第9話
電柱の陰に身を隠し、お目当ての人物へと目を凝らした。
背中をこちらに向けて、歩き去ろうとするその姿は驚くほどに似ていた。だが、私が見ているのはまだ後姿だけなのだ。後姿が似ている人物など山といるだろう。
「あの人が侑大さんなの?」
悠太さんにも目が行ったが、リードの先に愛らしく足を運んでいる犬の姿は私の目をくぎ付けにした。「みどり。どこ見てるの?」
「いや、だって。あの犬半端なく可愛いね」
犬は霊感が強いから、蒼大並びに度々現れる霊たちがいる我が家では到底飼うことのできないペットなのだ。
私自身は犬が大好きなものだから、ついつい目がそちらに向いてしまう。
「確かに可愛いけどね」
「蒼大。そこは違うよ。あの犬も可愛いけど、みどりの方がもっと可愛いよって言うところでしょ」
「そう言ってほしかった? そんなことをここで言ったら、叫び声を上げちゃうんじゃない? 尾行中なのに」
確かに蒼大の言うとおりだ。
おふざけで言ってみたものの、本当に蒼大にそんなことを言われた日には、悶え死んでしまうかもしれない。
「私が悪かったです」
「くくくっ、でも可愛いよ。みどりも」
叫び声を上げそうになった私は、懸命に手でそれを塞いだ。ここで、侑大さんに見つかったら怪しい女以外の何者でもなくなってしまう。会う前から、話す前から警戒されていたのではもともこうもない。
「そっ、それはありがとうございます」
人の気も知らないで、蒼大はケタケタと笑っている。からかわれて憎たらしいが、蒼大の言葉は文句なく嬉しかった。私などではめったに言われない言葉だけに、好きな人に言われるその言葉は喜びもひとしおなのだ。
私たちのやり取りなど気付きもしない侑大さんは、愛犬を連れて公園へと入っていった。
チラチラと窺える侑大さんの横顔は、確かに蒼大とそっくりだ。未だ真正面からのアングルは見えていないが、そうとうそっくりだろうと予測している。
愛犬のリードを放し、走り回るその姿を確認してからベンチに腰かけた。
犬の為に解放されているその広場には、同じように走り回る犬の姿が窺える。
話しかけるならば今しかないのだが、なかなか勇気が湧かない。
助けを求めるように蒼大を見ると、励ますように大きく頷かれた。
仕方なく足を運ぶ。
「あの」
振り向いた侑大さんの顔があんまりに蒼大そのものだったので、私は思わず絶句し、そのあと考えていた言葉を発することが出来なくなった。
唯一相違点を見つけるのなら、年を重ねただろうその瞳の色だろうか。蒼大にはない、社会を懸命に歩いているだろう苦労や悲しみがあった。蒼大の持っている無邪気なだけな瞳ではない。
「何か?」
怪訝な顔で問い返すその表情は、蒼大が決してしないものだったので、違和感があった。
「あのっ、突然申し訳ありません。もしかして、葉月蒼大さんをご存じありませんか?」
一瞬瞳を見開いた後、私を値踏みするように下から上へと視線を運んだ。
最後に私の目を見る。真意を探るようにとも、睨みつけるともとれるその視線に怯みそうになった。けれど、懸命にこらえてその目に応える。
「知ってるけど、何?」
「あなたが侑大さんで間違いないでしょうか?」
「だったら何?」
短気なのか侑大の声が段々と尖ったものへと変わっていく。
「私っ、蒼大に生前伝言を頼まれていましてっ。それを伝えに来ましたっ」
完全に委縮しきった私は、叫ぶようにそう言った。
同じ顔をしていても、蒼大と侑大さんでは全然違うのだと早々に気付かされた。蒼大が声を荒げることはない。出会った頃から一度も。
返事のないことをいいことに、私は自分の言いたいことをさっさと続けた。
「蒼大は生前確かに涼音さんを好きでした。けれど、侑大さんと涼音さんが幸せになることを望んで自分の気持ちは諦める決心をしたんです。それを伝えようとしていましたが、伝えられぬまま命を落としました。二人の道が分かれてしまったのは自分のせいだと今でも後悔しています。どうか、涼音さんと幸せになってください」
早口に捲し立てるように言い募った。ほんのわずかな達成感を感じた。信じる信じないは置いておくにしても、伝えられたことには変わりないのだ。
侑大さんは私の話を聞く間中、頭を下げていたため、どんな表情をしていたのかを窺い知ることは出来なかった。
「お前は誰だっ。俺たちの何を知ってるっ」
突然、立ち上がったかと思うと私の二の腕を強く掴んで喚いた。
「痛っい」
「一体何が目的だっ。あの男の関係者か」
「あのっ男?」
腕は放してもらえず、痛みは続いたままだ。
侑大さんの怒りに満ちた表情に、蒼大に怒鳴られているようで泣きたくなった。蒼大がこんな風に怒ったりしないことは解っていても。
「涼音を奪ったあのいけ好かない男の浮気相手か? 涼音との結婚を壊そうとそんなくだらないことを言っているんだろう」
「そんな人私は知りません。お願いだから放してっ。痛い」
涼音さんとの結婚を邪魔するための嘘だと思っているようだ。私は、涼音さんの婚約者の周りにいるかもしれない女と早々に決めつけられてしまったようだ。
「私は涼音さんのお相手がどんな人か知りません。名前すら知りません。とにかく手を放してください」
「だったら何なんだっ。おかしいだろう? 蒼大が死んでからもう十年になるんだぞ。お前その頃いくつだよ。怪しい奴だな。お前何者だっ。言ってることもおかしかった。お前、蒼大が今も悔やんでいると言っていたんだぞ」
しまった。
侑大の雰囲気に委縮して、ついぽろりと余計なことまで言ってしまった。ただ、涼音さんと幸せになってくれることを望んでいると、そう言うだけでよかったのに。
どうすればいい?
このまま逃げ出してしまおうか。そんなことをすればもう二度と話は聞いてくれないだろう。本当のことを話してみようか。もう既に疑いを持っている人間の話など信じてくれるだろうか。残念なことにその二つの選択肢しか思い浮かばなかった。
「全部お話します。だから、手を放して一度落ち着いてくれませんか。そんな状態で話しても恐らく信じては貰えないと思います」
「嘘は吐くなよ」
「勿論嘘は吐きません。だけど、侑大さんに信じてもらえるかは正直解りません」
渋々のように腕を解放してくれた。
二の腕には掴まれた余韻をじわりじわりと感じた。蒼大が気遣わしげに、申し訳なさそうに私の腕を見る。大丈夫だと頷いて見せるが、蒼大の表情は曇ったままだ。
「まあ、座れ」
ベンチの隣りをトントンと叩いた。促されるように腰を下ろした。
「これからお話しする話は全て真実です。いくら侑大さんが信じられなくても、間違いのない真実です。それだけは解ってください」
そして、ゆっくりと語り始めた。真実を。