第11話
この近辺に住む人間が式を挙げる時はここ、と言われている地元では知る人がいない大きなホテルの中を走っていた。目の前には、シャツに薄らと汗が滲んでいる侑大さんの背中がある。
侑大さんの飼い犬は、ここに来る途中で偶然通りがかった加藤さんに押し付けてきてしまった。あとで、謝りにいかなければならないだろう。
「おばさんっ」
顔見知りを発見したのか侑大さんの足がさらに速度を増した。散々走らされた私は、もう勝手にして、と足を弛めた。ここまでくれば、あとは私がついていく必要もないだろうと、ロビーで休もうと踵を返した。
「お前も来いっ。どこに行くつもりだ」
鋭い怒声に、びくりと肩が震えた。仕方なくおばさんと呼ばれた着物姿の女性と侑大の元に引き返した。
「おばさん。涼音に会わせてくれませんか」
「まぁ、侑ちゃん。来てくれたのね。ええ、是非会って行って。あなたが出席できないと聞いて、あの子本当に落ち込んでいたのよ」
私の隣りで蒼大が、その女性が涼音さんのお母さんだと耳打ちしてくれた。
恐らく涼音さんは文句なく美人なのだろう。母親であるこの女性も、熟成された美しさがあった。
「すみません。俺、こんな恰好じゃ出席は出来ません。ただ、涼音の晴れ姿だけでもと思って」
「さぁ、どうぞ。そちら、侑ちゃんのお友達?」
「はい。厳密に言えば、蒼大の友人だった子ですが、是非彼女も涼音に会わせてやりたいんですが良いでしょうか?」
「あら、蒼ちゃんの? こんなに可愛らしいお友達がいたなんて」
お上品な涼音さんのお母さんは、それでも私を値踏みするように眺めていた。それが嫌味に感じないところが素晴らしい。
「この度はおめでとうございます。突然お邪魔しましてすみません」
「いいのよ。二人ともどうぞ」
涼音さんのお母さんに連れられて一つの部屋の前で足を止める。
お母さんのノックに室内から、綺麗な美しい声が返ってきた。
「さあ、どうぞ。私は席を外しているわね」
「ありがとうございます」
そう言って侑大さんは、ゆっくりと部屋の中へと入っていった。
私なんかが同席してしまっていいものだろうか、と戸惑っていると侑大さんが一瞬こちらを振り向き入るように促した。逃げることも出来ずに足を踏み入れた。
出来ることなら会いたくなかったかもしれない。蒼大が生前想いを寄せていた女性だ。その女性は、想像しただけでも美しいに違いないのだ。
「侑大っ。来てくれたのね」
少し高い綺麗な声が弾んだように侑大へと向けられた。
「ああ、涼音の晴れ姿を見に来たよ」
想像していたとおり、イヤ、それ以上に涼音さんは美しかった。ウェディングドレスを着ているからというだけでなく、その存在自体が美しい。ウェディングドレスの美しさに負けていない。こんなこといいたくないけれど、お姫様みたいだ。
「嬉しい。侑大に見てほしかったの。あら? その方は?」
「ああ、蒼大の友人だよ。蒼大に代わって涼音の姿を見たいって言うから連れてきた」
「そうなの? こんなに若いお友達がいたなんて知らなかった。初めまして。今日は来てくれてありがとう」
「初めまして。天森みどりと申します。涼音さんのことは蒼大から聞いていたので、お会いできて嬉しいです」
突っ込んだような前のめりの挨拶をする私を、鈴のようなコロコロとした可愛らしい笑顔で見つめている。
「蒼大にもお祝いしてほしかったな」
ぽそりと涼音さんが零した。華やかな笑顔がその一瞬だけ小さく歪んだ。
「蒼大がっ。綺麗だって、おめでとうって、幸せになってって言ってます。いえっ、言ってると思います」
現に蒼大は私の隣りで、そう言っている。
その穏やかな笑顔に私は小さな嫉妬を覚えたが、懸命にそれに気付かないように仕舞い込んだ。
「ありがとう」
「……では、私はこれで。二人でつもるお話もあると思いますので」
逃げ出そうとした私の腕を、がっしりと掴んだ侑大さんはそのまま涼音さんに向かい合った。どこまでも私を逃がすつもりはないようだ。
私なんかがいていい場面じゃないはずだ。だって、侑大さんは長年の想いを涼音さんに伝えに来ているんだから。
「涼音。後悔したくないから言っておくな。俺、お前のことずっと好きだったよ」
私は背中を向けてしまっているので、二人の様子は見えない。涼音さんがどんな表情をしているのか、気になるところだが、見てはいけないのだ。
「私も。ずっとずっと侑大が大好きだった」
これは、両想いではないですか。もしかして、このままかけおちとなるのでしょうか。
「だから、幸せになれよ」
俺について来い、と言うんだとばかり思っていた私は思わず振り向いて侑大さんを凝視した。
二人とも笑っていた。そこに辛い別れを感じさせるものはなかった。
「勿論。私はこれからうんと幸せになるの。侑大も、幸せにしてあげたいって思える女の子を探してね」
「そうする。式に出席出来なくて悪かったな」
「いいの。来てくれただけで嬉しいから」
「じゃあ、俺たち行くな」
驚いている私をよそに二人の会話は、流れて行った。
侑大さんが腕を引っ張ったので、私は漸く我に返った。ぼんやりと行く末を見守っていた私は、引きづらながらどうにか会釈をした。
涼音さんが笑顔で手を振ってくれていた。
「良かったんですか? 俺について来いって言わなくて」
「馬鹿か。俺は元々そんなことを言いに行ったわけじゃない。好きだったって言いたかっただけだ」
「やせ我慢しちゃって。本当は連れて行きたかったくせに」
ホテルを出て、ずんずんと歩く侑大さんに引っ張られてもといた公園まで来ていた。そこでようやく解放された私は、ベンチにどかりと身を投げ出した侑大さんの隣りに座った。
「やせ我慢じゃないぞ。本当に幸せになってほしいと思った。だけど、幸せにするのは俺じゃないんだよ」
「泣いてもいいですよ? 誰にも言いませんから」
幸いにも公園の中には誰もいなかった。声を上げても周りに感づかれることはないだろう。
「馬鹿か」
そう呟いて、顔を両腕で隠してしまった。
侑大さんが声を殺して泣いている。私はその隣でじっと芝生を見ていた。




