第6話
老人の朝は早いと良く聞くが、加藤さんの朝はそれに輪をかけて早い。
加藤さんが本当にその時間に起きているのか実際にこの目で見たことはないが、本人の談によると午前3時には起きているということらしい。
一体そんな時間に起きて何をしているんだろう、と私なんかは疑問に思うわけだが、加藤さんには加藤さんなりの時間の過ごし方があるらしい。が、その時間の過ごし方を教えてくれることはなかった。何故かその問いになると頑なに口をつぐんでしまう加藤さんを見て、それ以上の詮索は避けた方が良さそうだと判断した。
「何か言えない秘密でもあるのかな?」
「人それぞれ言いたくないことの一つや二つはあると思うよ」
頭を悩ませていた私を見て笑みを浮かべながら蒼大が言う。
つい先ほど、加藤さんの家を出てきたばかりだ。まだまだ日差しが強い昼日中。加藤さんは朝が早い、よって当然寝るのも早い。4時くらいになると、私を家から追い出してしまうのだ。これから加藤さんは夕食をとって、風呂に入りテレビを見ることもせず就寝するのだ。恐らく6時前には寝ているのだろう。
隔日くらいの頻度で、加藤さんの家へ顔を出すようになった私を、最初こそ渋い顔で接していた加藤さんも、最近ではその表情も軟化してきているように思える。ちょくちょく訪れる私に呆れているような感じではあるが、それでも何だか嬉しいものなのだ。
「蒼大にも言えないことがあるの?」
「あるよ、勿論」
ないよ、という答えが来るとばかり思っていた私は、反射的に蒼大の顔を凝視していた。
「驚くことかな? 誰にだって言えないことはあるよ。例えば俺の場合は、事故の時の話とか。言えないというか、言いたくないとも言えるよね。全てをさらけ出せる人はいないと思うよ」
確かにそうかもしれない。その秘密の大小に関わらず、言えないことの一つや二つは私にだってもっている。私の場合は、本当にくだらない過去の失敗談ばかりだけれど。
「そうだよね、ごめん」
「どうして謝るの?」
「だって……」
「事故のことを思い出させたと思っているんだね? 確かに思い出したい過去ではないけど、もう十年がたっているから恐怖はないんだよ」
蒼大は優しい。もとからそういう性格だったのか、死んでから優しくなったのかは解らない。それでも、蒼大は出会った頃から優しかった。
「どうして一人で泣いてるの?」
深い深い悲しみの中で、その苦しみから解放されるためには涙を流すほかに方法が思いつかなかった私は、家族に心配させるのがイヤで庭の隅で小さく団子になって泣いていた。
私がまだ6歳の頃だ。
その日、死んでしまった祖父の魂がこの世を去る姿を一人で見送った。家の中では、葬式が執り行われていた。設えた祭壇の中央にある笑顔の祖父の写真をみんなが見つめ、涙していた時、私だけが天井を見ていた。その写真と同じような笑顔で手を振っている祖父を一人で見送ることは、幼い私にとっては苦しい出来事だった。
それまで、祖父だけが本当の意味で自分を解ってくれていると自他ともに認めていた。心のよりどころであった祖父が去ってしまったことが、悲しくてしかたなかった。だから、こっそりとその場から抜け出したのだ。みんな自分の悲しみに忙しいのか、誰も抜け出した私に気付かないようだった。それとも、私を気遣ってみて見ぬふりをしてくれたのかもしれない。
「お兄さんは誰?」
「誰だろうね? 君があんまり悲しそうに泣いているから、心配になって来たんだよ」
優しい笑顔の印象的なそのお兄さんが、蒼大だったのだ。同じ日に亡くなった蒼大と祖父は、恐らく同じ日に葬式が執り行われていた筈だ。そして、本当なら祖父と共に成仏しなければならなかったのだ。
あの時は、来てくれたお兄さんの存在が嬉しくて、難しいことを考えることが出来る歳でもなくて、ましてや蒼大が幽霊だと考えてもみなかった。だから気付かなかった。気付けなかった。
蒼大はあの時、私が泣いている声が心配になって来たのだと言った。それはつまり、成仏する機会を私の泣き声が邪魔をしてしまったのではないか。私が蒼大をこの世に引き留めてしまったのだ。
蒼大はずっと私の傍にいてくれた。あの日からずっと。
こう考えたこともあった。成仏できなかった原因を作った私を憎んでここにいるのではないかと。その優しさは憎しみの裏返しなのではないかと。
「蒼大は私が憎い?」
そう聞いたのはまだまだ私が幼さの残る頃だったと思う。突然の問いかけに驚いた様子の蒼大に、そう思った経緯を一生懸命に語った。
「バカだなぁ、みどりは。確かにあの時、みどりの泣き声に吸い寄せられるように導かれたけど、それがなくてもどっちみち俺は成仏できなかったと思うんだ。俺には未練があったからね」
昔の記憶とともに思い出した蒼大の言葉にハッとした。
あの後私は憎まれていないことに喜んで、蒼大の未練がなんであったのか聞いていない。
蒼大がさっき口にした『言えないこと』とは、それなのではないだろうか。蒼大がこの世に残らねばと感じるほどの未練があったのだ。そして、今もなおこの世に留まっていることから、未練は未だ残っているということになる。
未練があるのなら解消してあげたい。けれど、その未練が解消されたら蒼大はもうこの世にはとどまらないと思うとそのことを突っ込んで聞く気にもならなかった。
蒼大は時折スッといなくなることがある。恐らく誰かの様子を見に行っているんだろうと思う。家族だろうか、友達だろうか、それとも恋人……。
17歳の蒼大に恋人がいなかった保証はない。
無性に胸が苦しくなった。私の知らない、生きていた蒼大と想い合い、触れあった誰かがいるのかもしれない。それは、可能性にしか過ぎない。だが、それを想像するだけで胸は痛んだ。
名前も顔も知らない、存在するかしないかも定かではない存在に、私は醜い嫉妬をした。