短い幸せ
遊園地そのものに憧れを感じる事は絶対に無いと断言できる。それほどまでに遊園地でのトラウマは、僕の心に深く突き刺さったままだった。
まずトラウマを気にしていたら、アトラクションを一つも楽しむ事ができないだろう。
そんな確信と共に、遊園地の入り口であるトンネル状の入り口を彼女とくぐる。途中で、チケットを係員に渡すと、良い一日を♪そう言われた。
何が良い一日を、だ。僕にとって良い日なんて二度と訪れないのだ。
トンネルを抜け、再び日差しが照りつける。
夏休みが終わってもう一ヶ月経つのにまだ夏が愚図っているのか、今日はそこそこ暑かった。
「まずは、なに乗る?」
僕の横で暑そうな長い黒髪を一つに束ねて結びポニーテールに、涼しげな水色のワンピースを身に纏い、可愛らしいサンダルが彼女の小さな足を地面に散らばる危険から守っていた。
これで今日、何回目だろうか?彼女に見とれてしまったのは・・・。頭の中で指折り数え四回目だと答えが出た。
今すぐ抱きしめたいと言うのが本音だが、手すら繋ぐのも躊躇っている僕には、死ぬまで無理かもしれない、そんな気がした。
「まずは、なに乗る?」
彼女の、その言葉に二度目でやっと反応できた。
「う、うん、えっと・・・どうしようか?」
返答は出来なかった。反応が限界だった。
そもそも彼女の小さな手や成長途中の小さな胸、それに彼女の身体を支える小さな足に目がいって、思考なんてとっくの昔に停止していた。
「じゃあ、ジェットコースターで!良いよね?」
僕は何も考えずに頷いた。
彼女は走ることなく僕の少し前を歩いている。
時々振り返って僕がちゃんと付いてきていることを確認する姿は可愛く映った。
1
学校を十日も連続で休んだ。
それは学校でも、家でも同じ反応を見せた。
「なんで学校に行かないの?」
その度に僕は同じ答えを返した。
「行く意味なんてあるの?」
その言葉にも、みんな同じ反応を見せた。
沈黙、言い返せない必殺の台詞だった。
僕はある意味で最強になったのかもしれなかった。死を手に入れるということは、こう言うことなのかと思う。
もし僕が死を背負った状態で孤独に突き落とされたら、最強にはなれなかった思う、だから、彼女には、せいじん西神には感謝していた。
僕と付き合ってくれた事に凄く感謝していた。
2
ジェットコースターに、たった一回乗っただけでへばるとは、僕も彼女も思っていなかった。
ジョットコースター近くのベンチで、僕は彼女の膝枕を使って休んでいた。
太ももの柔らかさがどうとか、下から見上げても彼女の胸は薄っぺらいとか、そんなことを考えてる余裕なんて、今の僕は持ち合わせてなんかいなかった。
「大丈夫?」
大丈夫なわけがあるか!と、言いたいところだったが、僕が彼女にそんな事を言える筈もなく、大丈夫、と、痩せ我慢で言葉にした台詞には説得力のカケラもなかった。
二時半か、僕は彼女のしている腕時計で今の時刻を知った。
遊園地に入ったのが確か一時半くらいだったはずだ。と言う事は、ジェットコースターの待ち時間は約一時間だと言う事がわかる。
どこの夢の国だよ。そんな悪態を心の中で吐いた。さすがは日曜日、そう思うころには気分もだいぶ良くなってきて、目を閉じたまま手探りで手を伸ばしベンチの背もたれを掴むと、一気に起き上がろうと腕に力を入れた瞬間だった。
ゴチンッ!膝枕から2センチも頭が離れていないところで、思いっきり何かにぶつかった。
空と雲と彼女の顔が納まった僕の視界に、折りたたみ式の携帯電話がいつの間にか入り込んでいた。そして理解する。
僕がぶつかったのは彼女の肘だった、と。
「大丈夫!?」
今度は申し訳なさそうに少し慌てた様子で彼女はそう訊いてきた。
「大丈夫だよ」
僕は今度も大丈夫と言った。でも、今度の大丈夫は、ちゃんとした大丈夫だった。
ホッとしたように安堵の表情を見せたあと彼女は、降参する人のように両手を上げた。
それを確認した僕は、再度、ベンチの背もたれを掴み、腕に力を入れて起き上がった。
「何してたの?」
携帯を折りたたむ彼女を見て気になったので訊いてみた。
「内緒♪それより、お化け屋敷、行こ♪」
うん、そう頷いて彼女と歩き出す。
お化け屋敷は昼間の太陽に照らされて遠目には、ただのオンボロ屋敷にしか見えなかった。とてもじゃないが、怖いと言う感情は沸いてこなかった。
二分後、目の前にしてみると異様な作り物の恐怖を駆り立てようとする血であったり生首であったりが、入り口に置いてあった。
ただ、それでも不気味と言う感覚は感じても怖いには程遠い演出だった。
待ち時間を彼女と自分のことを交互に話していた。
たとえば、好きなものや嫌いなものの話だったり。
たとえば、最近気づいた事とか、気になっているものの話だったり。
たとえば、小さいころの思い出話だったり。
僕らは互いのことをまったく知らない状態から始めた。だから、知りたいと思ったし、知って欲しいとも思った。
彼女を知れば知るほど好きになっていった。
「次の方どうぞ~♪」
少し前から物思いに耽っていた僕の頭は、係員のその言葉で現実に引き戻される。
ギィィ、と、わざと鳴るように作られている、重そうで実際は軽い扉が開いた先の闇へと僕と彼女は飲み込まれていった。
3
当初の予定では、彼女が驚き叫んで、それから半泣きで抱きついてくると言う、少なくとも僕の中でのシナリオ構成は、そのはずだったのだが、何がどこで間違ったのか彼女は驚く事もなく平然と進んで行き、逆に僕が驚き叫んで、それから泣きはしないものの、彼女の後ろに終始、隠れるように抱きついていた。
その姿は誰かに見られたら死にたくなるほどに情けなく映っただろう。
ただ、幸いにもお化け屋敷は暗闇である、情けないと思うのは多くても二人である。
「大丈夫?」
出口から出た僕は今日何度目であろう大丈夫?を聞いた。
そして今日何度目であろう答えを返す。
「大丈夫」
そう言って、また情けなく思い落胆する。
次に行く前に休憩しようと彼女にこう訊いた。
「アイス、食べない?」
4
僕の家はクラスの中ではたぶん一番金持ちだと思う。ただ、だからと言って小遣いまでもが一番なんてことはないわけで・・・。
結構、厳しいところに立たされていた。
アイスを近くのベンチで二人座りながら食べている中、僕は財布の中身の確認をしていた。悲しいくらい薄い財布には諭吉が辛うじて一枚、生き残っていると言う感じだった。
今日は問題ないだろうが明日、明後日、一週間、一ヶ月、と、日を重ねれば絶対に、尽きてしまう額であり、最終目的の実行は不可能だった。
アイスが融けてスニーカーに落ちる。それをただボーッと眺めていた。
「ねぇ!本当に大丈夫!?」
彼女の声が聞こえる、その声に混じってキーンという耳を塞ぎたくなるような雑音が聞こえた。
持っていたアイスをコーンごと落とす。べちゃ、その音のあとにやってくるのは眩暈と吐き気だった。
横に座っている彼女のほうに倒れて、膝枕を手に入れる。それでも、耳鳴りも眩暈も吐き気も治まる気配がない。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」
僕は彼女が心配しないように無意識のうちにそう言い続けてた。
いきなり昼食が胃から逆流してきた、それを何とか口一歩手前で押さえ込もうと頑張る。
落ち着け・・・落ち着け、何度もそう自分に言い聞かせて何とか逆流してきたものを押し戻す。
ふぅ、と、力を抜き、息を吐いた瞬間だった。
「うっ!?」
声が出てしまう。もう一度昼食が逆流してきた。今度は押さえ込むのは無理だった、口の中に酸っぱい味が広がった。
量はそれほどではなかったが、気持ち悪かった。
吐き出してしまいたかった。このまま胃の中の物を全部、ぶちまけたかった。
視界の中に立ち止まる人が増えてきた。
嫌だった。こんなことでデートが終わってしまうのが嫌だった。
飲み込んでしまえ!言い聞かせるように頭の中で叫んだ。
一回食えたんだ!二回目だって変わらないだろうがッ!気持ち悪くない、気持ち悪くない!気持ち悪くない!
ゴクンっ・・・。
飲み込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
いつの間にか耳鳴りも眩暈も吐き気も無くなっていた。
心配そうな顔で覗き込む彼女は、今にも泣きそうだった。
「大丈夫・・・もう大丈夫だから・・・」
やっぱり説得力の無い大丈夫だなぁと自分でも思いながらアイスを落としてしまった右手で彼女の頭を撫でてあげた。
すると雨が降り出した。彼女の瞳からポロポロと涙が僕の頬に落ちてくる。
僕は身体を起こしたのだが、何をして良いのか分からず、結局、彼女の頭を撫でる事くらいしか出来なかった。
ただ、僕の左手は、ずっと彼女の左手を優しく握っていた。
5
結局、観覧車に乗れたのは五時を過ぎてからだった。
あのあと、誰が呼んだのか分からないが係員が何人か来て、僕は質問攻めにあった。
その質問に僕は今日何回言ったか既に分からなくなっている大丈夫と言う言葉でその場を凌ぐと、三十分ほど経ってから解放された。
解放された後、少し休んで!と、無理やり膝枕に寝かされて、さらに三十分ほど目を閉じて考え事をして過ごした。
時々聞こえる、彼女の「あっ!間違えた」という小さな声が気になって片目だけ開けると、そのたびに少し頬を染めた顔で「ちゃんと寝てなさい」そう言われた。
そんなやり取りを何度か繰り返し三十分経ったころ、僕は起き上がり言った。
「そろそろ行こうか。観・覧・車♪」
思えば今日、遊園地に来たのに、まだ二つしかアトラクションをこなしていないではないか。これから乗る観覧車を含めても三つ、なんだか凄く損をした気分になるのは僕だけだろうか?
そんなことを考えているうちに観覧車の待ち列の最後尾についていた。
七十分待ち。
最後尾に設置されている看板にはそう書かれていた。
つい、ため息がこぼれてしまう。
とりあえず、最後尾に並び、今度の待ち時間はどんな会話で過ごそうか、と、考えていると、ふと思いつき、それを訊いて見た。
「ねぇ、西神は家出したいとか、考えた事ある?」
彼女の表情が一瞬、歪む、でも、それは一瞬で、勘違いだと言われれば納得してしまうような、そんな表情の変化だった。
「無いよ」
少し間はあったが、明るく笑顔で返答した彼女の事を僕は疑おうとはしなかった。
それにすぐ次の話題を彼女がふってくれたから、さほど気にすることなく次の話題に移ってしまった。
それから一時間くらい経ち、やっと観覧車に乗るときがやってくる。
色は黄色だった。と、言っても色なんて外からしか分からないのだから関係無いと言えば関係無いのだが、僕にとっては最初で最後になるのだから結構重要なことだった。
二人、観覧車と言う名の小さな個室へと入っていく、これから十五分はこの個室で二人きり、そう思うと心臓の鼓動が少しだけ早くなった。
ドアが閉まり、密室となった観覧車の黄色い個室は、ゆっくりと上昇を始めた。
既に夕焼けでオレンジ色に染まった空が、寂しげなイメージを抱かせる。
そろそろ終わってしまう、そう思うとこのまま時が止まって、永遠に二人で夕焼けでオレンジ色に染まった空を眺めながら、遠くに見える町並みや人々を見下ろしながら、他愛の無い話をして、遊園地のスピーカーから流れる赤トンボのメロディを時々口ずさみ、ずっと一緒に居られたら、そんなことを考えずにはいられなかった。
「明日も、明後日も、その次の日も、一緒に居よう?そして話そう?自分のこと、好きなものや嫌いなもの、それから最近見かけたものとか気になっているものの話をしよう?」
僕が言葉を紡ぐたびに、彼女は頷き頬を染めた。
僕たちの居る密室が、一番上まで来たとき彼女は口を開いた。
「―――が、助けてくれて良かった。」
それだけ言って、向かい側に座っていた彼女は、倒れ込むように僕に抱きついた。
僕の膝の上に乗るような抱きつき方だったので凄くドキドキした。
密室で二人、なにか、いけない事をしているような気持ちだった。でも、嬉しかったし、幸せだった。
それから少しして、恥ずかしくなったのか彼女は僕のとなりに腰掛けた。
少し勇気を出して見たよ、そんな感じで僕らは指と指を絡ませるように手を繋いだ。
恥ずかしかった。僕も彼女もきっと顔を真っ赤に染めていたと思う。
思うって言うのは、お互いにこのときは相手の顔を見ることが出来ないほどドキドキしていたからだ。
十五分はあっという間だった。
気付いたときには、一周していた。
久々と言うほどではないが、地面に二人で降り立つと、自然と笑みがこぼれた。
僕は走り出したくなる感情を抑えて、夜のパレードまでにもう一つくらいはアトラクションを楽しめるだろうと思い歩き出そうと彼女の手を引いた。
でも、彼女は動こうとしない。
振り返って、どうしたの?そう訊こうとした。だけど、訊く事はできなかった。
彼女の見開かれた目を見たとき、背筋が凍ったかと思った。
見開かれた目は明らかに僕の後ろを見ていた。
恐る恐る後ろを振り返った僕の目には、映画でしか見たことがないような黒服でサングラスを掛けた二人組みの男が立っていた。
男の一人がこう言った。
「お帰りのお時間です。」
遊園地のスピーカーからは赤トンボが流れていた。
そのメロディは秋の夜風を誘うようだった。
もう一度、さっきと同じ男が口を開いた。
「お帰りの時間です、お嬢様。」
とても、今日何回も言ってきた根拠の無い大丈夫と言う言葉を、言える状況ではなかった。