第7話
蒼大に未練があるとするならば、それは私の知らない存在だろうか。
そう考え始めたら、そのことが気になって気になって仕方なくなってしまった。こうなるだろうと予期して私はそのことについて敢えて触れないように注意していたのではないか。
思えば、私は蒼大の短い人生について問うたことはなかった。蒼大の実際の年齢を尋ねたことすら最近になってのことだ。
蒼大にはどんなご両親がいて、兄弟はいたのか。そして、大切に想う女性はいたのか。付き合っていたのか、片想いだったのか。
聞きたいことは溢れるようにあるのに、そのどれ一つとして言葉にはならなかった。一つでも口に出してしまったなら、雪崩のように自らの醜い嫉妬も流れ出てしまいそうで怖かったのだ。
「みどり? 最近元気ない?」
悶々と考え続ける私を除きこむ蒼大の目。その目からふいと逸らし、なんでもないと呟く。あなたの過去が気になるんです、とは今更言えない気がした。
納得できていない様子の蒼大ではあったが、そんな私を残し、どこかへ消えてしまった。
未練の元へ行ってしまったのだろうか。
どこまでも暗くなっていく自分の気持ちを持ち上げて、加藤さんの家へとふらりと出かけた。
「この暑さが私を滅入らせているのかもしれない」
茹だる暑さと追い打ちをかけるように四方から聞こえる蝉の鳴き声。出来るだけ日陰を選んで歩いてはいるが、気休めにしかなりそうもない。
元来夏の暑さに滅法弱い私は、近頃食欲も落ちているし夜も眠りが浅い。毎日の暑さでどこに行く気もわいてこない。その中で、加藤さんの家への訪問だけが私の活動なのだ。
「今日は一人か?」
「うん」
加藤さんはふらふらと姿を現した私を招き入れ、特大のグラスに麦茶を出してくれた。
「ん? 今日は?」
加藤さんの一言に疑問を感じた私は、グラス半分ほどの麦茶を豪快に煽ったあと、小さく呟いた。
加藤さんの家に誰かと共に訪れたことはない。蒼大はいたが、人に見える存在ではないはず。
「加藤さん。もしかして……」
「見えとる。お前んとこのじいさんと一緒だ」
ああ、なんてことだろう。
祖父は、それを知っていたから敢えて私を加藤さんの元へ行かせたのだろう。私の理解者を作るために。
でも、疑問に思うのはどうしていままで教えてくれなかったのかということだ。祖父が亡くなってこの十年、年に一度は現れるのだからいつでも教える機会はあったはずなのだ。
「どうして今まで黙っていたんですか?」
「理由などない」
にべもなくそう言われてしまえば、それ以上掘り下げることもできない。
「今年、おじいちゃんには会ったんですね?」
うむ、と頷いた。
その時、祖父に何かしら言われたのかもしれない。蒼大と私を監視してほしいとかそう言った類のことを。
「私と蒼大を監視しろってですか?」
「そうは言っておらん」
「じゃぁ、なんて言ったんですかぁ?」
じろりと睨みつけられ、一瞬怯んだが強い目で睨み返した。
「お前さんとあの坊主を見守ってくれと言われただけだ。別に監視ではない。それから、お前さんが弱っている時は力になってくれとな」
祖父はいつもそうだ。
反対だの、連れ帰るだの口では否定的な言葉ばかり投げてくるものの、最終的には私には甘い。私への気配りをいつもあとから知ることになる。
「ほら、とっとと話せ。今弱っとるのは解ってる」
加藤さんも案外鋭い。体だけじゃなく心も弱っていることを見抜いているのだ。
私はここへ、聞いてもらいに来たのかもしれない。
「そんなもの、さっさと坊主に聞いてみればいい」
「でも、嫉妬とかしたくないんです」
「お前は嫉妬を悪いことだと思っているのか?」
「そりゃ、出来ればない方が良いに決まってます」
「確かに嫉妬は綺麗なもんじゃないかもしれんな。だが、必ずしも悪いものでもないと思うのだがな。嫉妬をすることによってその相手より綺麗になろう、頑張ろうとやる気が湧いてくることだってある。ちょっとした原動力になるんだ。だがな、注意しなければならないのはそれを自分の中に閉じ込めておくことだ。それが思わぬ行動を引き起こす引き金になることがある」
「嫉妬に狂って相手を刺しちゃったりとか?」
「そうだ。それだけじゃない。相手に向かわずに自分へと向かうことだってある。お前さんのように自分を責めて眠れなくなったり食欲不振になったり、しまいには自分自身を傷つけたりな」
それが、自分の身に起こることだとは到底思えなかった。
それらは、ニュースやドラマの中でだけのお話のようにしか思えなかったのだ。
「勿論これらは極端な話だ。必ずしもそうなるとは限らん。お前さんがそうなるとは思えないしな。だが、溜め込むことは良くない。小出し小出しにするんが良いんだ。それともお前さんは一年の期限の間、自分の本心を殺し、偽りだらけの関係を続けるつもりか? そんなら今すぐやめてしまえ」
一年しかない。一年もある。
その間、私は悶々と自分を押し殺して続けることは出来そうにない。自分が嫉妬深い人間だとは思ってもみなかった。こんな私を蒼大は請け入れてくれるだろうか。
「蒼大は私を受け入れてくれるかな?」
「お前さんの想い人はそんな器の小さい男なのか?」
鼻で笑いながら、憎たらしくそう言った。
蒼大は器の小さい男なんかじゃない。私の話をきちんと聞いてくれる。きっと受け入れてくれるはずだ。ほんの少しは怖い。私のこんな感情を煩わしいと思われてしまったらどうしようと思う。
「そんなわけないっ。蒼大はそれはそれは器の大きな男だものっ」
気付いたら立ち上がって、加藤さんに向かって啖呵をきっていた。
「そうか。元気が出たようでなによりだ」
全然動じた様子のない加藤さんは、満足げにグラスを傾けこくりと喉を鳴らした。
加藤さんに発破を掛けられ、少々悔しさを感じるが、年の功に勝てるわけがないとそれらの感情を呑み込み素直に感謝した。
帰りの足取りは心なし軽かったのは言うまでもない。