日常の終わり
駅の近く。
特急も急行も停まらない、各駅停車だけが停まる駅の近くに、僕の入院していた病院はあった。
白く塗られたコンクリートの壁、屋上には真っ赤な苺形のよく分からないものが置いてある。外から、ついでに遠くから見たらショートケーキにも見えるように作られていた。
ただ、その遊び心溢れる設計はある意味残酷なものであった。
入院している限り、見ることなどできず、まるで退院のご褒美のようなショートケーキに挟まっているのは、血反吐を吐いて苦しむ人や、日々死んでいく人間の肉なのだ。
とてもじゃないけど食べる気がしないし、親にそう言われたからって喜べるものではなかった。
「本当にショートケーキみたいですねぇ♪」
母は父の言った言葉にのんびりとした声で返答した。
僕の親は、いつもこうだ。父の話すことに母は耳を傾け、頷き、時には首を振り、そうやって僕を無視したように話し続けるのだ。
だからいつものように僕は同じ台詞を吐くのだった。
「僕、ちょっと本屋に寄りたいから、先、帰っててよ!」
言いたいことを言い終えると、返答を待たずに僕は走り出した。
母が何か言った気がしたが、聞こえなかったので気にすることは無い。僕は闇雲に走り、一つ先の踏み切りの前で体力が尽きて立ち止まった。
息を整えながら、ふと踏切内、横に伸びる四本のレールを見つめ思った。
あれの上で寝ていたら死ねるだろうか?
きっと死ねるだろうし、あっという間だと思う。考えることなど許されず、痛みを感じる暇も無く腕が潰れ、足は折れ、顔は砕けて目玉と脳ミソが飛び散るのだろう。
想像しただけで吐き気がする。
でも、それを見るのは僕じゃない。見るのはそこに居合わせた人たちなのだ。
僕が死ぬのだ。
あいにく、この踏み切りに人は一人しか居なかった。
向かい側に、制服を着た女の子が居るだけ、僕の最後を見るのはそいつだけか、と、残念に思いながら、下りている遮断機の棒に手をかけた。
左のほうから結構なスピードで電車が迫っていた。それを確認した僕は遮断機にのせていた手でしっかり掴むと、腕に力を込め一気に押し上げた。
そのときやっと気がついた。
正面に立っていた制服姿の女の子の目は、僕がさっき想像していた事をイメージし、死と言う恐怖を押さえ込もうとしている目だった。
僕が線路内に入ったときには、既に女の子は膝をつくところだった。
左を見ようとはしなかった、目の前に居る女の子だけを見ていた。髪は闇のような黒で、腰まであった。肌は病的なまでに白く、誰かが触れるだけで汚れてしまいそうなそんな気がした。
僕は思った、雪のような女の子だと・・・。
気付いたときには既に、僕は女の子を抱きしめながら線路の外、道路に転がっていた。
そして僕の腕の中で女の子は泣いていた。
「どうしてっ!どうして死なせてくれなかったのよッ!」
泣き喚く女の子が泣き止むまで僕は抱きしめて居たかった。
あと半年も生きられない命でも、人に恋をするものらしい。
1
踏切での出会いから二時間後、僕は女の子に告白した。
早すぎるとは思わなかった、僕の命は半年も持たないのだ。一日を待つのだって惜しい。
告白までの二時間の間に僕は自分の事情を、告白の長い前置きのように説明していたので、同情かもしれないが、付き合うことを了承してくれた。
「いいの?」
何度も僕はそう聞き返した。
その度に女の子は「いいよ♪」と返してくれた。
僕の最初で最後のとても短い恋愛劇が始まった。
2
学校で二時間目の授業を受けているときだったと思う。
席を立ち、黒板の前まで来たところで突然、めまいに立ち眩み、それと吐き気に襲われ、朝食に食べた食パンやヨーグルトに加え、一緒に飲んだ牛乳を床にぶちまけた。そこで一旦、記憶が途切れる。
次に目覚めたとき、僕は保健室のベッドに寝かされていた。
仕切りのカーテンの向こう側で、母が保健室の鬼婆と呼ばれる先生と話しているのが聞こえた。
ただ、聞こえただけであって、何を話しているのかまでは分からなかった。
その後、お昼前に早退した僕は、母に連れられ病院へ行った。どうやら倒れたときに頭を強く打ったらしいのだ。しょうがないか、と、諦めて検査を受け、全ての検査が終わったのは日が暮れて、夜が挨拶を済ませた七時半頃だった。
結果は後日と言う事となり、この日は普通に帰路に着いたのだった。
次の日、僕は学校を休んだ。
決めたのは僕ではなく両親だった。
休めたのはラッキーだった、先週出たばかりのゲームで友達に圧倒的な差をつけられるチャンスだったからだ。
浮かれていた僕には少し雲が出始めた家の空気に気付くことが出来なかった。
そのまた次の日、僕は検査入院と言う名目で、短期間の入院をすることになった。
このころから僕は気付き始めたと思う、既に両親の心には雨が降り始めていたことに・・・。
その日から二日後、僕は宣告された。お前は後半年も生きられないと・・・。
延命は出来るが、死から逃れられることは出来ない。そう言われて生まれて初めて、僕は死へ対する恐怖を懐いた。それと同時に、生きる意思を失った。
だから、僕は延命を拒んだ。苦しむくらいなら死んでやる。その思いを胸に病院を後にしたのだった。
その日、彼女との出会い、終わりへの延長戦が始まった。
彼女は年齢どころか、名前すら教えてくれなかった。ただ、せいじん西神と呼んでほしい、そう言われた。
何も疑うことなく僕は西神を受け入れ、毎日のように会っていた。
朝から晩まで、ずっと話をしたり一緒にどこかへ出掛けたりして過ごした。
出会いの日から一週間が過ぎた、お昼の時間、今日も親になにも言わずに学校を休んだ僕は、西神を自分の部屋に招いて昼食を食べていた。
「そういえば、―――は、死ぬまでに何かしたいこととか何処か行きたい場所は無いの?」
昼食であるスパゲッティをずるずると口へ吸い込みながら西神の言葉を聞いて考えた。
色々あるに決まっている、なにせ僕は中学二年生になってまだ半年しか経っていないので行きたい場所や、やりたい事がないわけがなかった。
「でも、いっぱいあるよ?」
スパゲッティを飲み込みそう言った僕に、いつの間にか食べ終わっている西神は、無表情な顔でこう返答した。
「全部、叶えてあげる。」
彼女のその言葉は疑うことを許さない、そんな強さが込められているように感じ、それと同じくらい強く、叶えてあげたいと言う願いも感じられた。
僕は最後の最後で、最高の幸せを手にしたのかもしれない、そう思えた。
3
僕にとって遊園地と言うのはトラウマの塊と言ってもいい代物だった。
でも、彼女と二人でジェットコースターや観覧車に乗ったり、お化け屋敷で叫んで抱き合ったり、夜のパレードを眺められたらなぁ~と言う憧れも持っていた。
そんなことをいつだったか友達に言ったら、女みたいな事を言うんだなお前、と言われたので、西神にも恐る恐る言ったのだが、彼女は馬鹿にすることなく、じゃあ行こうよ?と、優しく言ってくれた。
とは言え、近所に遊園地なんてものはなく、移動にも時間が掛かると言う事なので、遊園地へは後日と言う事になった。
スパゲッティを綺麗に食べ終わると、西神は自分が居た痕跡を消すかのように、食器を洗い始める。
僕はその姿を後ろで眺めて待つのが知らないうちにルールとなっていた。
それも終わると、遊園地より簡単に達成出来そうなやつを紙に書き出していく。
ボウリングに、ゲーセン、食べ放題に、ピンポンダッシュとこれ以外にも、くだらないものから、誰もが一度はやってみたいと思う事を次々と書き出していった。
実に三十個を超える、やりたい事がリストになった。
次に書き出していったのは、やろうとすると、行こうとすると、何日も掛かるものだった。
「さて、これで全部?」
西神が長く伸びた自分の黒髪を弄りながら僕に聞いてきた。
僕は少し悩んだ末、顔が赤くなっているのが自分でも分かるくらいの恥ずかしさを何とか抑えながら答えた。
「えっと、あと二つ・・・三つかな?あるけど、これは・・・最後に僕に勇気があったら言うよ・・・。」
言い終えた僕は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「うん、わかった♪」
納得してくれた西神は、もう一度、さて、そう言ってからリストを手に立ち上がり、あさっての方向を指差してこう言った。
「全部叶える・・・―――のためにッ!」
心臓がドキッとするほど恥ずかしかったけれど、同時に嬉しかった。
彼女が居る限り死の恐怖を忘れられた。
いつの間にか、僕は彼女に頼りきっていたのかもしれない。甘えていたのかもしれない。
でも、僕は構わなかった。甘えると言う事が心地よかったから・・・。
だから僕はダメだったのかも知れない。