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作者: 天月黎祠

 私は逃げていた。逃げ続けていた。何から?「何か」から。私は得体の知れない何かから逃げ延びる為、夜の町を走り回っていた。

 運悪く、私は遭遇してしまった。偶々用事ができ、いつもなら既に家に居るはずの私は、普段なら、まず通らない路を歩いていた。嗚呼、今思えば、あの路さえ通らなければ……あの暗い、暗い、闇への入口に足を踏み入れたばかりに……。

 空のその殆どを厚ぼったい雲が覆っていた。町に灯りは灯っていたが、人影は全く無かった。自分の知っている昼の町、日の光が降り注ぐ世界とは異なる世界が、そこには広がっていた。光が全く無いよりも、一層に闇が深まって観えた。そんな世界を、子供の様に無邪気に楽しみながら歩いていたのが、嘘の様だ。私が闇の恐ろしさ、闇に潜むものの恐ろしさを知ってしまったからだ。

 生温い闇の中を歩いていると、次第に町の灯りは消えてゆき、辺りは一層深い闇に包まれた。私は、ふと、路の先に妙な気配を感じた。「何か」居る。何故か、直感的にそう思った。歩みを止め、闇に目を凝らす。やはり何かが居た。ただ、鈍よりとした闇の中では、いくら目を凝らしてもハッキリとは見えなかった。その時、丁度良く、いや、悪く、厚い雲の切れ間から光が差した。

月の光に照らし出されたそれを見て、私は声に成らない悲鳴を上げた。幻想的な光の下に居たそれの姿の何とおぞましいことか。蛇を鬣の様に生やした頭には眼、鼻が無く、口だけがグワァバッ、と裂けており、人の身体など容易く貫くであろう杭の如き鋭い歯が、ズラリと並んでいる。全身は黒く、変に光沢がかっている。手足にはクレーンのフックの如き巨大な鉤爪があり、スラリと伸びた尾の先は鋭く尖っており、槍の様でも、また、蠍の様でもあった。そしてその大きさは、大型犬よりも一回りも二回りも大きなものであった。

 私は逃げ出したかった。直ぐにその闇の中から立ち去りたかった。しかし、あまりの恐怖に身体は云うことを利かず、ただ闇雲に頭だけが働いた。さあ、逃げよう!どうした?動け!早くここから逃げるんだ!動け!動け!この闇から逃げ出すんだ!早く!早く!さもないと、あの獣に、あの恐るべき闇の獣に、いや、あれは闇そのものだ!喰われてしまう!さあ!動け!私よ、動いてくれ!自分自身へ向けて必死に念じ、震える脚を、身体を動かそうとした。だが、全く動かない。冷や汗が頬を伝いポタポタと流れ落ちる。倉皇

している内に、獣はゆっくりとこちらへ向かって来る。とうとう私は腰を抜かしてしまい、尻餅を搗いてしまった。身体はガクガク震えるばかりで、後退りすら出来ない。尚も恐るべき闇はゆっくりと、だが着実にこちらへと歩み寄って来ている。嗚呼……頼む!動いてくれ!早くここから逃げるんだ!逃げろ!逃げるんだ、私よ!さあ、逃げろ!

 獣があと二~三mと迫った所でただ震えていた身体は云うことを利くようになり、私は一目散に逃げ出した。一刻も早く、この闇から抜け出さなければ!私は走った。走りまくった。走って、走って、どれだけ走ったか分からない位走った。にもかかわらず、一向に闇から抜け出せない。いつまで経っても、生温い闇が延々と広がっていた。

 無我夢中で走り続けていたが、流石に体力の限界が訪れた私は、フラフラと倒れ込んだ。ゼェ、ハァ、と息を弾ませながらも身を起こそうとした、その時、先程と同じ気配を感じた。恐る恐る、顔を上げると、前方からあの獣が歩いて来るのである!私は肝を冷やした。力を振り絞り、すぐさま立ち上がり今さっき駆け抜けてきた路を引き返した。疲労した身体に鞭打ち走っていると、なんと、向こうから獣がやって来るではないか!いよいよ私は肝を潰し、右往左往した。同じ所をグルグルと駆け巡り、ひたすら闇の中をさ迷った。

 だが、どこへ逃げても、その先にはいつもあの闇の獣いた。追い詰められたら私は、路地へと逃げ込んだ。だが、進んだその先は行き止まりであった。絶望が私を襲い、とうとう全身から力が抜け切ってしまった。ガクリと膝を突き、身体を捻曲げ振り返ると、そこにはやはり獣が居た。あの路さえ通らなければ……あの暗い、暗い、闇への入口に足を踏み入れたばかりに、こんなことに……。後悔したところで、今のこの状況が何も変わりはしないことは分かっていても、後悔せずにはいられない。そうだ。どうして助けを求めなかったんだ!あの時、もっと冷静でいられたら……そもそも、用事が無ければ、用事さえ出来なければ……!嗚呼……。

 獣はすぐ傍まで来ていた。既に希望を見出すのを諦めていた私は、その場に座り込み、唯々ぼぅっ、と獣を眺めていた。これから、あの鉤爪で肉をズタズタに引き裂かれ、あの顎で骨を噛み砕かれるのだ……。これが己の運命だと覚悟を決め、それを受け入れる気持ちでいた。獣はすぐ目の前に迫っていた。瞼を閉じた。さようなら。私は恐るべき闇の獣に、いや、獣の姿をした闇に食われ、その存在を終わらせるのだ。さようなら。さようなら……。

 ……どうしたことか、その時は一向に訪れない。恐る恐る、薄らと目を開ける。やはり目の前に居る。しかし、襲ってくる気配は無い。いや、そう思った時、鬣の様に生えた幾つもの蛇がシュルシュルと私に向かって伸びてきた。いよいよか、と思った。蛇たちは頭に纏わり付き、蠢いている。しかし、それ以外に何もしてこない。暫くすると、蛇たちはシュルシュルと戻っていった。獣は、唯その場でジッとしていた。私は獣が何をしたいのか、理解出来なかった。一体、こいつは何がしたいんだ?油断させておいて、いきなり喰らいつくつもりだろうか?それとも私を食べるつもりは更更無かったのか?なら、何で私を追って来たんだ。まさか、友達に成りたい訳ではあるまい。等と考えていると、獣はゆっくりと闇に溶け込んでいき、姿を消してしまった。私は暫く呆然としていた。一体、何だったのだろうか……。

 ふと、空が薄らと明るくなってきているのに気がついた。そうして、遠くに眩しい光が昇るのが眼に映った。いつの間にか夜は明け、あっという間に光が闇を追い遣っていった。私はゆったりと立ち上がると、朝日を浴びながらトボトボ家へと向かった。

 帰宅した私は、顔を洗おうと洗面所へ足を運んだ。鏡の前で見たものは、顔に青黒い蚯蚓腫れの様な痣が幾つもあり、眼が爬虫類のものの様に成った自分の姿だった。すっかり疲労していたこともあり、自分の身に何が起きたのか、直ぐには理解出来なかった私は、フラフラ寝室へと向かうとベッドに倒れ込み、そのまま深い眠りに落ちた。

 真っ暗な闇の中で目を覚ました。何が起きたのか分からずにいると、あの獣が現れた。ヒヤリとした。だが、獣は、やはり何もしてこない。突然、声がした。

「我が視えるお前に我の眼を、鼻を与える。有効に使え。」

そこで目が覚めた。外は明るい。まだ朝、だと思ったら、もう朝の間違いだった。私は丸一日眠っていたのだ。ベッドの上で夢のことを考えた。あの声は……まさか、あの獣の!?だとしたら、アイツの「眼と鼻を与える」とは、一体どうゆう……。

 暫くして、私はあの夢の言葉の意味を理解した。私はあらゆるものの陰、闇と闇に潜むものの存在が視え、その「匂い」を嗅ぐことが出来るようになっていた。そして、度々あの獣にも出会している。獣は言う、「闇を喰らう闇で在れ」と。

 そうして、私は有り触れた日常を送るのを辞めた。手にした力でもって、更なる力を得たからだ。新しく生まれた路を行くとする。

 これからの私は闇を喰らう闇、闇の獣の後継者、そして恐るべき代行者として在ろう。

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