。
その男の手が、『臭い』。
明らかに何かの魔法を、手に出して僕らに当てようとしている。
考えすぎかもしれないが、握手は慎重に行った方がいい。
だから、僕らはその手を握らない。
「仲良く握手求めてるだけなんだぜ?
――まあいいけどよ、お前らがそういうつもりなら」
戒省、と名乗った男が手を下ろす。僕はそこで少し疑わしい気持ちになった。
この男は本当に怪しい男なのだろうか?もし親切でやってくれているのだったら、失礼極まりない。
疑っていたのは僕達なのだが、顔を見る限り悪い人でもなさそうだった。
「それじゃ、部屋はこっちからだぜ、ついてきな」
彼が背を向け、僕らに道を案内しようとしている。
これで確信がついた。『この人は敵ではない』、と。
背を向けるなどありえないのだ。現に本気を出せばここで、彼は気づかなくて抵抗が出来ないのだから殺してしまうことも簡単にできる。
だから、敵ではない、この人は。
そう思うのが油断というものだ。
だがこれは人間の心理的な問題であり、油断など誰もがするもの。
それに油断していい時だってある。余計に不安な時だってある。
だから見極めるのだ。自分で――
「それじゃあ、バイバイ」
後ろから不意に女の声がした。
反射的に振り向こうとしたところ、背中に猛烈な衝撃が走り、そのまま前へ倒れてしまう。
「…あなた達、やっぱり」
「おっと、バレるのが早かったなぁ…俺達は戒省と想來。二人で手を組んで想來戒省というコンビ名だ」
さっきの男が『戒省』と名乗った時は気が付かなかったが、ようやく今理解出来た。
こいつらは世界的な魔法国際テロリストコンビ、想來戒省の二人だ。
「そういうことか…道理で痛いわけだぜ、背中が」
「あの攻撃を受けても死ななかったの?」
「生憎簡単に死ぬようには出来ていないんでね…」
「人造人間か…魔法で作るなど、そう簡単な事ではない。魔法師として、尊敬に値する」
戒省が慎重な表情、表現で凛さんに言葉を発するが、その言葉を冷静に受け止められる余裕は今の彼女には残っていなかった。
「ならあなたは、何故そんな私を狙うの?見たところ、誰かに命令されてるようだけれど」
「命令されているといえばそうだけど、これは私達が面白いって思ってやってることだからね。あなたに文句を言われる筋合いは無いわ」
「そして命令されたのはお兄さん」
「……ハハハ。どうやらお前はお前の兄と同じで余程頭が切れるようだ…だけどこれで決心がついた。お前は生かさねェ。絶対だ」
「残念だけど、私は兄さんから呪いを掛けられているの。そして今はその呪いがとても強くなっていることから、兄さんがこの近くにいることを予測出来たのよ」
僕は立ち上がって正面の戒省に向かい話す。
「悪いがお前らに邪魔をされている暇はない。凛さん、さっさとやるぞ!」
そう言って僕は想來、凛さんは戒省の方向にそれぞれ体を向ける。
「やっと遊べるのか、お前達とよォ!」
戒省の発言と共に、そこにいた全員が同じ方向に顔を向ける。
なぜなら。
「爆発…!?」
マンションの2階部分が、『爆発』していた。
猛烈な爆発音が響き渡り、僕達は一斉に顔を上に向けたのだ。
見えたのは、空。
天井など存在しない、ただの青空。
つまり、ここのマンションの住人全員、何者かによって命を――
「残念だがこのマンションは、お前らの為に作られたビルだ。だから住人なんていない、もし1階以外にいるやつが居たとすれば――」
それは、お前の兄だ、と。
言う前にもう、僕らはその圧倒的存在感に屈されていた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
女とは思えない咆哮の声。
変わり果てたその姿。
呪いが解けて、解放された身になった――凛さんだった。