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魔女と神父の逃避行

作者: 美月木壱



 その国に魔女はいない。

 

 ――というのは教会が嘯く通説で、本当は「この国」に魔女はいるのだと、人々の間ではまことしやかにそう囁かれている。

 山奥にぽつねんと存在する小さなこの村でも、その噂は活発に出回っていた。人口は百人もいない小さな村だ。教育というものはなく、だいたいは文字すら怪しい。

外界というものを伝聞でしか聞いたことのない彼等にとって、唯一の娯楽とは他人の誹謗であり、そして「正義」そのものだった。

 その両方を満たせるものが魔女への裁き――魔女裁判であり。

 そしてその執行を果たす処刑人こそが、神父でもある「彼」であった。


「この国に魔女はいない、というのは正確には真実でもある」


 教会の地下に向かう階段を降りながら、神父は誰にともなく呟く。


「何故なら生まれた魔女はすべて、殺されるからだ。魔女とはこの国を悪に導くものであり、人々の仮想敵。……その中に善良な市民が数人混じっていようと関係ない。百人のうち一人くらいは、本物が混じっているんだからな」


 地下はとても暗く明かりがない。唯一周囲を照らすのは、神父の持つランタンのみだ。

 階段を降りてしばらく歩き、ひとつの檻の前で、彼は立ち止まった。


「手足を縛って湖に落とし……浮かべば魔女、沈めば人間」


 その檻にはひとりの少女がいた。手負いの獣のように、神父を睨み付けている。


「浮かんでくる者を見たのは初めてだよ。本当にいたのだな、魔女というものが」


 その彼の目の前で、少女は自らを律する轡を嚙み切った。


「初めて見たのね、感想はどう? 空を飛ぶような魔法が使えなくてがっかりしたかしら」


 魔女は気丈で、そして剣呑、何より美人であった。

 彼女が魔女として民衆に差し出されたのはその美しさのためだ。どのような特徴であれ何かが飛び抜けている者はもれなく裁判――という名の処刑にかけられ、多くの女性がこの村から絶えていった。


「使えるならぜひ見てみたいものだがね。……手足の鎖も外せないようならそれは無理なのだろう」

「どうせ私が外すところまでが貴方の趣味のうちなのでしょう。下品な趣味に付き合ってやる気はないわ」


 暗がりからランタンに近付いてきた少女の目は鳶色、そして髪は炎のように輝く赤であった。


「つまりその気になれば外せると。そういうことか?」

「今すぐここで外してアンタをズタズタにしてやってもいいのだけどね。それが好みかしら? アンタは『責める方』がお好きなのだと思ったけれど」

「どっちも違うな。違うと言っておこう。そんな趣味だと思われれば次に吊るされるのは私だろうから」


 「平均」以外を全く許せないこの国の、特にこの村では。

 神父が勤めているこの村は、以前はもう少し栄えていた。しかし一度魔女による大きな被害が発生して以降、みるみるうちに寂れ、村民は魔女を憎むようになったのだとか。


「まあ、ただの災害を魔女と扱うこの村の者が、神父である私を早々吊るすとは思い難いが」


 神父という肩書だけで、彼は生存している。


「神父といっても、誰かに信仰を説いたこともないでしょう」


 魔女は神父をあからさまに嘲笑する。


「聖書の一節すらろくに暗唱できない村民がアンタを必要とする理由はひとつ。それは処刑人になることだ。人の死を楽しみたい、けれど自分は手を汚したくない。そういうところだけ賢い村民のために、アンタも大変だね」

「今更だよ魔女殿。それに、私とて神敵扱いはされたくない。この村におわす神とは、つまり彼等自身の総意なのだから」


 村民の――民衆の意思に抗えば、それだけで目をつけられる。


「で、何の用なのさ神父殿」


 皮肉っぽく問う魔女。


「本物の魔女は食事を必要としない。私達は完全なる機関だから、他の何をも必要としない。アンタもそれは知ってるでしょうに」

「そうだな。だが今日は違う。……予告もなく首を吊るされるのは、お前とて辛いだろうから」

「ああ」魔女はその一言で悟った。

「つまり明日の朝、私の処刑があるということね」


 淡々としたその言葉に余計な感情はない。

 魔女は、自分が殺されることに対して何の感慨も持っていなかった。確かに魔女は何も悪いことをしていないけれど、それでも無実の少女たちが殺されるのを黙って見ていた。自分が魔女であると名乗り出れば助かったかもしれない少女たちだ。

 だから、これも運命なのだと彼女は思っていた。


・・・


 魔女の予想通り、翌日の朝、魔女は処刑されることになっていた。

 魔女とはつまりは、人間の恐怖のあらわれだ。この村の魔女からの被害というのも、正確には厳しい寒さによって作物が全滅したことである。

 だからこそ彼等は、魔女という敵をつくって虐げた。そして今日は、その魔女の処刑の日。村一番の娯楽として村中から人が集まった。

 場所は一番大きな広場の中央。ギロチンなんて上等なものは手に入らないから、首つり台だ。その下には沸騰した油がなみなみと入った鍋が置かれており、たとえ縄が切れてもどっちみち死ぬ。


「では最後に、言うことはあるか? 魔女殿」


 そしてこの村では、執行も神父が行っていた。

 わざわざやりたがる者がいなかったからである。

 識字率の低いこの村では、本当は教会も聖書も意味をなさない。神父の役目とは人々に信仰を説くのではなく、生贄を自分たちの代わりに手にかけること、であった。


「別に。言うことはない」


 赤い髪の少女は、首に縄をかけられた状態で笑って言った。


「ただ懺悔はしているかな。私の代わりにお前達に殺された、三十二人もの罪なき少女たちに。湖の底に沈んだまま還らなかった彼女たちにだけ、私は祈りを捧げよう」

「祈り、ね。魔女なのに、か?」

「呪いの方がいいかな? 神父殿」

「呪いね――本物の魔女の呪いはどうだ、やはり地獄の苦しみなのか? 極寒によってこの村の作物をすべて無為にしてしまえるような」

「そんな大層な呪いは私には出来ないな。神父殿――」


 そうして魔女は、今まさに床を蹴落とさんとする神父を上から見下ろす。


「――だから私はアンタを呪うことにするよ。アンタの一族の誰かに、必ず私と同じ本物の魔女が出る。こいつは呪いであり、約束だ。必ずそうなるだろう」


 神父はそれでも、恐怖すらしていなかった。

 寧ろ彼は嗤った。


「そうか。ならばお前は私を呪ってくれるというのだな」

 何故なら彼は、その呪いこそを望んでいたのだから。

 

 早く落とせと民衆の声がする。

 しかし、神父が取り出したのは一本のナイフであった。

 刃渡りの長いそのナイフを、彼は一刀。その切先は魔女の首ではなく、首に結わえられた縄であり。

 そして、床は落ちなかった。

 公然と魔女を助けた神父の行いに誰もが一瞬目を剥いて、そして神父を吊るせとの声が響く。


「……?」


 魔女は何故、神父がこのようなことをしたのか分からなかった。自分を縛って湖に放り込んだのは紛れもないこの男なのに。


「……馬鹿なの? アンタ死ぬよ?」

「私はね、決めていたんだよ」


 神父はこれこそ本懐という風に、魔女が見たこともない笑みを浮かべていた。


「最初の少女を殺したときからね。本物の魔女だけは絶対に吊るしはしないと、そう決めていた。私を手にかけるのは馬鹿共の気まぐれではなく、お前のような魔女自身だ」

「……ああつまり呪われたいってこと。アンタの自己保身による三十二人の犠牲と同じだけの罪を、私に押し付けないでくれるかしら」


 猛る民衆を歯牙にもかけず、魔女は応えるように笑う。


「ま、それは私も同じだけどね。同じ罪を背負ってここを逃げるというのなら」


 そして魔女はふわりと空を飛んだ。

 飛べたのだ。


「手を貸しましょう、神父殿」


 そうして荒ぶる民衆を下に、二人はどこかへと飛び立った。








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