第13話
夢を見た。
夢の中で私は、蒼大とデートをしていた。
場所は私がお気に入りの日本庭園で、池の周りをゆっくりと歩調を合わせて並んで歩いていた。普段と唯一違うのは、私以外の人間にも蒼大が人として認識されているようだったことだ。
「あら、お似合いのお二人ね」
などと、上品な雰囲気の老夫婦が微笑みながら言い合っている。
私は、これほどにないほど幸せで、蒼大と顔を見合わせて照れた笑みを浮かべていた。蒼大が差し伸べた手を何の疑いもなく握る。夢の中の私はきっと、蒼大に触れることが出来ないことなど知らないように自然と触れていた。
夢の中では、蒼大は幽霊ではないのだ。私と同じ生身の人間。
けれど、私の家の前まで送ってくれた蒼大が背中を見せた途端、大きな不安が押し寄せた。その背中を追いかけ、呼びかけ、そして手を触れた。その瞬間、私の手は空を切った。蒼大だったものが塵のように四方に霧散して実態を失くした。
呆然と自らの手を見つめる私は、思い出したかのように蒼大の名を呼んだ。
何度も、何度も。
夢見の悪さにぐったりとした私は、朝も早いうちから加藤さんの家へ向かった。
起きてからどうにも気持ちが上がらない私を気遣わしげに蒼大が窺っているが、今日は怖くて蒼大を見ることが出来ない。
私が蒼大を見た途端に消えてなくなってしまいそうな気がして怖かった。
「おはようございます、加藤さん」
「おう。何だ、どうしたんだそんなにしょぼくれちまって」
「ちょっと夢見が悪かったもので」
加藤さんは生返事のような覇気のない唸り声を上げ、そのまま台所へと消えた。再び戻ってきた加藤さんの手には盆に乗った麦茶とおまんじゅうがあった。
朝食を抜いてきた私には、ちょっとしたお菓子が嬉しい。
「ありがとうございます」
遠慮なく頂く。加藤さんが出してくれる茶菓子はどれもおいしい。今まで私は和菓子が苦手だと思ってきたが、加藤さんが出してくれる和菓子についてはついつい手が伸びてしまうほどなのだ。
「おい、若造。ちょいと席を外せ」
蒼大を蝿を追い払うような仕草で追い出した。蒼大は従順にそれに応じた。
夢の内容を根こそぎ喋らされ、再び思い出した私は不覚にも涙が出そうになった。
「あの若造は、もう一年もしないうちに消えちまうんだぞ。それは変えられないことだろう。今からこんなことでどうするよ。楽しい思い出一つつくれやしねぇ。あいつとの一年を無駄に過ごすのか?」
「無駄に過ごすつもりなんかないけど……」
「一年、めそめそして過ごすんじゃあいつもおちおち成仏できないだろ。あいつのことを思うなら、どんな時でも笑顔ってぐらいの気持ちがねけりゃな」
「そうだよね」
どんな時でも笑顔。それが一番理想的なんだろうけど、それが一番難しいことを私は知っている。
祖父が亡くなった頃、丁度蒼大と出会った頃になるわけだが、そのショックで私はしばらく家族に対して笑顔をつくろうことが出来なくなった。蒼大がいてくれたお蔭で、その期間は短いもので済んだが、家族にとってはとても長いものに感じたと後に聞かされた。小さな子供から笑顔が消えた。家族にとっては、肉親の死と重なって痛い日々だっただろう。
あの時、私だけでも笑えていたら、家族はもう少し楽になれていたのではないかと思う。だが如何せん、子供の悲しみを押し殺すことは出来ない芸当だったのだ。
私ももう子供じゃない。感情を殺して笑顔を作ることは可能だろう。一つでも多くの笑顔を蒼大に見せてあげれば喜んでくれるだろう。
「泣きたくなったら、ここで泣け。泣いたら今度は思いっきり笑え」
その言葉で私の涙腺は壊れてしまった。泣く場所を与えてくれた加藤さんに感謝した。祖父がいたら、祖父がその大役を任されていただろう。祖父不在の今、祖父の友人がその任を受け取ってくれた。自分の孫でも何でもないのに。
加藤さんは、お昼にそうめんをゆでてくれた。うちとは違う加藤さんのつゆは、ほんのり甘くておいしかった。
泣くか笑うか食うかどれかにしろ、と苦笑いしながらそうめんを啜る加藤さん。そんな加藤さんを見て、失われた祖父を取り戻したような錯覚にとらわれた。祖父と加藤さんは全くの別人なのにどことなく似ているところがある。それは、共通した能力を持っているからか、友人として長い月日をともにしたからかは定かではない。
珍しくも手厚い施しを加藤さんから受けた私は、その足で蒼大の実家へと向かっていた。
加藤さんに追い出されてから、蒼大がどこをほっつき歩いているかは知らないが、恐らくそこではないかと思ったのだ。そこでなくても、そのうちひょっこりと現れるのは解っていたが、いなくとも蒼大の写真を見せてくれると約束したのだから訪れてもいいのだろうと思えたのだ。
私は失念していた。
今日は学生にとっては夏休み期間であったとしても、盆を過ぎたのだから会社員は勤めに出ている平日なのだということを。
ドアのチャイムを鳴らし、現れた痩せ細った女性が出てきたときには、不審者と思われるくらいに動揺してしまった。
「どなた?」
「いえ、あの、私は、えと、天森みどりと申しましてっ。蒼大っ、あっ、蒼大さんの知り合いだったものでして」
自分でもおかしいと思いながらも、大袈裟に手振りを咥えながらそれだけ口に出した。
「まあ」
「あの、先日侑大さんにもお会いして、その時に蒼大さんの写真を見せてくれると約束していたもので。すみません。突然お邪魔してしまって。侑大さんは……」
「仕事に出てるのよ」
「……ですよねぇ」
この時初めて侑大さんが勤め人であることに思い至り、さらには平日であることに気付かされたのである。
「すみません、出直してきますっ」
と、私が言ったのと、
「さあ、上がって」
と、お母様が言ったのはほぼ同時であった。
「え?」
もうすでに踵を返していた私は、頭だけをお母様へと向けた。そこには、蒼大とそっくりな柔らかな笑顔があった。
対応に戸惑っている私の腕を引き、半ば強引に中へと引きこまれる。
細い体にどこにこんな力があったのか、私はそんなことをぼんやり考えていた。




