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第10話

 私が全てを話し終え、びくびくしながら侑大さんを窺うと、彼は難しい顔で考え込んでしまった。

 一人思考に耽る侑大さんをついつい観察してしまう。

 本当に蒼大とそっくりだ。蒼大より年を重ねた分、少年っぽさが完全に消え去っている。蒼大よりも感情の表現の全てがすぐ顔に出るようだ。いつも微笑んでいるイメージのある蒼大に比べて、侑大さんは今のところ負の感情しか表していない。話題が話題なだけにそうなってしまっているのかもしれない。先ほど、飼い犬に向けていた笑顔は、見ているこちらさえもつい笑顔を浮かべてしまうような魅力的なものだった。

 怪しげな人物と思われている私にそんな笑顔を向けるとは到底思えないが、いつかその笑顔が正面から見たいと思った。それは、恐らく蒼大の閉ざされた未来の笑顔だと思えるから。

「お前、本当に蒼大と話せるのか?」

「はい。話せます」

 私が侑大さんを遠慮なく観察していたことに否がおうにも気付いていただろうが、そのことには触れなかった。

「蒼大は……ここにいるのか?」

 私は、侑大さんとは反対側の隣りに座る蒼大を見た。蒼大はにっこりと微笑むと頷いた。

「私の隣りにいますよ。信じられないなら、蒼大だけが知っている侑大さんのことを聞いてみましょうか」

「ああ」

 蒼大に顔を向け、嬉々として昔のことを語る彼の言葉に思わず笑ってしまった。

「小学校の二年生の夏、親戚のおじさんに聞いた怪談があんまりに怖くて、その夜二人はおねしょをしてしまった。同じ布団で並んで寝ていた二人の布団は、まるでブラジャーのようなシミをしていたので、近所の子供たちにその夏中ずっとからかわれた。でも、本当はおねしょをしたのは、侑大さんだけで。一夜に二回もおねしょをしてしまったんです。夜中に目覚めて、やってしまったと思った侑大さんは、それを蒼大のせいにするために寝ている蒼大を自分の寝ていた方へと移動させて寝たんです。けれど、目覚めた時には自分のおしりのしたも濡れてた。その事実をずっと蒼大には黙っていましたよね? でも、蒼大は知っていたんです。夜中に動かされた時に目は覚めてしまっていたんですね。寝たふりしてたんですよ」

 侑大さんの顔が見る間に赤く染まっていく。

 蒼大がテレる時は感覚として解るが、実際に頬の色が変わるわけではない。だから、そんな侑大さんの反応がすごく新鮮に思えた。

「あいつっ、知ってて黙ってたのか」

「蒼大はお兄ちゃん思いだったんですね。侑大さんの失敗を肩代わりしようとしたんです。だけど、まさか一夜に二回もおねしょをするとは思わなかったんですね」

 そこまで言い切ると堪えていた笑いが噴出してしまった。蒼大も蒼大で案外えげつない。侑大さんの秘密を話すにしても、もっと可愛らしいものがあったのではないか。

 私が爆笑のあまり涙を流している頃、侑大さんは恐らく羞恥に耐えていたのだろう。

 私が漸く笑いを治めて侑大さんを見ると、鋭い睨みに怯んだほどだった。

「あの、すみません。だって、つい」

「もういいっ。お前が霊感のある奴だということは認める。今話したことはもう忘れろ、いいな?」

「はい」

 凄みを効かせた低い声に、反射的に立派な返事が出た。

「それで、あいつは、蒼大は成仏できずにずっとお前の傍にいるんだな?」

「はい。そうです。私が泣いている時はいつも傍にいてくれたんです。優しいお兄さんでした」

「あいつは本当に俺と涼音が幸せになればいいと言っているのか?」

「言ってますよ。自分が死んだせいで、二人の道が分かれてしまったことを申し訳なく思っています。自分が生きていて、侑大さんの背中を押していたら、今頃二人は結婚していたはずなのにって。初対面でこんなこというのもなんなんですけど、侑大さん、まだ涼音さんのことが好きなんですよね? 本当に違う人と結婚させてしまっていいんですか?」

 侑大さんは腕を組んで、顔を空に向けて目を閉じてしまった。

 何かを考えているのか、暫らく口を開かなかった。

 私が再び口を開こうとすると、反対側の蒼大がそれを止めた。

 どうして、と目だけでそう聞くと、蒼大はにこりと微笑んだ。

『今、侑大は考えているんだ。考えているっていうか、自分の気持ちに折り合いをつけているっていうのかな。自分の覚悟がどれだけあるか自分自身に問いかけてるというのかな。これは、自分だけの問題じゃないでしょ? もう、涼音には婚約者がいる身なんだ。もしこの結婚がダメになれば色んな人に迷惑をかけることになる。涼音は婚約者を裏切ることになるかもしれない。そういったこと全部侑大は背負わなきゃならなくなるんだよ。だから今は、そっとしてあげて』

 もっと早くに私が蒼大の未練について突っ込んでいれば。もっと早くに私が侑大さんに蒼大の伝言を伝えられていれば。もっと早く……。

 自分の不甲斐なさが目の前の侑大さんが苦しんでいる要因なのだと思うと苦しくなった。

 私が蒼大の過去に目をつぶっていたばっかりに、こんなぎりぎりのタイミングになってしまった。あと何年か早く侑大さんに会っていたならば、何のしがらみもない状態で涼音さんに向かい合えていたかもしれないのに。

 泣きそうになって、歯を食いしばった。

『みどりが気に病むことはないんだよ。みどりのおかげで侑大に気持ちを伝えられているんだから。俺は心から感謝しているよ』

 蒼大の笑顔が余計に痛い。

 どうしてそんなに優しいんだろう。もっと傲慢に、私を動かすことは出来ただろうに。気になることを調べるように、あれをしてくれ、これをしてくれ、と。私は蒼大が望むことならきっとかなえただろうに。

 きっとそれでも、蒼大から私にそのようなことを頼むことはなかっただろう。

「よしっ。お前、行くぞっ」

「えっ、行くってどこへ?」

「決まってるだろう、結婚式場だ。今なら、式前の控室であいつに会えるだろう」

「ちょっと待ってください。犬はどうするんですかっ」

 足早に行ってしまった侑大さんの座っていたところにはリードが残されていた。仕方なく私は、犬を呼び寄せた。名前を知らない犬を呼び寄せるのは、至難の業だったが。

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