第四話
この小説はある会社やさる会社やこんな会社がモデルになっているように見えるかもしれませんが、特定の会社とは一切関係ありません。予めご了承下さいませ。
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誰かに、会社に必要とされるって、なに?
たとえ、今は私のことが必要だと言ってくれても、所詮は代えなんていくらでもいる。
どれだけ優秀な人だって、やめてしまえば穴埋めはされる。
この人がいなくなったら立ち行かない部署なんて存在しない。
特定のある人が辞めたらなにもできない―――そんな状態を作り出してしまったら、それは会社ではない。
御社に必要とされる人材となれるよう努力致します‥‥‥なんて入社試験で言う人がいるけれど、会社が必要としているのは人材であって『あなた』ではない。
その区別ができない人は、残される人達の迷惑を省みることなく、自分を必要としてくれる会社を追い求めて、二の舞を演じるため、一度目の舞台を降りる。
会社という目に見えない生き物に必要とされるため、自分を隠して、押さえて、堪えて‥‥‥そんな毎日の過ごし方を甘受する。
そんなの最初のパワーバランスが間違っている。
誰かに‥‥‥会社に、必要とされるってなに?
必要とされるんじゃない。
居場所は作り出すもので、仕事は能力を上げて奪い取るもの。
受け身でいたって理解してくれる人なんて会社では現れないし、見つけることも難しい。
だからと言って、アクティブに攻め込み過ぎれば孤立して仕事が回らなくなる。煙たがれて遠巻きにされる。
学校と違って、年代も性別も出身地も、なにもかも違う人間が集まるのが会社なのだ。
突出せずに自分の仕事を終えて、次に回す。仕事は巨大な工場のベルトコンベヤーのようで、次から次へと押し寄せる。前工程、後工程を考えて、余計なことをし過ぎないように周囲を見渡して、自分の仕事を最小の能率でなし得るのが仕事。
その仕事を終えるのに、頼っていいのは基本的には自分で、他人を頼るか判断する能力を身につけて頼るのならば、結局はそれは他人に頼っているのではなく自分の能力に頼っていることになる。
やってくれたら助かる。
でも、その頼る部分を全面的に相手に任すのはしてはいけないこと。
戻ってきたものは必ず確認するし、納期を考えて頼んだ相手が、きちんと処理をしてくれているか把握するのも自分。
それならば、仕事を分けるのであって頼るのとは違う。
誰かに頼って、甘えて、大事にされて‥‥‥そういうのは能力のない子供がされるもの。
実年齢ではなくて、精神年齢が子供。
そういう人達は、学校を出ようが、会社で働こうが‥‥‥自分の両足で大地を踏みしめて立つことはなく、誰かに頼る。
人という字は二人が支え合っている。
そんなの、嘘。
人だって入だって、結局は損をしているのは低い人。どう見たって長い人が低い人に伸し掛かっている。
そうとしか見えない。
そういうのは、好きじゃない。
私は、誰かに必要とされたいわけじゃない。
私は私でありたい。
そのために、自分の能力は最大限生かしたい。
なのに、年齢だけのせいで『与えられるだけの子供』でいろというのは理不尽な話だ。
能力があるのに子供でいろと強要される。
自分で、自分に能力があると言うのはおこがましいけれど、でも‥‥‥子供でいろというのは、私にとっては重く苦しい足枷でしかありえない。