海にはねる
※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
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漁村に着いたのは彼が行方不明になって一週間後の事だった。趣味である釣りに出掛け彼の妻へ帰って来ないと宿泊している民宿から連絡があり、警察や消防が波にさらわれたと捜索したが堤防に空のクーラーボックスと釣竿と使われていない生き餌が見付かっただけだった。
彼の大学時代からの悪友だった私は彼の妻の焦燥を慰めつつ急行と鈍行を乗継ぎ件の漁村へ辿り着いた。時間はもう夜半だった。民宿に泊まる電話は入れてあったので宿の問題はないが公民館へ行くと宿直の警官と消防一人ずつしか居らず何とも落胆した気持になった。聞くと夜明けに捜索は再開するとの事だった。
重い足取りのまま民宿に行くと疲れた私を出迎えた主人から「ウチのひいじいさんが妙な独り言をしている」と相談された。宿の主人の祖父は御年百になる年寄りで半ば呆けて入るそうだが、友人が行方不明になった一週間前から様子がおかしいと言うそうだ。案内された部屋に入ると籐椅子に座った小さな老人が何事かを呟いているのを聞いた。
「ゆるしてくだせ……ゆるしてくだせ……うおさとったのは、かあちゃんのためだったんす……またうおさとりにいったわけじゃないんす……ゆるしてくだせ……ゆるしてくだせ」
老人が繰返す言葉は懺悔にも似た響きを持って私の耳に残った。それは〝魚を獲る〟事への禁忌を犯した懺悔。
私は翌朝、友人の情報と共にこの村に古い時代の禁漁の言い伝えを訊きに回った。皆は何となくそんな事もあったかねえ、と首を傾げるばかりだった。老漁師も「昔の事は忘れた」と言った。
しかしながら、別の話を長老格の老人から聞いた。重い口を開いて、ご内密にな、と前置きしてだが。
それは、かつてこの村には人魚と交流していたという信じられない伝承であった。人魚、全国各地に不老不死伝説やミイラが残っているが、この村は人魚を海に棲む民として交易もして、人間と同等に見ていたそうだ。言葉こそ通じなかったが、理性のある異国の民として招き入れていた。
しかし、ある年にたいへんな飢饉が襲い人々は次々と死んでいった。食料は底を突き、皆が痩せ行き苦しむ。そんな中で人間が眼を付けたのは人魚だった。追い詰められると人間は獣にも鬼にもなる。人魚を捕まえて人の上半身を、魚の下半身を喰らった。それはまさしく鬼畜の所業かも知れないが人々は報いは受けた。
村は狂暴化した人魚に襲われ、人々は喰われた。かつての異形の友は人間を海に引きずり込み肉を喰らいはらわたを割いて貪り食ったという。
結局、彼の行方は解らず私は帰路についた。後日、駅の売店で買った週刊誌にセンセーショナルな写真が掲載されていて魂消た。見出しは『謎の海獣が腐乱生首で遊ぶのを我々は見た!』だった。無論、非難が殺到して回収騒動があった。
そこには光が反射する海面に浮かぶ海獣らしきものが、人間の腐った首を尻尾で跳ね飛ばし遊んでいる光景が写っていた。場所は伏せられていたがあの漁村の入り江のようで、何となく彼の首だろうと感じた。
『またうおさとりにいったわけじゃないんす……』
老人のあの言葉の本当の意味が解った気がする。あれは〝魚〟だったのか。
彼が人魚を釣ったのかは、〝彼女たち〟にしか、解らない。