ブラックボックス
きれいな目だ。
まるで吸い込まれそうなほどに輝くその目は、僕の心を縛りそうになる。
昔ひとめぼれした小学校時代の隣の席の子も、そう言えばこんな目をしていた。と言うか、それ以外何も思い出せない。
今何をしているのか。適当な男を見つけて結婚し、適当に子どもを産んでいるのだろうか。あるいは何か悪縁に巻き込まれてしまっているのか。もしかして未だに独り身なのだろうか。
そんな事を考えてしまえる程度には、僕はキモい人間である。
何せ、目以外何も、名前すら憶えていないんだから。
次に出て来たのは、輝く唇ときれいな歯並びだった。
あれでキスされたらと思えるほどには吸引力のある唇と、芸術的なほどきれいな歯並び。
しかも口紅もなさそうのにきれいに輝き、歯もきれいに輝いている。丁重に磨いているのかホワイトニングしているのかわからないが、どっちにせよ素晴らしい。
百人の男がいたら百人を引き付けそうなほどのそれ。
……とか言う事を考えていたら、いつの間にか唇と歯は消えていた。見とれてしまっていたのだろうか。
考えてみれば僕はもう三十だと言うのに、女性とお付き合いした事なんぞない。勉強一筋から仕事一筋と言うよくもまあここまで真面目一辺倒だなとか言う人生を送り、その代わりに趣味なんぞ中学生のそれで止まってしまっている。平たく言えば、今でもゲーム機を握って離さないような人間だと言う事だ。
だから、そんな僕の前にゲーム機と手が現れた時には少し驚いた。
「あの、これなんですけど」
その手の付け根の、さらに奥から声が出て来た時には少し驚き、そのゲームの画面を見せられた時はまたびっくりした。中学時代にやっていたゲームのリメイクだ。
その後その、女性らしき声の質問に適当に問答した自分はその時のそれが二十年も前だった事に気付き苦笑いし、すぐハッとして頭を下げる。
「そうですか、でもその時のも参考になりますよ」
もしかしてその時のそれとは違うかもしれないとあわてるが、彼女は気にしていないらしい。
それにしても、声もきれいだった。何となく魅かれる声だ。アナウンサーか何かだろうか。
そしてその次に現れたのは、真っ黒な髪の毛だった。
単純明快にきれいな髪の毛であり、黒く輝いている。タイヤみたい…とか言ったら怒られるだろうが、正しい意味で黒光りする物体を他に知らない。だから僕は何も言わず、じっとその髪だけを見る事にしている。
その次には、高く美しい造形の鼻。
スラっとした足。
引き締まったウエスト。
そんな物体が次々にやって来る。
たまに目鼻立ちがいいと言うか目と鼻しかない物までやって来る。
そんな空間から少し離れた僕は、姿見とでも言うべき鏡を見る。
「年収、1200万」
それ以外、何にも映っていない。服も、唇も、歯も、髪の毛も、目もない。
要するに、そういう事なのだ。
それしか、僕の持ち物はない。
その看板を持ち歩きながら暗闇の中を歩き回る僕。
映るのは、見事なコーディネイトの服やきれいな靴、光るネックレスに形のいい耳。
そんな僕の、見えないはずの胸にかかる圧力。
何か言われているらしいが、何も聞こえない。
と言うか、何も映らない。
それなのに、なぜか迫ってくる感覚だけはある。
「ちょっと、ちょっと!」
そう言い出したのはたぶん僕ではない。
目も鼻も、服もある男性だ。ついでに、僕と同い年で年収も七百万あって妻もいて三歳の子どももいるらしい。
まあ、そういう事なのだろう。
とにかく僕は、自分が一枚の看板しか持たない事を恥じた。
明日にも、いや今晩にでも仕事場の仲間に会い、まずはコーディネイトから教えてもらおう。