第4話
朝起きて、階下に降りると祖父がソファにどかりと座っていた。
夏休みで日付や曜日の感覚が麻痺していた私は、カレンダーを見て盆が来たことをしる。
祖父の隣には父が座っているが、祖父がいることには全く気付いていない。
テレビ見てあんなに爆笑しているのに。
「お父さん。今年もおじいちゃんは元気に隣りに座ってるよ」
「おお、そうか。父さん、久しぶり。元気そうで何よりだよ」
「うん。お父さん、おじいちゃんは反対側にいるよ」
祖父と私が昔から幽霊を感じることが出来ることを知っている両親は、その見えない存在に慣れているのか物怖じしない。
外、主に学校ではそういったことは決して口には出さないが、家では自由に発言している。これで家族の理解がなかったら、私はどんな子供時代を送ったことだろうと末恐ろしくなることがある。話しに聞くところによると、祖父は大分苦労して子供時代を過ごしたらしい。
「みどり、元気だったか?」
「うん、元気だよ」
「そりゃ、良かった。あいつは相変わらずお前の周りをうろついているのか?」
祖父の言うあいつとは蒼大のことである。
「ああ、うん。そうだね。それでね、おじいちゃんと少し話したいことがあるんだけど」
「おお、そうか。話してみろ」
「いや、後でいいや」
父は蒼大が私の近くにいることは承知しているが、私の想いであるとか蒼大の想い、そして二人の今の関係などは話していない。
父がいるこの空間でその話をするのは、遠慮したい。霊感はないが、勘の鋭い父であるからして私と祖父の会話を聞けば完全に見抜かれてしまうだろう。
両親が部屋に引き上げた夜の時間に話すのが良いだろう。
「それで、なんだ話というのは」
「私と蒼大のこと。どうせすぐにばれることだから先に言っておくよ。私と蒼大は付き合ってるから。だから、もう蒼大を連れ戻そうとかしないで」
縁側の特等席、今夜も月がきれいだ。我が家のささやかな庭にも、昔は蛍が飛んでいたと前に祖父が話してくれた。今はその姿は見えないけれど、母がせっせと手入れをしている庭は風情があっていい。
私の隣りに胡坐をかき、腕を組んで庭を睨みつけている祖父の口から唸り声が漏れる。
「やはり連れて行かねばなるまいよ。お前たちがそういう関係になってしまったのなら尚更な」
祖父が言うだろう言葉は、予期していたことだ。解り切っていた。それでも、実際に耳にするとショックは大きいものだ。大好きで尊敬する祖父だからこそ、私を励まし続けてくれた祖父だからこそ、私の一番の理解者である祖父だからこそ、その言葉の影響力は大きい。
「どうして?」
「解っているだろう? 俺にも惚れた霊の一人や二人おったもんだ。だが、惚れれば惚れるほど苦しいことをイヤというほど感じてきた。可愛い孫にそんな苦しさを感じさせたくはない。お前があいつに惚れるまでに連れて行こうと思っていたんだがな。手遅れだったか」
今日は蒼大の姿はない。祖父と二人きりで話をするため外してもらったのだ。今頃どこで漂っているのだろうか。
「ならおじいちゃんにも解るでしょう? 傷ついても一緒にいたいって気持ち。いつか離れなきゃならないって思っていても、せめてその時が来るまではって思う気持ち」
「解るさ。解るんだよ、みどり。その苦しさはな、お前が今想像しているよりももっと大きなものになるだろうよ」
祖父の私を想う気持ちが言葉以上に染み込んでくる。魂に直接呼びかけられているような気がした。そして、恐らくその通りなのだろう。本当に伝えたいと思った時、祖父はいつもこんな風に話しかけてくるのだ。
私の薄っぺらい言葉じゃ祖父を納得させることは到底出来ない。
「おじいちゃんの言ってること解るよ。だからね、蒼大と二人で一杯話したんだ。これ以上、見て見ぬふりは出来ないものね。それでね、私たちに一年だけ一緒にいる時間を欲しいの。来年のお盆が来て、おじいちゃんが帰る時に一緒に蒼大も行くから、だからあと一年だけ一緒にいさせて。お願い、おじいちゃん」
蒼大とえくぼが私を介して言葉を交わしたあの日から、お盆に入るまでの約二週間、私たちは毎日夜遅くまでそのことについて語り合った。祖父が考えていることが私たちには痛いほど解っていたし、自分たちの想いをまた無視は出来ず中々考えはまとまらなかった。
始めにあと一年の期間を待ってもらおうと言い出したのは蒼大だった。そう言われた時は、カッとなって怒鳴り散らしてしまったけど、頭が冷静になるにつれ、正常な判断が出来るようになった。私たちの終わりをいつかいつかと怯えながら待つよりは、きっちりと線が引かれている方が楽なのかもしれない。今はまだ別れる心づもりは出来ていないけれど、この一年間後悔が残らないように過ごし、少しずつ心を納得させていくことが出来るかもしれない。
苦しいけれど、私たちにはその方が良いように思えた。
「それがお前たちが自ら出した答えならばそれに従おう。辛いだろうな、みどり」
堪え切れずに流れた涙がぽたりぽたりと膝の上に落ちた。堪えようとすればするほど、無情にも涙は零れ落ちて行った。
その結論にどんなに納得したつもりでいても、心は追いついてはくれない。一年後に迎えるであろう別れを思うと胸が締め付けられるほどに苦しい。
「おじいちゃん。私、蒼大とお別れしたらもう二度と誰かを好きになったりしない」
「まだお前は若い。お前があいつをどれだけ好きなのかは見ていれば解る。だがな、人生はおそろしいほど長いんだ。あいつのことを忘れることは出来ないだろうが、誰かを好きになることを止めては駄目だ。無理に誰かを好きになれと言っているわけじゃないぞ。時がたって心のゆとりが出来たら、その隙間にそっと入ってきてくれる男が現れるはずだ。その時は、拒んではいけないよ。自分の気持ちに嘘はついては駄目だ。いいな?」
そんな未来が来るとは到底思えなかったが、頷くほかなかった。少しでも祖父を安心させるために。
蒼大以外の誰かと笑い合う未来など欲しくなかった。