第二話
この小説はある会社やさる会社やこんな会社がモデルになっているように見えるかもしれませんが、特定の会社とは一切関係ありません。予めご了承下さいませ。
◇
インクの匂い。
紙の束の山が作る、少し乾燥した空気。
それが、小さな俺には宝物だった。
例えば、子供だからわかることがある。
他人が本当に大変な時にこそ現れる、親切を装った、吸血鬼のように不当に他人の命と同等のものを奪うことができる人。
人間らしい感情を凍りつかせたかのような非道な人。
他人が深刻な事情の時に現れる、心配りをしているつもりで辛辣で無神経なことを言ってくる人。
同情を醜い表皮に塗り込んで近付いてくる、閉店間際のスーパーで半額になって売っている魚よりも、もっともっと濁った瞳の『大人達』。
「会社が大変な時だからこそ、自分達の生活を考えて保険を選ばなくてはいけないわ」
―――会社が立ち行かなくなり、一万でも、五千円でも、三百円でも、大事で大切なお金なのに‥‥‥今までかけてきた保険を解約して割高な、自分が勤めている保険会社の保険商品を売り込もうとする販売員。
「そうは仰っても‥‥‥当方にも事情がありまして」
表面上だけ人工甘味料のような甘ったるい色を浮かべているのに、本当に困っている時には融資を断る銀行員。
「俺達が、あの時どれだけ苦労したと思っているんだ!?」
泣く泣くリストラするしかなかったのに、自分の都合だけで嘆き叫び、玄関にペンキスプレーで落書きをしていく、昔、父が見込んで入社させた腕のいい印刷技術者。
小さな町工場は、不況に上手に立ち向かうことが出来ず‥‥‥信頼していた保険勧誘員と銀行員に騙されて、結局は倒産を余儀なくされた。
父と母が、最後のツテを頼って、母の実家に出かけたその夜。
訃報が届く。
居眠り運転のトラックに追突され、会社の軽トラックに乗っていた二人は即死。
新しく入った保険のせいで大半の保険金は払われず、俺と妹、弟は親戚の勧めで施設に入った。
孤児院『ほがらか園』に入る時、三人一緒に入れたのは奇跡だと涙を零す叔母に言われた。
意外と、奇跡は身近に落ちているらしい。
思い出すのは、大切な人が灰と骨と水蒸気と煙になった日。
金のない俺達兄弟は、本当に身内だけで父母を見送った。せめて棺桶は少しでも綺麗なものがいいわ‥‥‥と叔母が言ってくれて白木の装飾がされたものになった。通夜も葬儀もない、斎場で見送るだけの慎しさ。
その日は、天だけが本当の意味で俺達兄弟のために泣いてくれていた気がする。