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ビュンビュンと風を切る音と服の裾がはためく音。
その二種類の音が絶えず耳に届く。
スイはフィーリスの庁舎を抜け出し、アストロンから遠く離れた森の中を駆けていた。
双子を探すという目的がなければ建物からの脱出は呆気ないほど簡単で、運良く人目につかなかったこともあり、たまたま見つけた外が見える廊下から首尾よく飛び出すことができた。
建物内を無駄に歩き回ることなく外に出られたのは本当に幸運だった。
フィーリスの庁舎はアストロンの最奥に位置していたようで、建物の裏側から出ると丁度いいことにアストロンからも出ることになった。アストロンの街並みに興味はあったが近くにいてはすぐに捕まってしまうので、チラリと見えた大きな建物の連なりを振り返らずに走り続けた。
ある程度進んだところで息が切れ、肺が悲鳴を上げたが、立ち止まると二度と動けなくなるような気がして必死に足を動かす。
神力を使ってみようと思いついたのは、疲労で膝が言うことを聞かなくなって地面に転がること三度目の時だった。
試しに使ってみるととてつもなく快適で、最初からこうしていればよかったと悔やむほどであった。さすがに空を飛ぶことはできなかったが、風を操り体を後ろからグングン押すことでかなり負担が減ったのだ。
それに普通に走るよりもずっと速い。短時間であっという間にアストロンが見えないところまで来ることができた。
でも油断は禁物だ。相手は翼を持つフィーリスなのだ。もっと離れないとすぐに見つかってしまうだろう。
ひとまず日が落ちる前にどこか身を隠す場所を見つけなくちゃいけない。
すっかり逃亡の身だな、と自嘲気味に笑う。
これが正しい選択なのかもわからない。
ラオザームがフィーリスにとって危険なのだということはわかった。でも俺はフィーリスに危害を加える気など微塵もない。俺がラオザームなのだとしても、フィーリスたちと敵対しようなどと思っていないと説明すればよかったのだろうか?
いや、説明すれば大丈夫だなんて保証はどこにもない。現に今まで監禁されていたのだから。
何も知らされず、体を調べられ、気づいた時には自らの首が落ちているかもしれない。
そんなのはごめんだ。
知らないというのは、こんなにも無力で恐ろしいことなのか。
ずっとルトアとカルラに助けられていたから、わからないことばかりでも何も問題なかった。少しずつ知っていけばいいと、呑気に過ごしていた結果がこれなのか。
フィーリスを核にしてる、だったか……。俺はいつからそんな化け物じみた生き物になってしまったんだろう。
いつから?
どうやって?
もしかしたらこの世に生まれた最初からなんてこともあるのだろうか。
足を動かし続けながら思考が行ったり来たりする。
あのままあそこにいたほうが真実を知れたかもしれない。
逃げなければ命はなかったかもしれない。
思考の迷路に迷い込んだスイに正解を教えてくれる人はどこにもいなかった。
いくら風を味方につけたとしても限界はくる。生身の体なんだから当たり前だ。神力で超人になったわけじゃないのだ。
あれからさらに距離を稼いだスイは人目につきにくい森の中をひたすら進んでいたのだが、体力の限界を感じて適当な木の根元に休憩がてら背中を預けていた。
これだけ離れれば大丈夫なんじゃないか?
疲労の蓄積がスイの考えを甘くさせる。
心のどこかで逃げることにうんざりしているせいもあるのかもしれない。何も悪いことをしていないのに、何故逃げる必要があるのかと少なからず思ってしまっているからだ。
そうは言ってもまずは身の安全の確保が最優先だよな……。
地面の土を見つめていた目線を空に向ける。
……いい天気だなぁ。
正直天気が良いだけでもありがたい。雨で体が濡れて体力をさらに奪われることもないし、雨宿りのために屋根を探す必要もない。
だけど一つだけ問題がある。
「のど……かわいた……」
何気なく出した声は掠れている。長距離を走り続け、汗を流したから体が水分を求めている。
相当走ったのに途中でどこかの街に辿り着くわけでもなく、どこまでも続く森の中でスイは途方に暮れていた。
せめて水源を探さないと……。水分は食料よりも重要だ。
ほぼ手ぶらで飛び出して来たから役に立ちそうなものは何もない。あるのは睡眠薬の残りと、肌身離さず身につけている短剣。そしてカサドール組合の身分証と迷子の時に使うハンカチ。
一つ一つ指で触れながら確認し、滑らかな肌触りのそれに触れた時、ふとある疑問が湧いた。
このハンカチ、道に迷った時に目的地を示してくれる便利なものだけど……一体どういう仕組みなんだ? 行ったことのある場所限定なのか? でもだとしたらその判断基準は?
布を広げてしげしげと眺める。
もしこれが使用者が強く思い浮かべた場所へ連れて行ってくれる物だとしたら……。
いやいや、何を都合の良いことを考えてるんだ俺は。
ブンブンと頭を振り、ため息をつきながらうずくまる。
……でも何もしないよりは可能性はある、か?
もう一度布を広げて自分の行きたい場所を思い浮かべる。
水……飲める水があるところ……できれば一晩過ごせそうな小屋でもあれば文句なし……。
念じるように額に押しつけ、要望がまとまったところでパッと宙へ放り出す。ただの布だったそれはまるで自我を持ったかのようにフワリと上昇し、ヒラヒラと靡きながら一直線に飛び始めた。
成功か⁉︎
見失わないように急いで立ち上がり後を追う。どこに連れて行かれるかもわからないまま、スイは空飛ぶハンカチを追いかけた。




