ビッグフットの森
日没とともに山から冷気が降りてきて、針葉樹の森を包み込んだ。
静寂の奥にひそやかな気配を感じる。野生の鹿だろうか。
野宿はこれがはじめてだ。
子どもの頃夢中になった小説を読んでから、一度やってみたかった。
あいにく、主人公のように未知の冒険に心躍らせる少年ではなく、すべてを失って途方に暮れる中年ではあるが。
すべて……文字通りすべてだ。妻と仕事。そして生きる意味。
闇の中に赤く燃えるたき火に、様々な思いが湧いてくる。
学生時代から憧れていた女性を妻にして、幸せになれるはずだった。
他人の倍努力し、働く場を日本から海外へと移したことで公私ともに充実した日々を送っていた。
けれど……、異国の地で、わたしが仕事に打ち込む一方、妻はふさぎこんでいった。
気にはなっていた。
だから、休暇をとって旅行でも、と思っていた矢先、妻は自殺を試みた。
幸いにも未遂に終わったが、妻の心の傷は大きかった。
わたしは仕事をやめ、そばを離れないようした。しかし何の力にもなれないまま、2度目の自殺未遂。
10年余りの植物状態を経て、先月他界した。
一緒に幸せになろうと結婚したのに。幸せにしようと働いてきたのに、どこがいけなかったのか。
そんなことを考えていると、たき火の向こう側で気配がした。
狭い額とぎょろりした一対の目が、揺れる炎に照らし出されていた。
体躯は灰色クマ並に大きく、長い毛におおわれている。
この地で時々目撃され、残された大きな足跡から「ビッグフット」と呼ばれる幻の生き物のようだった。
驚いたが恐怖感は無かった。むしろ、旧友にぱったり出会ったような気分だった。
ビッグフットは当然のようにそこに座り、たき火にくつろいでいた。
「俺はどうしたらよかったのだろう?」
今までずっと相談をしていたかのように、問いかけた。
「もう終わった事だろう。考えてもしょうがない」
意外なことに、そいつはギョロ目をむいてゆっくりと答えた。聞こえたのはうなるような声だったが、言葉はたしかにわたしの胸に届いた。
かつて存在した旧人類の生き残りが ビッグフットや雪男ではないかという説がある。
地上にあまねく繁栄している新人類を尻目に、仮にも一つの種が存在を知られないように生き残ることはできるのだろうか?
同じ旧人類でも、その幽霊と考えたほうがまだ現実的か?
わたし自身の孤独が生み出す幻かもしれない。
「幸せだった思い出がひとつでもあればいい」
わたしの沈黙をどうとらえたのか、ギョロ目がたたみかける。
「そうだな。幸せな思い出ならたくさんある」
優しくふれる細い指。木陰ではにかむ白い帽子。波打ち際で響く笑い声。肩に吐息を感じながら見た夕日。胸満たされる想いが次々に湧き上がってきた。
「素晴らしい」
たき火の向こうで、巨体が小さく上下した。
どれくらいそうしていたのだろう。寒さに気がつくと、たき火は消えかけていた。
あたりは夜明けの青に染まっていた。
ギョロ目の姿を探したが、見当たらない。
身体は冷え、内と外の区別がないほどに熱を失っていた。
「わたし」が消えるのも時間の問題だ。
肉体は数十キロほど離れた病院の地下にある。昨夕、病魔との戦いを終えての落ち着き場所だ。
最期に念願の野宿もできたし、これで思い残す事はない。
間をおかず日の出がはじまった。
森から木々の香りが立ちのぼり、小鳥のさえずりがこぼれだす。
たき火も、わたしの熱が消えるのと同じくして朝霧の中に消えていく。
幻のたき火、幻想のビッグフット。
自嘲しながら地面を見ると、そこには呼び名が示すままのくっきりとした大きな足跡。
――幽霊は、わたしだけだったわけだ。
存在の確たる証しに、消えかけた口元も緩む。
これから会う妻への土産話ができた。
森のどこかにいるギョロ目の賢者にさよならとつぶやくと、意識は旭光の中に薄れていった。
<了 >
ネッシー、ビッグフット、オゴポコ、雪男、ツチノコ、ヒトガタ、モケーレ・ムベンベ…。
UMA--いわゆる未確認生物というものが気になってしょうがありません。
絶滅した生き物から現存している生き物全般が好きで、この世界に未知の生き物がいるかもと思うとワクワクします。
近年ではヒマラヤの雪男は孤立して進化したヒグマ説が有力との記事にも心が踊り、次はどんな生物が新たに見つかるだろうと楽しみにしてます。
というわけでUMAヒーロー格(?)の、アメリカのビッグフットを今回はメインにしてみました。
わたしも、死ぬ(消滅する)までに何かに会えたらいいなぁ。