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第15話

 妙に悲しくなった。

 写真など見なければ良かったのかもしれない。涼音さんという存在を知った時から、アルバムを見るには覚悟が必要なのだと気付いているはずだったのに。

 あんまりにも多すぎる三人で撮られた写真。写真でしかないのに、そこに物語が隠されているかのように三人の状況や感情が読み取れてしまう。双子の兄弟にとって涼音さんは、特別すぎるほどに特別で、恐らく当時の二人にとってそれ以外の存在はあってないようなものだったのだろう。二人にとって、世界は涼音さんだけの為に回っていると公言しても憚らないような気さえする。

 重すぎる好意と執着、それを一身に受けながらもその穏やかな笑顔は崩れることはなく、その二人の想いを受け止めるだけの度量を有しているように見える。それでも、ある時期を越えた写真には、二人にではなく、その想いは片方へと注がれるようになった。

 恐らくそれは中学生の頃。涼音さんは何らかのきっかけで自分の唯一の存在が、蒼大ではなく侑大さんであることを察したのだ。分け隔てなく寄せられていた好意が一方に偏った。その結果、三人のバランスが微妙にずれて行ったことがわかる。

 近しい関係の三角関係は、それぞれが失うことを恐れ長期化する。好意と好敵手への気兼ねが現れているその表情には、急に大人びたものを感じた。

 恋を知って、現実を知って、恐怖を、駆け引きを、諦めを知ったのだろう。

 当たり前のことだが、そこに私はいない。私だけを見てくれる蒼大はいない。蒼大の生きた世界に私はいないのだ。

 その事実が苦しく痛かった。

 どうして写真を見てしまったんだろう。

 どうしてここに来てしまったんだろう。

 幼い頃の蒼大の写真が欲しいと思った。それは紛れもない事実だ。でも、今は違う。蒼大の写真を欲しいとは思えない。

 誰かを想って笑っている蒼大の写真を手にしても、それは痛いだけだ。その写真を見て笑える私はいない。

「みどりさん。大丈夫?」

 そう問いかけられ、我に返った。リズムよく捲られていたアルバムが今は、中学生のところで止まっていた。

 今の蒼大よりも少し幼い姿が写っている。青春真っ盛りの輝かしい笑顔が写っている。

 私が知っている笑顔とは違う。

「大丈夫です」

「はい。これを使って」

 ティッシュの箱を渡され、首を傾げると、蒼大母は自分の目元を指で示した。

 自らの目元に触れると、泣いていたことに気付かされた。

 なんて恥ずかしいんだろう。こんなところで涙を流してしまうなんて。

 さっき加藤さんの家で涙を流したばかりなのに。私はこんなに泣き虫だっただろうか。

「ありがとうございます。すみません」

「いいのよ。それだけ、蒼大の死を悲しんでくれているのね。私もまだ信じられないの。もう十年もたっているのにね。まだひょっこり玄関からただいまって帰ってくるんじゃないかと思えてならないの。だって、体の弱い私より先に死んでしまうなんて」

 うっ、と手を口元に運ぶと声を殺して泣き出してしまった。

 蒼大母は未だに蒼大の死を受け入れられないでいるのだ。そんな彼女の前で、アルバムを広げてしまうなんて私はなんて無神経なんだろう。

 もう十年もたった。

 当事者には年数なんて関係のない話なのだ。最愛の息子を亡くした痛みに比べて、私の嫉妬はなんてくだらないんだろう。私の涙など、彼女の苦しみを考えたら可愛いものだ。

 自分はなにをそんなに感傷的になっていたのだろう。過去のない人なんていないのだから。誰かを好きになったことがない人なんて、ごく僅かな数しかいないのだから。大抵の人はたくさんの恋をして、たくさんの失敗をしているのだから。過去に嫉妬して何が楽しいのだ。その感情は負しか産みださない。ならば、もう考えるのは止めよう。

 今の蒼大は、涼音さんに恋したからいるんだから。涼音さんに恋をしていなかった蒼大はもっとつまらない男だったかもしれない。私の目にも留まらなかったかもしれない。涼音さんがいたから私たちは恋に落ちることが出来たんだ。そう思うことにしよう。そう思えなくても、何度もそうなんだと思い続けていればそれが真実になる日は来る。

 悲しみにくれたヒロインじみた考えは頭の中から消してしまおう。それは、今の私には難しいかもしれない。本当の恋を始めたばかりの私には。けれど、それが大人になるための試練ならば甘んじて受けなければならないだろう。

「お母さん。私、蒼大が大好きなんです。本当に本当に大好きなんです。蒼大を産んでくれてありがとうございます」

 私は蒼大母の隣りに座るとそう言って、その細い背中を撫でた。その途端、堪り兼ねたように私に縋りつくように泣き始めた。

 地を這うような激しい泣き声が、部屋中に木霊した。蒼大母は内に貯めてきた悲しみを消化しようとするかのように泣きに泣いた。その涙に誘われるように私の涙も止まらなくなった。

 蒼大母が時折語るその苦しみを私は全て受け止める。一人で部屋にいることがどんなに辛かったか、蒼大とそっくりな侑大さんを見ることがどんなに苦しかったか、いつまでも埋まることのない喪失感、思い通りにならない体の不調。悲しみによる体の不調、体の不調から生じる負の感情。

 蒼大母には弱音を吐ける場所がなかったのだ。私にはあったそれが、彼女にはなかった。私で勤まるのなら私はその捌け口になろうと思う。

 蒼大母の本当の笑顔が見れるのなら。きっと蒼大もそれを望んでいるだろうと思えた。

「うっわ。これ、どういう状態だよ」

 少しずつ明るさを失いつつあった部屋の中に、突如現れた強い光と呆れたような驚いたような声。顔を上げるとスーツ姿の侑大さんが、困った顔で私たちを見ていた。

「ひっでぇ顔」

 お母さんにというよりも私に向けた言葉だったのだろうと思う。明らかに目線がこちらに向いているのだから、間違いなくそうなのだろう。

 侑大さんの帰宅によって、私たちは無理矢理現実に戻されたのだ。何時間も泣きつづけたせいか頭がぼんやりとしていた。

 だが、私たちには同じ時を共有した一体感とすべて出し切ったという清々しさがあった。蒼大母も同じように感じてくれているのだと、その穏やかな笑顔が語っている。

 ああ、私はこの笑顔が見たかったのだ。蒼大と同じその笑顔が。

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