表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タイトル未定2026/01/17 15:51

作者: すあ
掲載日:2026/01/17

「――切り落とせ」


その一言は、男が医師として積み上げてきた年月を、簡単に踏みにじりました。

無機質な会議室の壁一面のスクリーンに一人の少女が映されていました。黒髪は獣のように項を覆い、眼は人よりも深く、何より、顬から伸びる二本の角が、彼女をこの世のいずれにも属さぬ存在にしていました。

両親はいません。

名も、正確な生年月日もありません。

ただ、感情が昂ると、空が荒れ、海が騒ぎ、地が軋む。その事実だけが、彼女の存在理由として記録されていました。

「感情が昂るたび、自然災害を引き起こす存在だ」

上司は淡々と説明し始めました。

「地震、暴風、豪雨、洪水、ハリケーン…… すでに死者も出ている」

男は拳を強く握りました。

「……彼女は患者です」

「だからだ」

即答でした。

「彼女を生かすなら、ツノを切除するしかない。ツノ持ちから、人間にするんだ。」

男は勢いよく立ち上がったので、椅子がガタッと動きました。

「それは彼女の人格を否定する行為です。

命を救うために、命を壊すつもりですか」

上司は冷たい目で見返しました。

「これは国家が決めたことだ。海外では暗殺計画が進んでいる。刺客たちが日本で暴れることになるぞ。組織は、彼女を“災害そのもの”として排除するつもりだ」

さらに追い打ちをかけられました。

「お前ならできる。災害が起きても、人が危険に晒されても、成功させられる。……彼女のことを思うなら、せめて、人間に戻してやれ」


その言葉が、男の胸をえぐりました。

結局、選ばされるのは自分である。

拒否すれば、誰かが死ぬ。

受け入れれば、彼女が壊れる。

そうぐるぐると心の中でモヤが周り続け、彼は、震える手で書類にサインをしました。

その瞬間、胸の奥で何かが折れました。

男は落ち込みました。

……やっぱり俺は、優しさという名前の愚かなものに負ける、意志のない人間だ。





彼女を診ることになった医者は、かつて天才と呼ばれた外科医でありました。

腕は確かで、判断は速く、命を切り分けることに躊躇がありませんでした。彼は、必ず患者を救う男でした。

それゆえに、「優しすぎる」と言われる自分を、彼自身が最も嫌っていました。

初めてツノ持ちの少女と向き合った診察の日、窓の外は雨でありました。隔離病棟に雨の音は部屋全体に響いていました。少女は、ベッドの上で膝を抱えていました。


「E-17」


名前で呼ぶなという上司の命令でした。

呼ばれた瞬間、少女は露骨に眉をひそめました。

「……それ、きらい」

「決まりだ、仕方ないだろう……」


男は視線を逸らしました。

少女はまるで、野生動物のようでした。

何を考えているのか未知数で、近づけば噛みつきそうで、でも目の奥には、強い怯えがありました。

日々、データは増えていきます。


それは「災厄」ではなく、「感情の器官」でした。

角は武器ではなく、防具でもなく、ましてや呪いでもありませんでした。それは、彼女が世界を受け止めきれなかった痕跡でした。

生まれ落ちた瞬間、抱きしめる腕を持たなかったこと。

泣いた声を「うるさい」と言われたこと。

怖いという感情を、誰にも翻訳してもらえなかったこと。


それらすべてが、言葉になれなかった分だけ、形を持ってしまったのです。

だから角は、怒りで伸び、恐怖で震え、孤独で軋みました。

自然災害とは、彼女の感情が外に漏れた結果でしかなく、人間が涙を流すように、彼女は嵐を流していただけなのでした。

血液、脳波、角の状態。そして、感情の揺れ。

彼女が笑うと空が澄み、怒ると雷が轟き、泣くと海が荒れました。

そのたびに、医者は胸の奥で、自分が裁判官の席に座らされているような気分になりました。


ある日、少女がぽつりと言いました。

「このツノね……」

男は顔を上げました。

「ママのお腹を突き破って、生えてきたの」

男は息を呑みました。

「人が死なないために、切らなきゃいけないのは分かってる。でも……怖いの……」

その声は、ツノが生えた人間では無い何かではなく、ただの女の子のものでした。

「先生……私のツノ、切られちゃうの?」

男は答えられませんでした。

自分の優しさが、彼女を裏切る準備でしかないことを、誰よりも自分が知っていたからです。






その日は、耳が痛くなるような警報の音から始まりました。

激しい揺れが人々を襲い壁が軋み、床がうねりました。

私は走りました。

嫌な予感が、確信に変わっていたのです。

隔離区画の前で、私は“それ”を見ました。

部下が、震える手で銃を構えていたのです。


「やめろ!」

部下は振り向き、叫びました。

「こいつの災害のせいで!

俺の家族が死んだんだ!」

少女は、壁に追い詰められ苦しそうに泣きそうな声で呟きました。

「そんなの、知らない……やめて」

空気が変わりました。皆が、心臓を握られるような気がしたと感じました。


「私は、悪いことなんかしてないでしょ……!」

角が、軋む音。

――バキン。

空が、割れました。

轟音とともに、白い光が視界を塗り潰しました。

建物全体が跳ね上がり、照明が一斉に消えました。

「落雷だ!」

「電源が――!」

「患者を離せ!」

誰かの叫び声。

何かが倒れる音。

ガラスの割れる甲高い音。

混乱の中で、少女だけが、動きませんでした。

角は、黒紫に光っていました。

雷は、空から落ちたのではなく彼女の中から噴き上がったのです。

「返して。私の人生」

再び、雷鳴が轟きます。

壁が震え、床が軋み少女は大きな声を上げました。

「怖いのに、嫌なのに、生きてたいだけなのに!」

落雷が、建物の外壁を打ち抜き、遠くで悲鳴が上がりました。

嵐は、彼女の怒りでした。


私は考えるより先に動いていていました。

拳を振り抜き、部下を殴り倒し、鈍い音が響き部下は崩れ落ちました。

私はただただ、必死に少女を抱き寄せました。

「怖かったな……もう大丈夫だ」

少女は、しばらく黙っていましたが、小さく言いました。

「先生……優しいんだね」

その言葉に、男は凍りつきました。

俺は今、自分を守るためではく、誰かを守るために動いた?

その光景は、多くの職員に見られていました。

「化け物に優しい医者」

「気味が悪い」

という噂は瞬く間に広がり、上司からの呼び出しがかかりました。

結論は、ひとつでした。


ツノの切除を、即時決定する。






男は眠れませんでした。


……やらなければならないんです。

いいえ、でも、やりたくないんです。

その板挟みで、心が裂けそうでした。

その時、少女が男の部屋まで来ていました。そして彼女は言いました。

「……助けてくれて、ありがとう」

男は驚きました。

あの野生児だった少女が、ちゃんと礼を言えるようになっているのです。

成長している、普通の女の子として。

「……明日、君のツノの手術をする」

男は告げました。

少女の目から、一粒、涙が落ちました。

「……わかった。先生がそう判断するなら……」


涙を拭って、無理やり笑っておりました。

その笑顔が、男の胸を深く刺しました。命を救うとは、生かすことだと思っていました。ですが、ここで角を切ることは、彼女を“生き残らせる”だけで、生かすことではないのです。

ただ男は、無力な自分を右手を眺めることしか出来ないのでした。





翌日の手術室には白い光が差し込んでおり、静かな機械音のみが息をしているようでした。

少女は言いました。

「先生なら、痛くしないでしょ」

男は何も言えませんでした。


淡々と準備が進み、二本あるうちの一本が切除されました。二本目のツノを切除するために、麻酔を追加して注射したその時。

少女の恐怖が限界を超えたのです。

角が黒紫に光り、施設が揺れました。

都市全体に警報が出ました。

嵐、地震、豪雨…泣いているのです。彼女が泣くと、雨が降ります。

それは偶然ではありません。

雨は、感情を世界に薄めるための装置なのです。もし彼女が普通の子どもなら、母親の胸で泣けたでしょう。ですが彼女は、雲の中でしか泣けなかったのです。


男は叫びました。

「落ち着け!お前はもう立派な人間になるんだ!

感情くらい、泣きたい気持ちくらい自分で制御しろ!」

その言葉は、自分自身に向けた刃でした。

「この世には…嫌なことなんて山ほどある!

ご飯を食べながら泣くほど沈む日だってある!何もかも上手くいかなくてクソみたいな日だってある!でも、だからといって毎日が涙に塗れてるわけじゃない、クソみたいな人生を送っているわけではないんだ!君みたいに、不安な自分に悩まされる人だっている!それでも人間は、我慢して大人になるんだ!」


少女は、静かに聞いていました。

そして言い放ちました。

「……先生は、自分の感情に素直なの?」

その一言で、男はメスを持つ手を緩めました。

「……違う。俺は優しくなんかない。弱いだけだ。自分を守るために、君一人の幸せすら守れない……」

少女は微笑んだ。

「そうなの?先生、優しいね」


男は、メスを置きました。

「中断する」

その言葉をはなった瞬間、災害は嘘のように止みました。

「ごめんね……私がわがままだから……」

少女はぐすんと鼻を鳴らし、手で顔を抑えました。男は首を振りました。

「違う。全部、人間のエゴだ」

そして、名前を呼びました。

「怖かったな、███。君は、悪くない」

少女は、初めて心から笑いました。






暖かい海風。

透き通る水。


「せんせーい!およごー!」

少女の声。

「███、まだ泳げないだろ」

名前を呼ぶと、少女は朗らかに笑います。

彼女はひとつの角を持ったまま生きる術を学んでいます。男は組織を辞め、田舎の小さな診療所で働いています。天才外科医という肩書を捨て、素直な自分で、彼女の隣にいることを選んだのです。







――海のそばの診療所にて――

これらは、私が見つけた診療所の棚の奥に眠っているとある男の手記である。


海の匂いは、最初、彼女には少し強すぎた。

「しょっぱい……」

朝の診療所の窓を開けると、潮風が白いカーテンを揺らす。

「そのうち慣れるよ」


医者――もう“先生”と呼ばれることのほうが多い。私は、カルテを書きながらそう答えた。

少女は、床に座り込んで貝殻を並べている。

角は一本のみだが、相変わらず、綺麗なままだ。

一緒に暮らす、ということになったのだった。

最初は、ぎこちなかった。

朝ごはんを二人分用意すること。

洗濯物に、小さな服が混じること。

夜、部屋の灯りを一つ多く残すこと。


「……先生」

布団の端から、小さな声がする。

「なに」

「ここ、いてもいい?」

私は、少しだけ手を止めた。

「……当たり前だろ」


そう言いながら、

“いつまで”とは言えなかった。

彼女は、世界にとってまだ危険な存在で、私は元・外科医で、何も保証なんてない。

それでも、彼女がここにいない夜を想像するほうがずっと怖かった。


ある日、少女が言った。

「ねえ先生」

「ん?」

「ここって……私の家?」

私は答えに詰まった。

施設でもない。

病室でもない。

でも、正式な“家族”でもない。

「……そうだな」

慎重に言葉を選ぶ。

「ここは、

帰ってきていい場所、だ」

少女は、しばらく黙っていた。

それから、にこっと笑う。

「じゃあ、家だ」

その言葉は、

私の胸に、静かに落ちた。



夜、嵐の音がした。

遠くで落雷の音がする。

少女の角が、ほんのり光る。

男は、すぐに気づいた。


「……怖いか」

布団の中で、少女は小さく頷いた。

私はは何も言わず隣に座った。それしかできないからだ。触れない。でも、離れない。

「昔はさ」

無言も何だか気が紛れないので、私は、ぽつりと話し始めた。

「昔から、優しいって言われるのが嫌だった」

「どうして?」

「……優しいと、なにも決断できないって言われてた。私は優しいんじゃなくて弱いんだ。弱いからなにも断れずにやるしかないんだ。」

少女は考えてから、ケロッとした顔で言った。

「でも、先生は逃げなかったよ」

私は少し笑った。

「……そうか」


その夜、角は光らなかった。

ある日、少女は急に言った。

「ねえ」

「なに」

「ずっと“先生”って呼ぶの、変じゃない?」

男は咳払いした。

「医者だからな」

「でも、もう手術しないでしょ」

確かに。

「……呼びたいように呼びなさい」

少女は少し考えて、

照れたように言った。

「……おとう、さん?」

その瞬間、

男の思考は完全に止まった。心臓が、痛いほど鳴った。

「……無理しなくていいから」

慌てて言う。

少女は首を振った。

「無理じゃない。なんか……うれしいきもち!」

男は、しばらく俯いてから、静かに答えた。

「……じゃあ、そう呼びなさい」


役所の手続きは、面倒だった。

戸籍。

後見。

医療同意。

「本当に、いいんですか?」

そう聞かれたとき、私は迷わなかった。

「はい」

家族とは、安心が習慣になる関係である。

私は父親になる覚悟をしたわけではなかった。

ただ、逃げなかっただけだ。


怖い感情からも、世間の正義からも、「角を切ればすべて解決する」という安易な答えからも。

少女が「おとうさん」と呼んだのは、役割を期待したからではない。

「ここにいても、いなくならない」

そう確信したからだ。

少女は、少し緊張して私の袖を掴んでいた。

夕方。海はオレンジ色に染まり、眩し過ぎるくらいの笑顔と共に娘は海まで走っていった。


「せんせ……おとうさん!はやくこっちきてー!」

呼び直して、照れる。

「およごー!」

「まだだ。今日は足だけだ」

手を繋いで、波打ち際に立つ。暖かく透き通った水が跳ねる。1人の女の子の笑い声が青い空にとんでいく。


そのとき、私は思った。

世界は、娘を危険だと呼んだ。

でも今はただの、私の子どもだ。

最後まで、綺麗なままだった。

娘のツノは、病理学的には説明不能である。

だが、感情が受け止められる環境下において、災害反応は著しく減少した。

これは治癒ではない。共生である。

この一文は、医学界への報告ではない。

私自身への言い訳でも、懺悔でも、誓いでもある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ